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ラブ、おかわり #1

「あ、もしもし? 鳴海? ……うん、俺も今バックヤードで休憩中。つっても、もうすぐ終わるとこだけど」 牧はスマホを耳に当てて、壁に寄りかかりながら通話をする。 画面に、鳴海からのメッセージの通知が来た瞬間。既読をつけるのとほぼ同時に発信ボタンを押していた。返信が来るということは、向こうも休憩に入っているのは間違いないからだ。 『どうしたの、牧さん。電話なんて珍しいね』 「いや、特に用があるってわけじゃないんだけどさ。……悪い、飯の時間くらいゆっくり休みたいよな。電話、切ろうか?」 『まだ休憩入ったばっかで余裕あるし、気にしないでいいよ。それに俺も、ちょうど牧さんの声聞きたいなって思ってたところだったから』 仕事合間の貴重な休憩時間を邪魔したというのに、鳴海は迷惑そうにするわけでもなく、嬉しそうに微笑(わら)ってくれているのが声だけでもわかる。 こんな些細なことですら幸せで、胸のあたりがムズムズとくすぐったい。 『そうそう。この前、牧さんの髪型を店のSNSに載せさせてもらったでしょ? あれ、すごい評判良かったみたいで、おかげで男性客からの予約が一気に増えたって、うちのオーナーが喜んでたよ』 「へー。写真載せただけでそんなに人気出るなんて。やっぱ鳴海は、腕が良いんだな」 『違うよ、牧さん。モデルがいいからだよ』 「モデルって……。えっ、俺?」 『この仕事は、まずはこういう見た目になりたいってイメージを持ってもらうことが大事だからね。もちろん技術も必要だけど、写真のモデルの人が綺麗だとより集客力があるらしくて…』 鳴海に綺麗だと褒められて、一瞬ドキッとする。 いつも肌に触れられるときも、同じ言葉を言われるからだ。 最近、鳴海の仕事が忙しく会える回数が少なくなっているのもあって、ちょっとしたことで体の奥が疼く。 『それで…。オーナーが今度は、牧さんにサロンモデルをやってほしいって言ってるんだけど……』 「え…? あの、サロモってやつ?」 『今度は、ネット予約サイトのTOPページで使用させてもらいたいらしくて。あ、謝礼はちゃんと出すって言ってたよ。……もちろん、嫌だったら断ってくれても構わないんだけど』 「ん、別にそのくらいいいよ。写真なんて、一時期インビジの公式サイトにも載ってたことあるし」 『ああ、スタッフコーデのやつだっけ。あの牧さん、格好良かったよね』 「……あれ? 俺あの写真、鳴海に見せたことあったっけ? 確か去年の秋の新作特集だから、ワンキン行った日よりも前だったと思うんだけど」 『えっと…。それは、その……』 「あー、もしかしてまだ過去ログとか残ってんのかな。……まぁいいや。そんなことより、鳴海に染めてもらったこの髪色、客にもうちの店の連中にもすげぇ好評でさ。えーとほら、何ていう色だっけ?」 『アプリコット・オレンジ…?』 「そうそれ! 深みがある良い色だねってよく言われるんだよね」 『牧さん、落ち着いた色も似合うからね。気に入ってもらえたみたいで、良かったよ』 それから、他愛もない話を二人で少しだけして。 牧の休憩時間が終わりを迎えるタイミングで、電話を切った。 「……」 勢いでサロンモデルなんて引き受けてしまったけど。 よく考えたらこんな三十路(みそじ)の男なんかで、大丈夫なんだろうか。もっと若くてイケてるメンズが、その辺にいっぱい転がっているだろうに。 「でも、鳴海の役に立てるなら……」 好きな人の力になりたい。 そんな気持ちになったのは、人生初だった。 過去に「彼女欲しい」と何度も口にしたことがあったが、それがただのファッションでしかなかったことを思い知る。 たった数分の電話だけで、こんなにも元気を貰えた。今ではもう、牧の体を動かすエネルギーは鳴海が主成分と言っても過言ではない。 「さーて、そろそろ仕事戻るかぁ」 腕を上げて大きく伸びをして、くるりと振り向けば。 「まァァァ…きィィィィィ……」 中年の男がドアの隙間から顔だけ出している不気味な光景が、目に飛び込んでくる。 「うわっ!? びっくりした…! そんなとこに挟まって、何やってるんですか店長!」 「休憩終わったんなら、早く戻って来いよぉ」 「いや、まだあと一分あるじゃないっすか…」 「今日は土田が休みだから、お前がいないと男一人で寂しいんだよ」 「はぁ…。どうせ、メンズの接客を俺に押しつけて、自分はレディースのほう担当したいだけでしょ」 「おっ。よくわかったな。だって、女の子とおしゃべりしてるほうが楽しいだろ?」 ハハハ、と大口を開けて笑っているこの男こそが牧の上司であり、『invisible(インビジブル) garden(ガーデン)』暁ヶ丘店の店長だったりする。 45歳独身、自称イケオジの一見ただの痛いオッサンにしか見えないが、人懐っこさだけは超一流なだけあって、なぜか憎めない人物である。 「ったく…。なんだかんだであの人いると売上いいから、文句言えねーんだよな」 ふうと溜め息をついて、牧は言われた通り持ち場のメンズコーナーへと向かった。 鏡の前を通りかかる時に、ふと自分の姿を見れば。顔の中心には、黒縁の丸みを帯びた眼鏡が収まっていて。 今年もまたこの季節がやって来てしまったか、とそれだけで牧は憂鬱な気持ちに引き戻される。 暦は三月中旬。毎朝の天気予報で、花粉というワードを聞くだけで目が痒くなるくらいだ。 別に眼鏡が嫌いなわけじゃないが、どうしても花粉症の時期とセットになってしまっていることから、あまりいい思い出はなかった。 「いらっしゃいませ」 しばらくして来店してきたのは、大学生らしき男性客が一人。 挨拶をすると、客は一瞥だけして、またすぐに店内の商品に目を戻す。 黒髪で眼鏡をかけているが顔立ちは地味ではなく、むしろモテそうな感じで、髪型や服装からも垢抜けている印象を受ける。 こういうタイプは自分のファッションセンスを大事にするので、下手に声をかけて邪魔しないほうが良さそうだ。 ゆっくり店内を見てもらおうと、牧は一旦、店の奥の方へと引っ込んだ。 美容室のモデルって、普通はああいう若いヤツがやったりするもんだよなぁと、服をたたみながら物思いに耽っていると。 「なぁ、牧ぃ〜。お前の彼氏って、美容師なんだよな? 今度髪切りに行くからさ、店の名前教えてくれよ〜」 店長が現れ、牧の肩に腕を回して絡んでくる。 「嫌です。どうせ、美容師の女の子と出会いたいとか、そんなところでしょ」 「げげっ。なんでバレたんだ」 「同僚の美容師は、みんな彼氏持ちか既婚って言ってましたよ。諦めてください」 「俺はお前と違って『リア充アレルギー』じゃないからさ。そういうの、気にしないから」 「うっわ、最低」 そんなやり取りを遠目で見ていた女性スタッフの山村が、二人の傍までやって来て注意をする。 「ダメですよ店長。そんなにベタベタくっついてたら、マッキーの彼氏さんに怒られちゃいますよ」 「むむっ。それはマズいな。可愛い女の子を紹介してもらえなくなったら困る」 「もう、頼むから仕事に戻ってくれよ……」 もしかして『リア充アレルギー』の症状が出ていた時の自分もこんな感じだったんだろうかと、牧はぞっとした。 なんとか店長を振りほどいて、再び元いた売り場へと戻ると、先ほどの若い男性客がこちらをじっと見ていて。 「よかったら、試着もできますよ」 ハンガーにかけられたTシャツを手にしていたので、そう声をかけてやると。 「……こんなダサい服。僕が着るわけないじゃん」 突然の暴言とともに、ぞんざいな扱いでハンガーラックに戻された。 「……は?」 何だ、こいつ。 牧は接客の基本である笑顔を捨て、相手をまっすぐ睨みつける。 しかし客はそんなことなど気にも止めず、続けて牧に話しかける。 「ていうか、意外だったなー。彼氏がいるってこと、職場にカミングアウトしてるんだ。へぇ、なるほどね…」 何やら意味ありげな表情で、牧のことを上から下まで舐めるように見る。 まるで、値踏みでもするかのような視線だった。 「あんたが、さんでしょ。髪がオレンジだからすぐわかったよ」 「……オレンジじゃなくて、アプリコット・オレンジなんだけど?」 「どっちでもいいよ。この前、鳴海さんの美容室のインステにアップされてた写真さ。あれ、あんだだろ」 ネームカードをぶら下げてる自分はともかく。 鳴海の名前が唐突に出てきたものだから、牧は思わず目を瞠る。 「すぐにピンと来たよ。ああ、こいつがあのマキさんなんだなって。試しに画像から検索して調べてみれば、インビジのスタッフだってことが簡単にわかったから。ここが鳴海さんの店がある黄昏町から一番近かったから最初に来てみたけど、当たりだったね。今日マキさんが休みじゃなくて良かったよ、ホント」 男は楽しそうに笑って言うが、牧は不信感を募らせる一方だった。 「お前、誰だ…? なんで鳴海のこと知ってるんだよ……」 「あれ? 僕のこと、鳴海さんから聞いてない? ……まぁ、そうだよねぇ。言えるわけ、ないか」 不敵な笑みを浮かべて。 男はようやく、自己紹介を始める。 「――僕はね。鳴海さんの、元カレってやつだよ」

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