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ラブ、おかわり #3
何度も見上げたはずの白い天井は、今日はいつもと違って見えて。
その真っ白すぎる色がまだ足跡を付けられていない新雪のようで、何だか床と天井がひっくり返って、逆さまの世界にいるみたいだった。
「牧さん――…?」
名前を呼ばれて、はっと我に返る。
真上へ向けていた視線を下ろすと、心配そうに牧の顔を覗き込む鳴海と目が合った。
「なんか、うわの空みたいだけど…。あんまり気持ち良くなかった……?」
言われて、今は前戯の最中であったことを思い出す。
鳴海の家の、ベッドの上。
寝そべった牧のスウェットを捲り上げ、その胸元を鳴海が愛撫していたところだった。
いつもならすぐに感じ始める牧の反応が薄いものだから、変だと思ったらしい。
「あ…、ごめん。ちょっと、ぼーっとしてて…」
今度はちゃんと集中するから、と慌てて取り繕う牧を、鳴海はしばらく黙って見つめていて。
それから、そっと牧の服を元通りに整えていった。
「……やっぱり、今日はやめておこうか」
「えっ…」
そんなことを言われたのは初めてで、テレビの電源をブツンと切られたみたいに、一瞬視界が真っ暗になる。
……あれ。もしかして、飽きられた?
昨日、鳴海の元セフレだという有島に言われた言葉のせいで、牧は焦りを感じ始める。
もし鳴海が性的欲求を満たすつもりでつき合っているのだとしたら、もう牧に興味を失くしてしまった時点で関係が終わることになる。
「な、鳴海は…。もう俺としたくなくなった……?」
顔面蒼白になって声を震わせる牧に。
鳴海は「もちろん、したいけど」と即答して、それから優しく微笑んで。
「そうじゃなくて。牧さんがそういう気分になるまで、待つことにしただけだよ」
「じゃあ。もし俺がこれからずっと、したいって気分にならなかったら…? 鳴海はえっちなこと抜きでも、俺と一緒にいたいと思うのか?」
「うん。それでも、俺は牧さんのそばにいたいと思うよ」
「……。そっか…」
てっきり少しは悩むかと思っていたのに、思ったよりもあっさり返事が来たので、ほっとする。
やっぱり鳴海が体目的でつき合っているというのは、嘘だったんだ。なんか拍子抜けしたというか、悩んで損したというか…。
鳴海は横になっている牧に毛布を掛けて、その隣に座ると。
「……で? どうしたの牧さん」
「え…」
「だって、今日は元気ないからさ。何かあった?」
「いや、何かあったっていうか…。うん。昨日ちょっと、嫌な客が来て……」
今更、何もなかったと誤魔化すのは無理そうだ。
とはいえはっきりストレートに聞く勇気もまだないので、結局全部は言わずにざっくりとした愚痴だけを吐露することにした。
「うちの店をダサいとか言ったり、とにかくいちいち嫌味な言い方をしてくる奴でさ。気にしないようにはしてたんだけど、まだそれを引きずってるみたいで…」
実際に言葉にしてみると、想像以上に自分が凹んでいることに気づく。
ただの客ならまだしも、そうでないから質 が悪い。有島のあの性格の悪そうな顔を思い出すだけで、自然と大きな溜め息が零れた。
「…まぁ、接客業やってると色んなお客さん来るからね。でも、牧さんが悪いわけじゃないんだから、気にすることないよ。多分その人もちょっと虫の居所が悪かっただけで、本当はそんな言い方するつもりなかったんじゃないかな」
「そう…かな……」
「俺も、前に仕事でうまくいかなくて落ち込んだことあるから、気にする気持ちもわかるけどね」
「鳴海が…?」
知らなかった。いつもにこにこ穏やかに笑っていて、仕事の愚痴なんて聞いたことなかったからだ。
「悪い。俺、鳴海が元気ないとき、気づいてなかったかもしれない…」
「そんなことないよ。牧さんは知らないかもしれないけど、既に牧さんからいっぱい元気もらってるから」
「え? それ本当?」
「本当。俺は今まで、牧さんに何度も救われてるんだよ」
ありがとう、と言われて。
何をしたのか覚えてないけれど、自分が鳴海の役に立っていたと知って嬉しさが込み上げてくる。
「俺も今…。鳴海に、元気もらった……」
そう言うと、鳴海は「よしよし」と牧の頭を撫でてくれる。
鳴海の手は温かくて、気持ち良くて。
それだけで『好き』という感情で溢れそうになる。
「……牧さん」
「んー?」
「最近あまり会える時間作れなくて……寂しい思いさせて、ごめんね」
「え…。別に仕事なんだから、仕方ないだろ? 何で鳴海が謝るんだよ」
「そうだけど…。牧さんが色々と不安になるのって、そういうのも影響してるのかなって…」
牧は『リア充アレルギー』を持っていて、自分のリア充度が足りないと情緒不安定になるという特徴があった。
鳴海も以前からそのことを把握していたので、今回もそうなのではと考えてしまったらしい。
「確かに、会うのは少なかったかもしれないけどさ。でもその分、電話はしょっちゅうしてただろ? だから平気だって」
「ならいいんだけど…。あ、でも、そろそろ仕事のほうも落ち着きそうなんだ。そうしたら、また二人で一緒にゆっくり過ごそう?」
「ん。楽しみにしてる」
牧が歯を見せて笑うと、鳴海もようやく安心した表情になった。
鳴海が毛布に入り込んで、同じベッドに二人仲良く並んで寝転ぶ。
暖を取るフリをして、もぞもぞと体を近づければ、背中に手を回され抱き寄せられる。
あ。ヤバい。幸せすぎる。
今なら、気になっていたあの質問も訊くことができるかもしれない。
すっかり気が緩んだ牧は、思い切って口を開いた。
「そういえば、鳴海。前につき合ってた奴がいたって言ってたけどさ。何で好きでもないのに、そいつとつき合おうと思ったんだ?」
さっさと不安の種を取り除いてしまいたいという思いもあったし、単なる好奇心もあったのかもしれない。
しかし、そんな軽率な行動をしたことを、牧はすぐに後悔することになる。
「え…、何で、急にそんなことを……?」
一瞬、鳴海は眉を歪ませ、露骨に表情を曇らせた。
普段あまり見せない顔に、牧は徐々に不安に駆られていく。
「何で、って…。え。普通、気になるじゃんか」
「どうして?」
「それは…。彼氏がどんな奴とつき合ってたかくらい、知っておきたいだろ」
「……今は、言いたくないです。せっかく目の前に牧さんがいるのに、他の人間のことを考えたくないので」
はぁ、と溜め息をつかれてしまう。
なんか俺、またデリカシーのない発言をしてしまったんだろうか。
そう思いつつも、ここまで来て後には引けなくなった牧は、言うつもりのなかった言葉までつい口走ってしまう。
「案外そいつが、鳴海の好きだった人に似てたからだったりして――…」
軽く冗談ぽく言ってみたつもりだったのに。
「え……」
鳴海が目を大きく見開いて、固まった。
それからすぐに視線を泳がせて動揺する姿を見れば、答えを聞かなくてもわかってしまう。
鳴海は否定も肯定もしなかったが、この反応を見る限り、有島の言っていたことはあながち間違いではなかったのかもしれない。
有島は、鳴海の片想いの人の代わりだったという。
そして、その有島と牧の外見は似ているらしい。
それぞれがイコールの記号で繋がって。ずっと放置していた方程式のx の部分は、簡単に解が書き出されてしまう。
牧と出会う直前、鳴海は有島に『好きだった人が忘れられない』と言って別れを告げたという。
それなのにどうして鳴海が、牧とつき合うことに決めたのか。
数式の答えは、いつだって正解はひとつだけだ。
――だって牧さんも、その人の代用品なんだから。
有島の言った言葉が、ずっと耳にこびりついて離れない。
なんだ。そういうことだったのか。
道理で、すべてがうまく行き過ぎていると思った。
きっとまだ、魔法にかけられたままだったんだ。
シンデレラは夜中の12時に魔法が解けるのに対して、自分の場合のタイムリミットは、鳴海が本当に好きな人と再会するまでというだけで。
しかも、本物のシンデレラの代わりにダンスを踊っていただけの存在に過ぎない。
鳴海という名の王子様は、まだ片方のガラスの靴を手に持っていて。そしてそれはきっと、牧の足には入らない。
「鳴海…。ごめん。やっぱり前つき合ってた奴のことなんか、思い出さなくていいから」
「牧、さん……?」
「今は、俺とつき合ってるんだから。俺だけを見てよ……」
鳴海の服を、ぎゅっと掴む。
その手は微かに震えていたが、気づかれないように口元に笑みを浮かべて誤魔化した。
「なぁ。さっきのセックスの続き、しよう?」
「え? でも…。牧さん、いいの…?」
「なんか急に、そういう気分になった」
突然の誘いに戸惑う鳴海の唇へ、ゆっくりと自分のものを重ねる。
「今日はゴム。つけなくて、いいから……」
「……っ」
掠れた声で囁けば。
鳴海は熱い吐息を漏らしながら、牧に深い口づけをして応えた。
「ん…、ハァ、ンンっ、鳴海…っ」
「牧さん…。なんか今日は、いつもより激しくて、えっちだね…」
「だって、鳴海の生ちんこ…。すご…、気持ちいい、あああッ」
牧の両足を大きく開かせて、その中心で鳴海が熱い昂りを何度も強く打ちつける。
互いの粘膜が擦れ合う快感を追いかけて、牧もまた鳴海の動きに合わせて腰を揺らしていた。
鳴海の好意が、いつ牧から離れていくかはわからない。鳴海が本気で好きだという人が明日突然現れて、この関係が今日で終わりになる可能性だってゼロではないからだ。
もしかしたら、これが鳴海とする最後のセックスになるかもしれない。
そう自分に言い聞かせて、鳴海の声、鳴海の熱、鳴海の感触を、ひとつひとつ体に刻み込んでいく。
もしまだ魔法が解けていないというのなら。もう少しだけ、良い夢を見ていたくて。
そして、大好きな人に抱かれたことを忘れないように。
だから…。
「なる、みぃ…っ。もっと、俺のこと…、めちゃくちゃに…抱いて……っ!」
「牧さん…。そんな可愛いこと言われたら、俺、すぐ出る…から…ッ」
鳴海も余裕がないのか、必死に射精を耐えるような色っぽい顔を見せる。
激しいリズムでパンパンと音を立てながら、ピストンの動きを速めていく。
お互い名前を、うわ言のように呼び合った後。
「ま…き、さん…! 中に、出す…よ…!」
「あ、ああああ…っ!」
鳴海の精子を、体内で受け止める。
ああ。いっそ、妊娠できる体だったならば。
既成事実を作って、それを盾に入籍して。鳴海をずっと繋ぎ止めることができるのに。
「ハァ、ハァ…。牧さん……」
鳴海が息を整えながら、熱い眼差しで牧の顔を見つめる。
その瞳の中には。
本当は、誰が映っているのだろう――…。
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