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ラブ、おかわり #7

小さい頃から、自分の髪の毛がコンプレックスだった。 誰が言い出したのかまでは覚えていないが、波状にうねる毛が海藻に似ていることから、小学校でのあだ名は『ワカメ』と名付けられた。 ワカメは嫌いじゃなかったけれど、それ以来食卓にワカメ料理が出る度に、俺は憂鬱な気分になった。 「なんか。鳴海の髪って、ワカメみてー」 自分が男にしか恋愛感情を抱けないことに、気づき始めた頃。 当時気になっていた同級生に、一番言われたくなかった単語を投げつけられる。 「そいつ、髪くるくるだから前のクラスではワカメって呼ばれてたんだぜ」 「へー、そうなんだ。『ワカメ』君は何でそんな頭なの? やっぱり、ワカメいっぱい食べてるとか?」 「バカ。それじゃ共食いになっちゃうじゃん」 「あはは、言えてる」 そんな会話を聞かされて、頭の上に羞恥心の塊を乗せている気分になった。 後から知ったことだが、その同級生はサラサラのロングヘアの女の子が好きなんだという。 恋が始まる前に失恋してしまい、同時に、こんな髪では誰も自分のことなんか好きになってはくれないのだと改めて気づかされる。 もっとも、ゲイだと知られたところでどうせ気持ち悪がられるだけなのは承知していたので、(はな)からまともな恋愛ができるとは思ってはいなかったが……。 中学へ上がると、頭を坊主にした。 部活はバドミントン部だったので周りからは「何で?」と聞かれることが多かったが、その度に「動きやすいから」とか「邪魔だったから」などと無難な答えで返していた。 嫌いな髪が視界に入らなくなるだけで、こんなにも解放感を得られるとは思わなかった。 しかし坊主頭のせいか今度は顔ばかりが注目され、なぜか女の子からモテるようになってしまった。 ゲイなので女から好かれても別段嬉しくない上に、一人だけ女子にちやほやされている図が面白くないと男子からの当たりも強くなり、男同士の恋愛なんてものは増々遠のいていく始末だ。 坊主にすれば髪のことで悩まなくていいと思ったが、思春期というのは難しいもので、顔だけ評価されても虚しいだけだと痛感した。 高校に入り、俺は友人たちに(なら)って床屋ではなく美容室で髪を切るようになった。 そこで初めて、縮毛矯正というメニューの存在を知る。 高校生には気軽に手を出しづらい価格ではあったけど、迷わずATMへ貯金を下ろしに行って、緊張しながら予約の電話を入れた。 鏡を見て、自分の頭から直毛の髪が生えている姿を初めて目にしたときの衝撃は今でも忘れられない。 ――美容師って、すごい。 髪型ひとつで、こんなにも人の心を感動させることができるのか。 自分もこんな風に、くせ毛で悩んでる人を救いたい…。 そんな思いが自然と胸の中に湧き出てきて、大学進学を勧める親を何度も説得して、美容師の道へと進むことにした。 美容専門学校ではゲイという存在が珍しくないこともあり、ようやく恋愛と言える経験をすることができた。 飢えたように愛を求めたが、どれも長続きはしなかった。 美容師を目指していながら誰もがくせ毛の存在を目の敵にしていて、相手が好きなのは偽りのストレートヘアをした自分なのだとわかり、結局冷めてしまうからだ。 けれど。一度まっすぐな髪を手にしてしまえば、今更元に戻すなんてことはできなくて…。 海藻みたいな頭をした自分をまた鏡で見るのが、嫌だ。 人に見られるのが、怖い。 ぐしゃぐしゃの頭を好きになってもらえる自信が、ない。 ただ、見たくないものに蓋をして――…。 それはとても楽にはなれるけど、いつまで経っても心が満たされることはなかった。 アシスタントとして仕事に就いたのは、あけぼの区、黄昏町にある美容室だった。 黄昏町は比較的美容室の数が多く、大型チェーン店から個人店まで並ぶ中で、その店は県内にいくつか支店を出すほどの規模を誇っていた。 ただ、価格がリーズナブルということから回転率重視な面があり、しばしば客の満足度を(ないがし)ろにする傾向があった。 そして、この男も例外ではなく。 「おい鳴海。お前さぁ、さっきから俺が何回も呼んでるのに、何ですぐ来ねーんだよ」 別のスタイリストのサポートを終えて戻ると、先輩美容師である小磯に呼び止められる。 この男が不機嫌なのはいつものことで、何かにつけて当たり散らす態度は、俗に言うパワハラそのものだった。 「俺これからあっちでパーマのヘルプ入るからしばらく手が離せなくなるって、先程も伝えましたよね?」と口答えしたくなるのをぐっと堪え、素直に「すみませんでした」と頭を下げて謝る。 見れば、小磯はカラー剤の配合をもう一人のアシスタントであるミホに指示している最中だった。 「ちなみに小磯さん、さっきはどういった用だったんですか?」 「あ? そんなの、シャンプーに決まってんだろ」 「じゃあ、もうミホちゃんが代わりにやってくれたんですね」 「バカか、お前。ミホはこれから俺とカラーの作業に入るんだよ。見てわかんねーのかよ」 「えっ。それじゃあ…」 「だーかーら、シャンプーの客はまだだって言ってんだろ。3番のシャンプー席のとこにいるから、早く行ってシャンプーして来いよ。……あー、あとお前が来るのが遅いせいで待たせてるんだから、お前が謝っとけな」 ……信じられない。 雑誌の置いてあるセット席ならまだしも、シャンプー台で待たせるなんて。 さっき呼ばれていたのが5分以上も前だから、その間ずっと放置していることになる。客のことを一切考えない行為に、呆れて開いた口が塞がらない。 小磯が自らシャンプーをやらないのは今に始まったことではないが、手が空いていたはずのミホに行かせなかったのは、どうせカラーを二人態勢でやるためわざと調整したに違いない。 普通なら先に待たせている客を優先するものだが、時間のかかる作業を先に進めて回転率を上げようという魂胆なのだろう。 確かにそのくらい無理をしないと捌けないほどの予約を受け入れているが。俺はそういう売上ばかり重視するこの店が、あまり好きではなかった。 店舗に入って、丸二年。今まで我慢しながら頑張ってきたが、最近では辞めたいとさえ考え始めていた。 何よりも嫌なのが――…。 「おい、何ボサッとしてんだよ。早く行けよ、『ワカメ』」 時折、例の名前で呼ばれることだ。 どうやら、俺が酷いくせ毛で縮毛矯正をかけているという話を誰かから聞いたらしい。 小磯は人の嫌がる言葉を使うことに関して天才的な能力を持っているらしく、恐ろしいことに自力でその単語に辿り着いてしまったようだ。 まさか、くせ毛ヘアを捨てた今でもこの名前で呼ばれるとは思ってもみなかった。 ……けれど、今はそんなことを考えている場合じゃない。 待たせてしまっているお客さんがいることを思い出し、俺は言われた通り3番目にあるシャンプー台へと急いで向かった。 「――これは…、夢なんだろうか……?」 思わず、自分の目を疑ってしまった。 シャンプー台には、これまで見たことがないくらい美しい顔立ちをした青年が眠っていて。 胸の前で指を絡めて手を組み、静かに目を閉じている姿は、まるで。 まるで……。 「ん…、あれ……。もしかして俺、寝てた?」 しばらく立ち尽くしたまま見惚(みと)れていたら、お姫様が目を覚ます。 ゆっくりと瞼が持ち上げられて、長い睫毛に隠された瞳と目が合った。 その時、俺は。 おとぎ話の王子様が恋に落ちる瞬間の気持ちというものを、生まれて初めて理解した。

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