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ラブ、おかわり #13
『いい加減、諦めたら? 手がかりもなしにマキさんを見つけるなんて、絶対無理だよ』
『有島。またその話か』
『だってさ。今の鳴海さんは、ガラスの靴を持たずにシンデレラを捜し回ってる王子様みたいなものだよ?』
『……ガラスの靴なら、もう持ってる』
『ああ。あの忘れ物のハンドクリームのこと? 勝手にオナニーで全部使っちゃったくせに、何言ってるの』
『…………』
『とにかく。鳴海さんがマキさんと再会できる確率なんて、限りなくゼロに近いんだから――…』
以前有島と交した会話の記憶が、今になってリプレイされる。
確かに、普通に考えればマキさんと再会できる可能性はゼロに近い。
……でも。完全にゼロというわけではないのなら。
1%でも可能性が残っている限り、俺は諦めない。
それに、現にこうしてマキさんの写真と情報を得ることができたんだ。
ガラスの靴なんてなくたって、見つけることだってできるはずだ。
そういえばあの時。
俺は、何て答えたんだっけ。
ああ、そうだ。思い出した。
『――もしマキさんと再会できた時は、それを運命と呼んでもいいだろう?』
「嘘、だろ……」
暁ヶ丘の駅構内。
目の前の残酷な光景に、俺は打ちひしがれる。
ショッピングモールへの入口はシャッターで固く閉ざされていて、中に入ることができなかった。
シャッターには大きな文字で、営業時間は20時までと書いてある。
スマホで時間を確認すると、20時11分。とっくに閉店時間を過ぎていた。
「間に合わなかったか…」
走って乱れた呼吸の中に、深い溜め息が入り混じる。
本日最後のお客さんがカラーで予約していたのだが、カウンセリングの際にグラデーションカラーに希望されたため、予定よりも施術に時間がかかってしまった。美容師の定時なんて、あってないようなものだ。
当日になってメニューを変更されるのは珍しいことではないのだが、よりによってこんな大事な日にそんな要望が来てしまうなんて、運が悪い。かに座は今日、運勢第一位じゃなかったのか。
「ああ…。俺の運命が、遠のいていく……」
シャッターに両手をついて、額をゴツンとぶつける。無機質な金属の冷たさが、接触した皮膚へと伝っていった。
仕方ない。明日、また来よう。
こんな時間にマキさんが店にいる確証だって、なかったわけだし。
アパレルショップにも早番遅番のシフトがあるだろうし、もう帰ってしまったか、そもそも休みだった可能性だって考えられる。
そうだ。マキさんは今日、ちょうど休みで不在だったんだ。そうに違いない。うん。
イソップ物語の「すっぱい葡萄」が一瞬頭に浮かんだが、そうやって自分に言い聞かせていかないと前に進めないような気がした。
会えなかったのは残念だけど。マキさんの写真と勤務先の情報が手に入っただけでも、今日は良しとしよう。
「あ…。地下の食品街は、まだ営業してるんだ」
ついでに食料でも買っていくかと、エスカレーターを下っていく。
今晩のおかずは、弁当屋の惣菜と。
それから…。
俺はスマホを取り出し、マキさんの写真を眺めた。
*
「鳴海くん。今日16時にカラーで予約のお客様から、時間を18時に変更してもらえないかって電話が来てるんだけど。どうする?」
そんな無慈悲な業務連絡を耳にして、俺はこの世に神様なんていないのかと嘆いた。
それともこれは俺に与えられた試練なのだろうか? もしそうだとするなら、余計なお世話だ。
今日こそは、早く仕事を上がってマキさんの店に行くぞと意気込んでいたところだったのに。早くも昨日と同じように定時で帰れないフラグが立ち始め、怪しい雲行きに内心焦る。
「すみません。今日はちょっと、予定があって…」
「だよねぇ。そう言うと思って、他の日に予約を取り直してもらえないか確認したんだけど。明日大事なデートだから、どうしても今日お願いできないかって泣きつかれちゃって」
「確か、そのお客様って……」
「そう。いつも鳴海くんが担当してる、ショーコさん。私たち他の美容師もその時間は予約入ってるしねぇ。かと言って、常連さんだから無下にもできないし…」
「……別にいいですよ。俺の予定は、明日に延ばしても大丈夫なので」
「ごめんね鳴海くん、無理を言って。じゃあ、OKだってショーコさんにも伝えておくね」
先輩美容師の背中を見送って、カラー剤を混ぜていた手元に視線を落とす。
……大丈夫。マキさんに会える日が、たった一日延期しただけだ。
これまで5年半近く待ったんだ。一日くらい延びたって、どうってことはない。
勤務先はわかっているんだし、マキさんがどこかへ逃げるわけじゃない。
幸い、明日は美容室の定休日だから丸一日休みだ。午前中から張り込んだほうが会える確率も高いだろうし、これで良かったのかもしれない。
もしマキさんが居たら、何て言って声をかけよう? 服屋の店員さんだから、服を選んでもらえばいいのかな?
ヤバい。考えただけで緊張してきた…。
マキさんが好き過ぎて、どうにかなりそうだ。
昨日なんてマキさんの写真を見ながら、試着室でえっちをする妄想で自慰をしてしまった。
職業がわかっただけで、よりリアルなシチュエーションで抜けるなんて最高すぎる。
……まぁ、実際は会ったところで。
えっちどころか、つき合うことすらできないのが現実なのだが。
「鳴海ちゃん、今日はごめんね…! 私、仕事でヘマしちゃって残業になっちゃって。明日デートだったから、本当助かる! ありがとうね!」
「大丈夫ですよ。気にしないでください、ショーコさん」
「でも、鳴海ちゃん今日は早上がりの日だったんでしょう? 前につき合ってる人がいるって言ってたし、これから彼女とデートだったらどうしようって私、気になってて……」
彼女?
そんな単語を投げかけられて、セット椅子に座るショーコに黒いクロスをかけながら、一瞬何の話だろうと考える。
そういえば、フリーだとお客さんからアプローチされることが多いので、余計なトラブルを招かないためにも、いつもつき合っている人がいるか聞かれたら「いる」と答えるようにしていたのだった。
実際、ここ半年は有島という相手もいたのであながち嘘ではないし。まぁ、つき合っているというよりかは、有島の場合はセフレという括りに入るのかもしれないが……。
「あぁ…。実は最近、その人とは別れたんです。だから本当に、気を遣わなくても大丈夫ですよ」
「ええっ! そ、そうなの? ……どうしよう。鳴海ちゃんが別れたばかりなのに、私一人、デートだなんて浮かれちゃって…」
しまった。
心配かけまいと言ったつもりだったのに、逆に落ち込ませてしまった。
「え、えーっと。今日は、髪色はピンク系を希望ということですよね。あっ、そういえば明日は特別なデートと聞いたんですが、どこへ行く予定なんですか?」
話題を変えようとデートの行き先を尋ねると、ショーコは即座に目を輝かせて答えた。
「それがね、なんと! ワンキンなの!」
「ワンキンって…。あの『ワンダー・キングダム』ですか?」
「そうなの。最近つき合い始めた彼氏がチケットを持ってて、一緒に行こうって誘ってくれて。私、行くの初めてだからすっごく楽しみで」
「それは良かったですね。俺もまだ行ったことないんで、今度、感想聞かせてくださいね」
笑顔で受け答えをして、希望の髪色とトーンを選んでもらおうとカラー見本を広げる。
すると、ショーコがじっとこちらを見つめて。
「……ねぇ、鳴海ちゃん。私の彼氏の職場、可愛い女の子多いみたいだから、紹介してもらえるようにお願いしてみよっか?」
「え…」
いやいやいや。俺には、マキさんという想い人がいるし。そもそも女には興味ないし。
「ショーコさん。ご厚意はありがたいんですけど、俺……」
何と言って断れば角が立たないだろうかと考えていると。
ショーコがスマホを出し、慣れた手つきでページを開く。
「ほら見てコレ、彼氏の働いてるショップのインステなんだけど。この間スタッフさんたちでカラオケ大会やった時の写真が投稿されてて。あ、この背が高くて髪が短い人が、つっちー……私の彼氏でね」
嬉しそうにSNSの画面を見せてくるので、とりあえず写真を見るだけでも…と覗き込んでみる。
それはカラオケ店で10人ほどの男女が並んでいる集合写真で、確かに若い女性の比率は高いようだ。
何となく一人ずつ順番に流すように顔を見ていくと、ある人物のところで目が止まる。
ショーコが「彼氏」と指差した男の、ひとつ隣――…。
「あの…。ショーコさんの彼氏さんの職場って……」
「うん? 暁ヶ丘駅にある『invisible garden 』っていう服屋さんだよ。鳴海ちゃん、知ってる?」
「はい…。知ってます…」
まだ行ったことはないけど、今すぐ行きたいショップNo.1だ。
ショーコのスマホを拝借し、もう一度よく画面を見せてもらう。
他の人がビールを飲んでいる中、一人だけオレンジジュースのグラスを持っている。可愛い。
スクロールすると、キャプションにはスタッフ全員の一言が添えられていて。
「……ショーコさん。やっぱり、彼氏さんに同僚の方を紹介してもらえるように頼んでもらってもいいですか」
「もちろん! 誰か気になる子、いた?」
「彼氏いる人を紹介してもらうわけにもいかないので。この恋人募集中って書いてある人で、お願いします」
「うん、わかった! このショーコお姉さんに、任せなさいっ」
礼を言って、借りていたショーコのスマホを鏡の前のテーブルに置く。
その画面には、手に持ったジュースと同じ色をした髪の人物が書いたと思われる、短いメッセージが表示されていた。
『恋人募集中。Maki』
「あ。もしもし、つっちー? お疲れ様〜。今、電話大丈夫?」
仕事の後、黄昏町駅前のモックバーガーでショーコと簡単な打ち合わせをして。
早速、彼氏に電話をかけてもらえることになったのだが。
「ねぇ、つっちーのショップにマキっていう人いるよね? 恋人募集中の。……でね、私の知り合いに美容師やってる28歳の子がいて。あ、鳴海ちゃんって言うんだけど。鳴海ちゃんをね、その人に紹介してあげたいなって思って」
隣で聞いているだけなのに、緊張してしまう。
もし男だとバレて、断られたらどうしよう。
これはある意味、賭けだった。
マキとナルミ、どちらも女と間違えられる名前であることから、うまくいけば勘違いで紹介してもらえる可能性があると踏んでの作戦だ。
普段から俺のことをちゃん付けで呼んでいるので、恐らく大丈夫だとは思うが。何だかショーコたちを騙しているようで、罪悪感で少し胸が痛む。
しかし、今はなりふりなんて構っていられない。このチャンスを、俺は絶対に逃すわけにはいかないんだ。
冷めたポテトをつまみながら澄ました顔を取り繕い、再び電話の声に耳をそばだてる。
「え? 鳴海ちゃんの見た目? えっとね……」
ショーコが、俺の顔を振り返る。
マズい。男だと知られたら、一発でアウトだ。
「うん。顔は、イケてるよ!」
何とも絶妙なコメントをされて、俺はほっと胸を撫で下ろした。
それからまたしばらく会話が続き。
電話を切ったショーコが、ドリンクを持ち上げて満面の笑みを向ける。
「さっき打ち合わせした通り、明日ワンキンでデートすることになったよ。待ち合わせは四人だけど、その後は二手に分かれる流れでいいって」
ああ、神様…。
さっきは存在を疑ってしまって、すみませんでした。そして、ありがとうございます。
俺は、天に感謝の祈りを捧げた。
マキさんと『ワンダー・キングダム』でデートできるなんて、夢みたいだ……。
きっと、紹介された相手が男だとわかったらマキさんはがっかりするだろうけど。
ショーコたちカップルはそのままデートに行くだろうし、残ったマキさんは俺と二人で一緒に回るしか選択肢はないはずだ。
デートで有名なスポットではあるけれど、調べたら友人同士でも普通に遊びに行ったりもするらしいし、その辺は問題はないだろう。
「本当に、ありがとうございます。ショーコさん…」
「ううん、お礼を言うのはこっちだよ。大事なデートの前に、こんなに綺麗な髪にしてくれてありがとね。鳴海ちゃん」
そう言って、ショーコは自分の髪を指で梳いた。
ピンクベージュに染まったセミロングヘアが、サラリと揺れた。
そして、翌日。
「……どーも、マキです。牧場 の『牧』で、牧 …です」
どうやらマキさんの名前の漢字は、牧と書くらしい。
それを知っただけでも、嬉しくて涙が出そうだった。
目の前に、牧さんがいる。
どんなにこの日を待ち望んだことだろう。
久々に生で見た牧さんは、とても綺麗だった。
やっと……。
やっと、会えましたね。牧さん。
もう、この出会いを。
運命と、呼んでもいいですか――…。
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