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ラブ、おかわり #14
「入場前に牧さんが帰るって言ったときは、焦ったよ。まさか、『リア充アレルギー』があるなんて思ってなかったから……」
鳴海はそこで話を一度区切ると、何かを思い出すように口を噤 んだ。
いつの間に雨が止んでいたのだろう。
外からの雨音も消え、牧のワンルームの小さな部屋は一瞬の静寂に包まれる。
「……最初は、友達として隣にいられるだけで十分だと思ってた。でも、牧さんは話せば話すほど魅力的で、一緒に過ごすのが楽しくて。いつしか、友達じゃ物足りなくなってる欲張りな自分がいることにも、気づかされて」
そう言って、鳴海は残っていたりんごジュースを口へ運ぶ。
これまでずっと喋り通しだったので喉が乾いたのか、時間が経ってすっかり温くなったそれをゴクゴクと一気に飲み干した。
「――そんな時。牧さんから恋人になってほしいって言われて、本当にびっくりした。いつか、俺から告白するつもりでいたのに、先越されちゃったなって。……なんか俺、いつも牧さんにリードされてばっかだね」
情けない、と言いながら鳴海が苦笑いをすると。
「……何だよ、それ…」
それまでずっと黙って聞いていた牧がようやく口を開き、吐き捨てるように言葉を放つ。
ギリ、と指を拳の中に握り込んで、わなわなと震える牧の姿を見て。
「やっぱり……。こんな話聞いたら、牧さん怒るよね…」
鳴海が力無く微笑 って、テーブルへと目線を逸らそうとした、次の瞬間。
「そりゃ怒るに決まってんだろ!」
ダン! と勢い良く床を踏んで、牧が立ち上がる。
「鳴海を好きになったこととか、それを伝えてもいいのかどうかとか、男の俺とセックスするのは鳴海は嫌なんじゃないかとか。俺、今までいっぱい悩んできたんだぞ。鳴海がゲイだって知ってたら、あんなに思い詰めなくても済んだのに。無駄に悩んだ時間返せって、言いたくもなるだろ…!?」
どこで息継ぎをしたらいいのかわからないくらい、一気に捲し立てる。
鳴海から壮絶な話を聞かされたばかりでまだ頭の中が混乱しているものだから、言いたいことが纏まらないまま感情をぶつけることしかできない。
そして…。
「最初から俺のこと好きだったんなら、もっと早く言えっ! バカ…!!」
最後に、それだけ叫ぶ。
鳴海はそんな牧の様子を、ただ目を大きく開いて見上げていて。
ハァハァと息を切らした牧が「聞いてんのか」と声をかけると、鳴海は戸惑いの表情を浮かべながら応える。
「ごめん。あのデートは二人とも名前で女の子と間違えられたという設定だったから、俺がゲイだと話が成り立たなくなると思って…。だから、言えなかったんだ」
本当にごめん、と弱々しく謝る鳴海をしばらく見つめた後。
牧はふうっと大きく息を吐いて、再びその場に座り込んだ。
「……さっき、ずっと片想いしてた人をまだ好きなのかって聞いた時も。相手が俺だってことを鳴海がちゃんと説明してくれれば、別れ話になるまで話がこじれなくて済んだのに」
「それは…。牧さん、有島から全部聞いたって言っていたし、もう知ってるものだと思ってたから……」
「実際は、嘘吹き込まれただけだったけどな。あいつ本当に性格悪いな」
別れ話という単語を聞いて、先程の暁ヶ丘駅のカフェでのやり取りを思い出したのか。
鳴海は突如、萎 れた植物のように項垂 れる。
「……牧さんに何年も思いを寄せていたことがバレて。恥ずかしいけど、もう隠さなくていいんだって安心してたら、次の瞬間振られたからショックだったな……」
ぶつぶつと独り言を言う鳴海の声が聞こえて、牧は一瞬「う…」と口籠る。
「だって、まさか俺のことだと思ってなかったし……。な、鳴海こそ、何で反論しなかったんだよ。好きって言った直後にいきなり別れ話って、おかしいって思わなかったのか?」
「てっきり、一度会っただけの相手にずっと片想いされてたなんて気持ち悪い、って思われて嫌われたのかと……」
鳴海が気まずそうに言うと、牧は照れくさそうにその口を尖らせた。
「気持ち悪いわけないだろ。…………むしろ、嬉しいくらいだし」
「え?」
ぽつりと小さな声で牧が言った言葉を、鳴海は聞き逃さなかった。
ハッと顔を上げ、そして狼狽える。
「本当に? 俺のこと、嫌いになってないの……? あんなにストーカーみたいなことしてたのに?」
「嫌いになんて、なるわけねーじゃん。ついさっきまで俺、鳴海の一番になれるまで時間かかることすら覚悟してたんだから。いきなり目標達成できてラッキーって感じ」
そう言って、牧が破顔すると。
鳴海もようやくその頬を綻ばせた。
「初めて会った時から。牧さんは、俺の一番だよ」
久々に見た鳴海スマイルの眩しさに、牧は見事に心臓を射抜かれる。
――ヤバい。こんなに愛されてるなんて、幸せすぎて死にそう…。
牧が一人、心の中で身悶えていると。
鳴海は、気になる疑問があったことを思い出した。
「……ていうか。怒ってるのって、それだけ?」
「そうだけど?」
「牧さんに片想いしてたくせに、セフレがいたことについては怒らないの?」
「え? 何で? 俺とつき合う前の話なんだし、別に浮気とかじゃないだろ。あいつと似てるっていうのは癪だけど。俺だと思って抱いてたっていうなら、それだけ俺のこと好きだったってことなんだろうし…。許してたのが体だけで、逆に安心したっていうか…」
「じゃあ、牧さんのハンドクリームを勝手に使ったことについては……」
「ああ。そういえば鳴海ん家にあったあの空っぽのハンドクリーム、俺のだったんだな。道理で限定品なのに同じの持ってると思った。それだって、取りに行かなかった俺が悪いんだし。……まさか鳴海、オナニーで使ってたのが後ろめたくて、ハンドクリームのこと俺に黙ってたのか?」
「…………」
顔を真っ赤にして押し黙る鳴海を見て、ぷっと牧は吹き出した。
「なんか。鳴海って、意外と可愛いとこあるよな」
いつもの格好良くて優しい鳴海ももちろん好きだけど。
こういうダメなところも全部、愛おしいって思う。
「俺さ、今まで人に好かれてもウザいと思ったことしかなかったんだけど。鳴海にこうやって執着されるのは、すげぇ気分がいいっつーか」
「え…」
「こんなに人を好きになったの、初めてだからかな。好きで好きでしょうがない相手が、同じように自分のこと好きでいてくれてたっていうのがわかって、今めちゃくちゃ浮かれてんだけど」
「牧…さん……」
牧がテーブルに片肘を置いて、頬杖をつく。
ちょっと上目で鳴海の顔をじっと見つめるその表情は、どこか楽しそうで。
「……で? 俺の告白の返事、まだ貰ってないんだけど?」
「返事…?」
「俺ともう一度つき合ってくれるかって話」
「あの。そもそも俺、別れたつもりないんですけど」
「え? そうなのか?」
あっけらかんとしている牧を前にして、鳴海はあからさまに不貞腐れる。
「牧さんは今の俺の話、ちゃんと聞いてたんですか? あれだけ牧さんのこと想い続けてたんだから、そう簡単に手放すわけがないでしょう。それくらい、わかって――…」
鳴海の言葉は、そこで途切れた。
「よかった。彼氏なら、こうやって堂々とキスできるな」
唇が触れて、離れて。
そして。
懐かしい感触の後には、嬉しそうに笑う牧の顔があり…。
「牧さん…。あなたって人は、本当に……」
――どれだけ俺を虜にするつもりですか。
鳴海がそう囁くのと、ほぼ同時に。
今度は鳴海から牧へ、キスのお返しをする。
柔らかな舌を絡められれば、さっき飲んだりんごジュースの味が口の中に広がった。
そういえば、鳴海が初めてここに来たときにしたキスも、りんごタルトの味がしたんだっけ……。
ふとそんなことを牧が思い出していると、鳴海も同じことを思ったのか。
その頬を、りんごのように赤く染めた。
「雨、止んだみたいだけど。このまま、うち泊まってく?」
「そんなの。訊くまでもないでしょう?」
「……だな」
牧は窓のカーテンを閉めると、鳴海へと視線を戻す。
今夜は寒い夜だったはずなのに。
まっすぐ向けられる鳴海の眼差しは、火傷しそうなくらい熱い。
鳴海の秘密を知って。
なんだか、やっと本当の両想いになれたみたいだと、牧は言った。
そして、鳴海も同じ気持ちだと言う。
カーテンは閉じているけれど。
窓の外と同じような雨上がりの世界が、今の二人の瞳に映っていた。
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