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オレが歩けるようになったため、今度から食事は隣の部屋で摂ることになった。 その部屋はキッチンや大きめのテーブルがあり、オレが来るまで元々こちらで食事をしていたようだ。 夕飯を済ませるとガラドアが「もう一回飛行機勝負しようよ!」とそばにすり寄って来たので、新しい紙で飛行機を作り直し、飛ばして遊んだ。 ガウは食事の片づけをしていたが、片付けが終わるとすぐにガラドアに「ガウも一緒にやろ!」と誘われ一緒に折り紙を折り始めた。 ガウは几帳面なのかきっちり綺麗に折っていて、初めて作るくせにオレたちの作った中で一番綺麗だった。 しばらく紙飛行機を楽しんだ後「そろそろ宿題して寝る時間だ」とガウに促され、ガラドアはガウと別の部屋に入って行ったので、オレも自室に戻ることにした。 「…はぁ」 ベッドにごろんと寝転がる肋骨が少し痛んだが、最初の頃に比べたら、本当に良くなった。 (…シスさんが次に来る時には、家に帰れるかもって言ってたな…) " 家に帰れる " …それは待ち望んでいたことのはずなのに、喜びとは違う感じに胸がソワソワした。 帰りたくないわけじゃない。もちろん帰りたい。 (…だけど…) 何と言い表していいのか分からない妙な気持ちに襲われて、もう何も考えないように目をぎゅっと瞑った。 だけど今日は色んなことがありすぎて… 目を瞑ってみても、紙飛行機で遊んだこと、家に帰れると言われたこと、ガウの怪我にあの瞳… 色んな事が頭をよぎってぐるぐるとまわった。 それでも何も考えないようにと必死に思っていると…いつの間にか眠ってしまっていた。 「…ん…」 ぱちりと目を開けると、カーテンの隙間から光がほんの少し漏れていた。 多分そんなには寝てないから、人間にとっての朝か昼間…魔物にとってはまだまだ寝る時間帯だろう。 寝るつもりじゃなかったから寝る前にトイレに行きそびれてしまい、今更トイレに行きたくなってぶるりと体が震えた。 (2人は寝てるから静かにしないと…) 幸いなことに、今日からはガウを呼ばなくてもトイレに行ける。 痛まないよう体を起こして、音をたてないように松葉杖でゆっくりと立ち上がり、扉に向かう。 カチャ… ゆっくり扉を開けると、真っ暗な室内の端にあるソファーの上で、ガウがうずくまるようにして眠っていた。 (え…もしかしてガウ、いつもここで寝てたの…?) ガラドアの部屋はこのキッチンの隣にあるようだし…ガウの部屋だけないってことはないだろう。 オレの寝起きしている部屋は客間だと思っていたが、もしかしたらもともとガウの部屋だったのかもしれない。 (なんで…オレをソファーに寝かせればいいのに…) 申し訳なくて、胸がぎゅうっと締め付けられる。 ガウのそばに寄って顔を覗くと、閉じられていた長いまつげがぱちりと開き、真っ赤な瞳が現れた。 「……っ」 「…どうした?寝れないのか?」 ガウがゆっくりと体を起こす。 「…えっ、や、トイレに、起きて…」 「あぁ、そうか。もう1人でいけるもんな」 「……うん」 ガウはあくびをしながらぼりぼりと頭を掻いて綺麗な銀髪を揺らした。 その仕草だけ見れば、人間と何ら変わりない。 だけど頭を掻いているその左手は…今日つけられたはずの傷がどこにもない。 「………」 無意識に杖を持たない右手を伸ばして、ガウの腕に触れてしまった。 ガウは頭を掻くのを止めて、ソファーの上からオレを見上げた。 「…どうした?」 「………手、痛かったよね?オレのせいで、ごめん」 切られた場所をなぞるように撫でると、ガウがゆっくり手を下ろした。 「……そこも見ていたのか。大丈夫だ。傷はもう完全に消えているだろう?」 もう一度スッと左手を上げると、オレに見せるように向けた。 「…でも、傷が治っても…傷つけられて痛くないわけじゃないでしょ?」 そう言うと、ガウに少しきょとんとした顔をされた。 「…まぁ。だけどオレが勝手にしていることだ。お前が気に病むことじゃない」 「でも……」 オレが言葉に詰まると、ガウも何も言わないから少し沈黙が続いた。 「……シスさん治療の代価って言ってたけど…爪とか髪の毛とか、いつも渡してるんでしょ?代価だからって、なんでそんなもの渡さなきゃいけないの…」 ぽつりと呟くと、ガウの赤い瞳がこちらを射抜いた。 「…最初から見てたのか」 あまりに真っ直ぐなその瞳に、自分がひどくやましいことをしてしまった気がして俯くが、ガウは何でもないことの様に普通に返事をしてくれた。 「シスへの代価は大概そうだ。自分の爪や髪や血が多いが…魔物の情報だったりすることもある。シスは魔物が長寿だったり傷をすぐ治せたりすることを人間に生かせる部分がないか研究したいらしい。だからDNAを含むものを渡すことが多い。 …それにシスからは人間の情報を貰ったり、時々緊急用に献血用の血を少し分けてもらうことがある。だからそこはお互い様だ」 「そう…なんだ…」 シスさんはそういう考えでガウの髪や血を持って帰っていたのか。 医者じゃなくてもあの再生能力はすごいと感じるんだから、医者であるシスさんがそれを治療に生かしたいと思うのは、当たり前のことなのかもしれない。 そう考えた後に、ぱっといいことを思いついた。 「…じゃあ、オレも!ガウに何か代価を払うよ!」 「は?」 いつも無表情なガウがぱちくりと目を瞠ったのがなんだかおもしろくて、思わず笑ってしまう。 「オレはガウに助けてもらって、治療まで受けさせてもらえたから…だからオレもガウに代価を払う!人間のこととか…あんまり街に出ないから詳しくないけど、知ってることなら何でも伝えるし。血とかも、別に吸われるの、ガウが相手なら怖くないよ」 オレの言葉に、ガウはもっと目を瞠ってから、それからゆっくり微笑んだ。 (…綺麗だなぁ…) 思わず見とれていると、ガウはゆっくり顔を横に振った。 「いい。シスから献血を貰ってあるから、お前がわざわざ血を分ける必要はない」 「でもっ」 「…それに、そもそも吸血鬼の吸血行為は…ほとんどは求愛行為だ」 「え…?」 その言葉に、今度はオレが目を瞠った。 「吸血は大怪我した時の緊急的な栄養補給というか、治療行為のこともあるが…基本的には番にするための求愛行為や、愛情表現であることがほとんどだ。 血液からじゃなくとも食事でも栄養は摂れるからな。だから吸血鬼と言えど、番以外の生きている者から血をのむことは、緊急時以外まずありえない。…だから対価としてお前から血を貰うなど、ない」 確かに血を飲んでいた時のガウの目は、熱っぽくギラギラしていた。欲情してるようにも感じた。 あれは、求愛行為だったからなのか。 (…だからオレのは飲めないのか…シスさんの血は、飲んでたけど…) 何故だか胸がモヤモヤとして、何とも言い表せない気持ちだった。 ガウとシスさんは親密そうだし、オレは男だし、オレのは飲みたくないのは当然なのに。 「…それに、代価はもう貰った」 悩んでいるオレの頭に、ガウの言葉がすぅっと入って来た。 「え…?でもオレ、何も…」 顔をあげガウの方を見ると、ガウの優しい目と目が合った。 「…さっき、シスには人間の情報を貰ってると言ったろ」 「うん…でもオレ、別に情報なんて、ガウに何もあげてないし…」 ガウはゆるゆると首を振った。 「確かにお前から情報は貰ってないが…私がシスから情報を得ていた理由は、私は人間と魔物が共存できる世界を作りたいと思っているからなんだ」 「え…」 それは、自分では想像したこともない言葉だった。 「人間は"魔物は人間を襲う生き物だ"と思っているが…実際にはそうではない。 もちろん、野性的で凶暴的な魔物がいないというわけではない。人間界にも熊や狼といった人間や人間の田畑を襲ってしまう動物がいるように、魔物の中にも野性的なものがいて、それが人間や田畑を襲うことがあるのは確かだ。 だがそれ以外の者は、力はあっても凶暴なわけではないし、人間と同じ言語を操り、意思疎通も行うことができる。だったらもう少し、何かいい形で共存ができるんじゃないかと、私はずっと考えているんだ。 …父からの受け売りだがな」 そう言ってガウは笑った。 「…お前も、最初は私たちのことを、だいぶ怖がっていたろ」 「…え、あ……うん…」 申し訳なく頷くと、ガウも頷き返してくれた。 「…今の人間は、そう思ってる者が大半だ。だがほんの少しでも、私の声に耳を傾けてくれる者もいる。…シスも、その一人だ。 そしてお前も…最初よりはあまり私たちを怖く思わなくなったんじゃないか?」 「うん…」 あまりじゃなくて、全然、怖くない。 そう気持ちを込めて、今度は力強く頷いた。 「言葉が通じて、意思の疎通ができるんだ。 どうやったって考え方が違って納得してくれない者もいる。それでもちゃんと話し合えば、心を開いてくれる相手もいる。だから話し合いを続けていれば、もう少し分かり合える世界が作れるハズだ。 お前は、それが現実になるかもしれないと、そう思わせてくれた。それだけで、十分な対価だ。ありがとう」 そう言って、ガウがまた、笑った。 (ありがとう…なんて…) 最初の頃オレは魔物の実態も知らないで、勝手に怖がって、優しさも信じられずに疑って、勝手に怒鳴りつけたりしてたのに… 顔を俯けているとガウに「…トイレは大丈夫なのか?」と言われたので「行ってくる」と返事をして、慌ててトイレに入って便座に腰を下ろす。 (…ガウはずっとそんな考えでオレに接してくれてたのか…オレ、全然信用してなくて…酷いこといっぱい言った気がする…) ガウは最初、助けた相手に暴言を吐かれて一体どんな気持ちだったろうか。 過去の自分を思い出すと、あまりに情けなくて、申し訳なくて… じわりと目に、涙が滲んだ。

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