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はーち
「………だれ?」
可愛らしい女性は不機嫌そうに声をかけてくるが、喉に言葉が引っかかって何も答えられない。
一人暮らしの晴臣君の部屋から出てきたということは、彼女なんだろうか。
風呂にはもう入ったのかパジャマを着ているものの、ひどく乱れている。
そう、まるで事後のような。
「遥!!」
数秒遅れて聞こえた晴臣君の声に目の前の女が反応したのが見えて、気が付いたら踵を返していた。
「すいません、間違えました。」
世界から色が消えた。
そうだよ、何が俺のこと好きになっちゃったんじゃない?だよ。
天下のイケメン一条晴臣だぞ、彼女くらいいるに決まってんだろうが馬鹿だなぁ俺。
あれは、全部嘘なんだから。
文句も言わずに俺のペースに合わせてくれたのも、それが彼氏役として正しい行動だから。
年甲斐もなくはしゃぐ俺を可愛いと言ったのも、それが恋人役として当然だったから。
そうだよ、俺だって分かってたじゃん嘘だって。
嘘、だって。
「……分かってたはずだろっ!」
一刻も早く世界から遮断されたくて、力任せにドアノブを引く。
きっとあの料理だって彼女に作るための練習とかだったんだ。
そんな事にも気づかないで遠慮なく食べてたなんて。
晴臣君も酷い。
言ってくれればいくらだって付き合ったのに。
俺は土下座一つで簡単に頷いてしまう馬鹿なのに。
じわりと滲んでくる涙が嫌でも知らしめてくる。
誘われるままに部屋を訪ねるのは、ご飯が美味いからじゃない。
毎回朝まであの部屋に留まるのは、一人が寂しいからじゃない。
俺が晴臣君に会いたかったからだ。
俺が晴臣君の傍にいたかったからだ。
俺が、俺が晴臣君を。
「樹さん!!」
扉が閉まりきる寸前、僅かな隙間に差し込まれた足。
その持ち主が誰なのかなんて考える間もなく扉を強く引く。
「樹さん!開けてください!!」
その声には応えず目一杯腕に力を込める。
あんなに美味しかったはずの料理も口に指を突っ込んで吐き出してしまいたい。
あんなに楽しかったデートの思い出だって木っ端微塵に破いてしまいたい。
俺のためではないものなんて、もうこれ以上要らない。
俺のものになってほしいなんて、もうこれ以上思わない。
だからお願い。
「ほっといてくれ!!」
ふっと対抗する力が無くなったのを感じ、掴んでいたドアノブを離す。
晴臣君の足が抜き取られ隙間なく扉が閉じられる。
ボロボロ涙が零れるのも構わずに鍵に手を伸ばした、その時。
勢いよく扉が開き中に入ってきた晴臣君は、芸術品のように厳かに土下座した。
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