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第3話

 部下である彼との付き合いは、早十年ほどになる。  出しゃばることなく、半歩下がって主を支える。  というような、……間違ってもそんな殊勝な部下ではない。  口も出すし、場合によっては手も出す。  一度など、「いい加減に目を覚ませ」と張り手をかまされたこともある。  ……あれは…確か結婚詐欺にあったときだ。  おかげで未遂に防げたものの……、すっかり相手のΩにのぼせ上っていた自分はかなり酷いことを彼に言った。  たかが部下の分際でプライベートに口を出すな…みたいなことを、つい勢いで言ってしまった。  しかし、――それでも彼は目に涙を浮かべながらも、一歩も引かずに自分を諭した。 「本当に、あれがあんたの運命だと思うのならば、俺を思い切り殴り返してそいつのとこへ行け! さぁ、殴れよ!」  まさに捨て身の説得だった。  「俺の屍を越えていけ」的なシチュに、……なんだかすべてがバカバカしくなったし、なによりも、彼を殴ってまで相手のところへ行きたいなどとは爪の先ほども思わなかった。  ――ありえない話だ。  自分にずっと寄り添ってきてくれたこの部下を振り切ってまで相手のΩのところにいく価値が…意味がどこにも見いだせなかった。  同時に、熱病のようだった恋心もあっという間に冷めてしまった。  恋愛中は夢中になるが、これまでも不思議とそれを後に引きずることはなかった。  この相手と出会ったときに、鐘の音が鳴り響いていたから今度こそ『運命』だと思ったのに――、結局、冷めてしまった。  のちに、その鐘の音はたまたま近くの教会で執り行われていた結婚式の最中に鳴らされた音だと判明した。『運命』だと思ったのは勘違いだったのだ。 「あんたの恋愛バカさ加減にはほんとに愛想がつきる…」  すでに自分の秘書として働いていた彼に、付き合いきれないと云わんばかりの呆れきった顔で溜息を()かれ、夢川はドキリとして急激な不安感に襲われ、狼狽(うろた)えた。 「……や、やめないですよね?」 「……」 「お給料上げますからやめないでください。君に辞められると困ります」 「……」 「この間、テレビで観て行きたいと云っていた創作料理のお店を予約しますから」 「……………………ほんとに?」 「はい。デザートに同じビルに入っているパンケーキ専門店にも行きますか?」 「……………………行きたいけど、そんなにいっぺんに食べられない」 「では、そちらは別の日に行きましょう」  いかにもしぶしぶ…という感じに頷いた彼の頬が緩んでいるのをちゃんと目でチェックし、危機を乗り越えたことに安堵する。  エサで簡単に釣れてしまう部下のチョロさにいささか心配になるが、……妙な輩に引っかからないように自分が目を光らせておけばいいだけなので問題ないだろうと忠告は控えた。  なぜなら、彼がエサで釣られてくれなくなった場合、一番困るのは自分だからだ。

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