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紫の章13
「アオちゃん、一日中お部屋の中で食べてばっかりいると、そのうち歩けなくなっちゃいますよ〜」
と、シィンが心底心配そうに言うので、今日は紫龍園に散歩に来た。
久しぶりに訪れた紫龍園は晴天の澄んだ空の下、紫龍草の花が風でいっせいに揺らぐと、青紫の海のように見えて美しい。
葵はこの姿になって初めて思い切り走り回ってみたが、思った以上に気持ちいい。後ろ脚を蹴り上げて跳ぶように走る。
風を切って走るというよりも、葵が風を起こしているような感覚だ。
実際、シィンの横を駆け抜けると、白い長衣が風でめくれ上がり「ひゃはは!」と言って喜ぶので、何度もまわりを跳んでやる。
「アオちゃん、そんなにいっぱい跳べるなら、お空も飛べちゃいそうですね〜」
とシィンは言うが、確かに何となく空を飛ぶ方法が分かる気がした。
だがそれをすると大変な事になるのも分かる。まだ『あちら側』に行ってはいけない、と本能が警告してくるのだ。
(やはり、俺は青龍なんだろうか?)
「ほら、あちらをご覧になってください。一面青紫の中、あそこだけ緑になっております。このままでは紫龍園という名前ではなくて、緑園という名前になってしまいます」
「……。」
不意に足音と声が聞こえてきた方向を見てみると、遠くにグアンとフェイロン、それにお付きの者が何人か見えた。
「あれ?どうしたの?アオちゃん」
シィンが葵の様子に気付いて声をかけてきた。
「もしかして、あれってグアン様達?どうしたんだろう」
葵の視線を辿って気づいたようだ。シィンも相当視力がいい。
暫くすると侍従が持つ立派な紫色の日傘の下を歩いて、フェイロンがグアンを伴って現れた。
「なんだ?珍しいな。お前が食っちゃ寝以外の事をしてるのをはじめて見たぞ」
今日も龍の刺繍が施された紫色の長衣をさらりと着こなしながらフェイロンが言った。
こんなに派手な服を青空の下で着ても違和感がないなんて、つくづく嫌味な男である。
「青龍様、ご機嫌はいかがですか?シィンはちゃんとやってますでしょうか?」
グアンは優しい目でシィンを見ながら葵に尋ねてくる。シィンはすっかり恐縮して顔を伏せてしまっている。
葵というよりもシィンを心配しているのだろう。
「アオ!(勿論)」
葵は一回尾を地面に叩きつける。
「よろしゅうございました。私がなかなかお伺い出来なくて申し訳ありません。何かあったらシィンに言付けて頂ければ、直ぐに馳せ参じますので」
「待て」
突然、フェイロンが割って入ってきた。
「どうなさいました?陛下」
「それは、なんだ。その尻尾をパンッというやつだ」
「おや?言いませんでしたか?青龍様の尾を一度床に叩くと肯定で、二回続けて叩くと否定なのです。初めてお話させていただいた時に決めました」
シィンを気にしてグアンは小声でフェイロンに答えたが、そのシィンといえば、未だに恐縮してずっと顔を伏せたままでそれどころではない。
シィンの立場で皇帝と直接会話するのは、本来あり得ない事らしい。
覚悟を決めて皇帝の私室に入って来る時と、不意に出会ってしまった今日とは勝手が違うようだ。
グアンの話を聞いたフェイロンは、面白くなさそうな顔で「ほー」と言ったっきり黙りこくってしまった。
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