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黒の章7

 雨粒がますます激しく二人に叩きつける。 この雨はもしかしたら、フェイロンの涙なのかもしれないと葵は思った。 「俺がいなければ、真実の龍王が今ここに居たのかもしれない。俺がここにいること自体が天を欺く大罪だ。なのにお前は俺を静かに見つめるだけだ。お前は俺をどうしたいのだ!?」 初めてフェイロンが感情的に声を荒げた。 「お前の美しい瞳が俺を見つめる度に、俺は自分の罪に直面する。毎晩母の亡霊が、俺の夢枕にたって早く罪を償えと言って雷に打たれる。俺は自分がもっと強い人間だと思っていたが、もう限界だ…… いっそ早く俺を殺してくれ、アオ……」  瞳の奥がまた揺れた。 (フェイロン、そうか…フェイロンはいつも……) 「フェイロン、いつもそうやって泣くのを一人で耐えていたのか?」  突然呼びかけた葵に、フェイロンは驚いた顔でコチラを見た。  今、初めて葵に気付いたような顔をしている。 「フェイロン、そもそも貴方が償う罪ってなんだ?」  真っ直ぐにフェイロンを見つめながら問いかける葵に、フェイロンは戸惑いながらも弱々しく答えた。 「俺は……生まれながらに罪を背負ってる。皇帝の血筋ではないのに王座に付いている。いつでも死ねたのに、命を惜しんで罪を重ねた。生きてる事が罪なんだ……」 「違う!!!!」  葵は今までの人生でこんなに大きな声が出たのは初めてだった。  自分でもこんなに声が出るのに驚いた。それでも、違う。それは違うのだ。 「お前はただ、生まれただけだろう!!何が罪だ!?誰の罪だ!?母と父が愛しあって、お前は生まれてきただけじゃないのか!?何故それが罪なんだ!?おかしいだろう!?」  胸を搔き毟りたくなるような、どうしようもない熱が葵の奥底を駆け抜けた。 そうだ、生まれてきただけだ。生まれた事が罪なのか?そんな事は絶対ない。 自分が生きる事を、なぜ他の人に許して貰わなくてはいけないんだ!? フェイロンが紫の髪と瞳で生まれた事も、葵がオメガで生まれた事も、なんで誰かに許して貰わなくてはいけないんだろう。 だって、生まれてきただけなのに。 葵は猛烈に怒っていた。こんなに怒ったのは生まれて初めてだった。 今まで、人間の時に諦めていたものが、今、この獣の体になって爆発したようだった。 そうだ、葵も怒っていたんだ。諦めるフリをして、本当はずっとずっと怒っていた。 「しかし……俺は更に自分が、さも皇帝のような面をして玉座に着いていたんだ……これが罪でなくてなんになる?」 「違うだろう!?お前は頑張ったんだ。与えられた立場で、最大限生きる為に、お前は足掻いて足掻いて足掻き抜いたんだ!!」  そうだ、ずっと頑張ったんだ。フェイロンは母を守る為、葵は祖父に認められたくて、ずっとずっと頑張ってきたんだ。  誰かに褒められたくて、愛されたくて、認められたくて、ずっと足掻いてきた。  それの何が罪なんだろうか? 「アオ……」  ふと、自分は青龍じゃないかもしれない事を思い出した。 そして、これがフェイロンを救う好機である事も。  フェイロンは許されたがっているんだ、この姿の青龍に。  それこそ罪なのかもしれない…しかし…… 「フェイロン、俺が知ってる!!お前が頑張ってた事、俺が知ってる!!誰もお前を裁かない!!お前が自分を許さなくても、誰かがお前を許さなくても、俺が許すよ!!」  フェイロンの瞳が真っ直ぐに葵を凝視する。葵も真っ直ぐに揺らめく紫を見つめ返した。  そしてはっきりと告げる。 「フェイロンは俺の唯一無二の王だから!!」  その時、フェイロンはもしかしたら泣いたのかもしれない。  雨が急激に弱まり、紫龍草に光が当たって滴が煌く。晴れ上がっていく空の下でも、フェイロンの頬は濡れたままだった。  永遠にも感じる長い沈黙の後、フェイロンがおもむろに口を開いた。 「ーー本当は、初めて見た時から、お前の姿があまりにも美しくて心を奪われていた……」  ゆっくりと瞳が美しい弧を描く。  葵が初めて会った時フェイロンの手を舐めた時と同じ顔。  葵の心臓が高鳴る優しい紫の瞳の色。 「特に、お前のこの青空と同じ澄んだ瞳が、あまりにも綺麗で……お前が俺の龍ならどんなにいいかと……いいのか?俺の龍だと……言っていいのか?」  高鳴った心臓をそのまま鷲掴みにされたような感覚に陥った。  それでも安心させたくて、葵は必死に冷静を装って答えた。 「俺はお前の龍だよ。フェイロン…。お前に会うために俺はやってきたんだよ」 (そう、フェイロンは青龍の姿の俺に救いを求めてるだけ)  嬉しそうに微笑むフェイロンから目が離せなくなりながらも、葵は理性を総動員した。 (好きになっちゃダメだ……おれは山の民と言われる獣かもしれないし、第一、人間に戻れたとして、今更オメガとして抱いてくれとでもお願いするのか?わああ!絶対無理だ!!) 「触れてもいいか?」 「いっ!?い、いいよ……」  フェイロンがそっと葵の背から尾の部分を撫であげる。グアンに触れられた時は不快に感じた感触も今は心地良さしか感じない。 「ずっと、触れてみたかったんだ。お前が俺の上に乗る時、いつも我慢していた。 思ったより柔らかいんだな………触れると色が少し変わるのが不思議だ……美しい……」 (ダメだダメだダメだ!!好きになっちゃ!絶対ダメ!!!) 「お前の瞳はいつも何かを言っているように感じたが、声は初めて聞いたな。涼やかで美しい。いつもは喋らないのか?喋るのを我慢しているのか?」 「美し…!?い、いつもは喋れない……。多分フェイロンの夢の中だから……元の世界では喋っていたけど、こっちの世界では喋れないんだ」  ついでに本当は人の姿だった事は内緒だ。 「そうか……」  フェイロンは少し残念そうな素振りをしたが、気を取り直したように葵に向き直った。 「では、夢から覚めても、お前と話した証として、お前が俺に瞬きを三回する!というのはどうだ?グアンに尻尾を振る合図は先に取られたからな!うん、それがいい!」  もしかして、フェイロンはグアンとの合図の事、根に持っているんだろうか? 「別に良いけど……この夢覚めるの?」  フェイロンに聞くと、うーん、と唸って考える仕草をする。 「実は今目覚めようか、目覚めまいか悩んでいるところだ。何やら無理やり覚めろという意識と闘っているところだが、俺はもう少しお前と話したい……」 「覚まさないとどうなるの?」 「分からないが、暗闇が近づいている、気がする……もう目覚めないような……気がする……」 「ダメじゃないか!フェイロン!!急いで目を覚まして!!グアンも心配してるよ!!」 「しかしなぁ……」 「フェイロン!!」 「分かった、分かった。目を覚そう。だが、約束だぞ、瞬き……」 「三回でしょ!分かってるよ、俺の王様って言う合図だね」  葵が少し照れながら、自分の気持ちを伝えると、フェイロンは満足そうに笑った。 「あっ陛下!目を覚ましたんですね!!青龍様も!!突然意識を失くされて驚きましたよ!良かった!」  気付くとグアンと医師が手を取り合って喜んでいる。シィンは、良かったよー!とグアンの後ろで泣いていた。  目線を寝台に移すと、真ん中で、心持ち緊張して自分を見ているフェイロンと目が合った。  その顔があまりにも真剣で可愛いので、ちょっと悪戯心が出たが、また泣いたら可哀想だなという気持ちが勝った。 (フェイロン……)  お互いを見つめ合う時間はまるで永遠のようだ。  一回、二回、三回……ゆっくりとフェイロンの瞳を見つめながら、瞬きを繰り返す。  途端、フェイロンが深く安堵のため息をついた。 「まぁ、分かっていたがな。お前の瞳を見た時に、俺のアオだと言うことは」  笑いながら言ったが、紫の瞳がまた一瞬揺らいでいた事を葵は見逃さなかった。 (また、泣くのを我慢してるね、フェイロン)  葵は、プライドの高い王様のためにそっと笑いを噛み殺した。  

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