62 / 86
青の章15
控えめに膨らんだ下腹部をさすりながら微笑む蒼次の顔は、慈愛に満ち溢れている。葵の両親は物心ついた頃には亡くなっていたのでよく分からないが、自分の母親はこういう顔をしていたのかもしれないと、葵は朧気に思った。
「蒼次様……でも、紫龍草を召し上がらないと身体がもたないのでは?玄武もずっと心配しておりましたよ 」
「千太郎、玄武に私が紫龍草を食べていない事はもう言ってはいけないよ。アレは優しい子だ。私を心配しすぎてあの子の方が参ってしまう。私はこれでも青龍だ。これくらいでくたばりはしないさ」
「玄武を優しいなんて言うのは蒼次様くらいですよ。それに、蒼次様が玄武を心配させないように、最近会いに行くのを控えているから余計苛々して手に負えません 」
「そうかーーすまない。だが、もう少しだ。もう少しで産まれてきてくれるはずなのだ。そうしたら稚児と一緒に玄武のいる森へ挨拶に行こう」
千太郎が心配そうに蒼次を見る。もしかしたら、蒼次と子供の容体は思ったよりも良くないのかもしれない。
「ーー呆れているか、千太郎。我が身ならずも我が子まで危険にさらして産もうとする私の我欲を。この子は明らかに陽気が強すぎる。産まれてきても五体満足では産まれて来ぬかもしれない。それでも、この子を産もうとしている私は愚か者だと思うか 」
「蒼次様!!そのような事っ!!」
「私は、この子を産みたいと思う。我が君との子宝をこの地に産み落としたいと切に願う。
だが青龍としての自分は、なんて愚かな事をするのだとも思う。自然の摂理に従うべきだ。陰陽のバランスを崩すなどあってはならぬ事だと分かってはいるのだ 」
「蒼次様……」
「ーー私は、何者なんだろうな、千太郎。」
蒼次はずっと遠くの空をじっと見つめている。それは、千太郎に向かって言っているというよりも、天にでも問いかけているようだった。
先程の自信に満ち溢れていた青龍より、この人の方が明らかに危うげだ。過去の青龍が知りたかった事を恐らくこの人は知る事が出来たのだ。だがそれは、新たな苦しみを生んでいる。
千太郎は何を言っていいか分からないのか、困り果てた様子で暫し沈黙していた。だが、やがて吐き出すように言葉を発した。
「分かりません。でも、俺には青龍と言われる前の蒼次様と今の蒼次様の何が変わったか分かりません。俺にとっては蒼次様は蒼次様です」
最後はやけにキッパリと言い切った。真っ直ぐに見つめてくる千太郎の顔を、蒼次は呆けたようにまじまじと見つめた。そして、力が抜けたようにフッと口元を緩める。
「お前には、いつも助けられてばかりだ」
ああーーそうだよ。お前には、いつも助けられてばかりだったんだ、本当に。
葵が遠く離れた友に想いを馳せた途端、音もなく蒼次と千太郎の間には大きな黒い蛇が現れた。
ともだちにシェアしよう!