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苦手な生徒 4

♢ 「はぁあぁあぁ~……怖かったああ~……」  僕は職員室の自分の机に突っ伏し、なさけない声を上げた。  E組の授業の後はいつもこんな調子だ。周りの教師たちは僕の行動にすっかり慣れてしまっていて、誰も気にとめない。職員室の「いつもの風景」なのだ。 「つっくん、お疲れさま。はい、元気の元あげる」  職員室や生徒が近くに居ないときは、僕のことを「つっくん」と勝手に呼ぶ佐尾先生が、差し出した僕の手に、ピンクのチョコレートの包みを三個乗せてくれた。 「あんがと……」  僕は片方の頬を机にくっつけたままの格好で、お礼を言った。 「厳しい教師を装うのも大変よね。ま、端から見てると面白いけどー」  佐尾先生は、首もとでカールしたブラウンの毛先を指先でくるくる回した。行儀悪いけど、僕はそのままの姿勢で元気の元をあむ、と口へ放り込んだ。  断っておくけど、僕は別に佐尾先生と個人的なお付き合いしているわけではない。  彼女は親しくなるとあだ名をつけたくなるらしくて、そのせいで僕は他の先生達にも「つっくん」とか「つっくん先生」とか呼ばれて、それが定着しつつある(但し職員室内に限る)    ちなみに、教頭先生や学年主任や他の先輩方をあだ名で呼ぶのは彼女だけだろう。さすが自由学園、他の学校では考えられないことだ。  僕にとって、広い学園内で唯一、この職員室だけが素の姿をさらけ出せる自由な場所で、オアシスだ。  通常、生徒が職員室に入るのは禁止されていて、生徒が教師に用のあるときは、入り口で呼び出す決まりになっている。  自由な校風でも、ここだけはきっちり線引きされているのが救いだった。   こんな姿、絶対に生徒に知られるわけにはいかない。今までの努力が水の泡になってしまう。  運良く僕の席は、入り口から死角になっているから、本当にラッキーだった。 「実際はこーんなにラブリーなキャラなのに、子供たちの前じゃすっごく無理してるもんねえ。大変だ」   他人事だと思って……。佐尾先生は綺麗にマニキュアが塗られた爪にヤスリをかけている。僕はすん、と鼻をすすり、佐尾先生を上目遣いで見た。 「そんな目で見ないでよ、こっちがいじめてるみたいじゃない。ほんと、眼鏡外すとめちゃ可愛いのに、もったいないわよね」 「僕なんか可愛くないもん……」 「何言ってんの、可愛いわよ~、すっごく」  軽やかに職員室を出て行く華奢な後ろ姿を見送り、僕は再びため息をついた。  自分でも、かなり無理をして る自覚はある。本心では、生徒たちとフレンドリーに接して、勉強意外の話とかたくさんしたいって思う。  でも……でもだめなんだ。それじゃまた同じことをくり返してしまいそうで怖い。僕は、一人前の教師に成長したいから……。  僕がこの学園に来てから、厳しい教師を演じているのには理由がある。それは、過去の苦い経験からきていた。  数年前、憧れの教師になれたとき、僕は誓った。生徒と同じ目線で、彼らに関わりたいと。   自分にはそれが合っていると思ったし、なにより生徒たちも、そんなに僕に心を開いてくれた。新任だからクラスは持っていなかったけど、僕は生徒に人気のある教師だった。   押しが弱くてぬけてる性格も、生徒たちがカバーしてくれた。大人が頼りないと、反面教師で子供はしっかりするものだ。    なにもかもバランスよく、うまくいっていると思い込んでいた。小柄で童顔で、生徒の中に混じれば違和感がない。生徒たちと同じ目線のつもりだった。  いつの間にか僕と生徒たちの間では、最低限必要な線引きが曖昧になっていたのだ。  しっかり者で学級委員の女子と、大人っぽくて男子に人気の女子。彼女たち二人が、僕を間に挟んで喧嘩になった。  それは周囲も巻き込む騒ぎとなり、「子供同士の喧嘩」の範疇を超えてしまった。しかも、怪我人まで出てしまったのだ。  二人とも僕を純粋に慕ってくれていたのに、傷つけてしまった。僕は大人のくせに、彼女たちに頼りすぎていたのだ。    僕自身も、辞職に追い込まれてしまった。念願叶って実現した教師の道を踏み外したショックが大きくて、自分がなさけなくて落ち込んだ。  もう教師を諦めようかと思った。  けれど結局、再びこうして教壇に立っている。  やっぱり僕は、教師という職業が好きで、諦められなかったのだ。

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