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第96話
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「紅葉くん、お腹空いてない?
これ頂き物のお菓子…ここに置いておくから良かったら食べてね。」
「ありがとう…。」
あれから3日、友人たちが探し回ってくれたり、凪や光輝が大学や警察、買い取り業者や楽器店に問い合わせしてくれているのだが、紅葉のヴァイオリンはまだ見付かっていない。
紅葉は一人でいることを怖がるので、凪やみな、カナと過ごしていたのだが、多忙な時期でなかなかスケジュールの都合をつけるのも難しく、みなが一度東京を離れてみた方がいいのかもと言うので、凪が信頼して紅葉を預けられる場所…実家の母に託したのだ。
凪の母、早苗は多くを聞かなかったが、息子の頼みを2つ返事で受け、紅葉と平九郎を旅館の隣に建つ母屋へ招いた。
凪は紅葉と平九郎を車で連れて来て、そのまま帰京したのでかなりの強行スケジュールとなったが、今の紅葉には平九郎が必要なのでここで心身を休ませるように言ったのだ。
スマホだけはないと困るので、光輝が保護者ときて手続きして新しい物を購入して紅葉に渡した。
いつもの食欲はどこへやら、紅葉は凪の作ったご飯にも好物のお菓子にも手をつけないので早苗も心配そうだ。
忙しい仕事の合間を抜けて、客間で過ごす紅葉の様子を見にきてくれる。
「平ちゃんにお洋服着せたの?」
「毛が飛ぶから…」
本来ペット禁止だった母屋に平九郎を入れてもらったので、せめてもの対策をと紅葉は自分のTシャツを着せたのだ。
「気にしなくていいのに…。
実は主人も犬が好きみたいなの。
今までは旅館って言うとペットはダメだったんだけど、これからの時代は変えていかないとって離れの部屋もペット用とバリアフリー用も作ったのよ。
そうだ!せっかく着せるならいいのがあるわ!」
ちょっと待っててと言い、早苗が持ってきたのは従業員も着ている作務衣と旅館のロゴが入ったTシャツだった。
「着れるかしら?」
「これ浴衣? 平ちゃんに?」
「これは作務衣って言うの。浴衣より動きやすくて着るのも簡単よ。紅葉くんのね。
平ちゃんにはこっちのTシャツ!」
「僕に? みんなと同じ…? いいの?」
「これ着たからって別に表に出なくていいのよ。
…家族だもの。良かったら着てみてね。」
きっと似合うわと早苗は微笑んだ。
紅葉は彼女言葉が嬉しくて涙を流す。
「…こんなに早く紅葉くんが来てくれるとは思わなかったけど…喧嘩じゃないみたいだから良かったわ。私は頼ってもらえて嬉しいのよ?
…紅葉くん、ちょっと頑張り過ぎちゃったのね。ゆっくり休んで、次は元気な時に会いに来てね。」
「…失敗しちゃったの…。みんなに迷惑かけて…!変な電話とか来てないかな?」
「大丈夫よ。たまに変な人はいるけど、それはいろんな方と出会っていると一定数いるものなの。…悪いことしてるわけじゃないんだからあなたは堂々としていなさい。」
実の息子に言い聞かせるように凛としてそう告げる早苗。彼女は女将として、女将になる前からも苦労してきたのだろう、その言葉にとても説得力があった。
ヴァイオリンが見付からず、とりあえずベースは持ってきたのだが、弾くことが出来ない紅葉…2つの楽器は全く違うようでいて、紅葉の中では絶妙なバランスを保って存在しているのだ。
「このままベースもヴァイオリンも弾けなくなったらどうしよう…っ!」
「…大丈夫よ。凪が解決してくるって約束したんでしょう?信じて待ってあげて…
ダメならダメでその時考えたらいいの。
あ、2人でここで働いてもいいのよ?
ふふ、でもそんなことにはきっとならないわね。
さて…!そろそろまた忙しくなるわ…。
仕事に行く前に…!
紅葉くんの元気が出るように他にも良いものを持ってきたの!」
じゃーん!と効果音をつけて早苗が見せたのは古いアルバムで…
「小さい頃の凪、見たい?」
「っ! 見たいっ!!」
「このお菓子とお夕飯もきちんと食べるなら見せてあげます。」
躾に厳しい母に戻った早苗がそう言うと、紅葉は少し笑って頷いた。
「約束よ?1日1冊ね。
まずこれは赤ちゃんの頃ー!」
「わぁーっ!! かわいー!」
ここ数日で初めて笑顔を見せる紅葉…。
早苗は彼の傷が少しでも癒えるように願いながら紅葉の横顔を眺めた。
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