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第4話

       ***  田辺が選んだ宿は、創業百年に近い純日本建築の旅館だ。  源泉が引き込まれた内風呂のある離れに、本館。広い敷地に点在する建物は渡り廊下で結ばれ、大浴場がふたつと露天風呂がひとつ。  団体客で賑わうが、離れに泊まれば静かにしっぽりと楽しめる。  そう助言してきたのは、兄貴分の岩下だ。  温泉へ行こうとしていることは口にもしなかったし、態度に出たとも思えない。だから、大輔との温泉旅行にぴったりだとからかわれることもなかった。  つまり岩下は、愛する男嫁の佐和紀との温泉旅を自慢したかったのだ。田辺はもちろん、彼らのしっぽりとした夜を妄想した。  顔がきれいなだけで幼稚に毛が生えたようなチンピラも、いまや立派に若頭補佐の男嫁だ。いつ見ても和服を着ていて、身なりは数段にグレードアップした。女装をしなくても華やかで見栄えがする。  昔から付き合いのある田辺だが、佐和紀の中身には興味がない。いつだって、外見だけが興味本位な鑑賞の対象だ。だからこそ、温泉でしっぽり楽しんだと聞かされたなら、整った顔立ちが快楽に歪んでほどけていくのを想像してしまう。  だが、この頃は妄想も尻すぼまりだ。すぐに大輔とすり替わり、佐和紀が泣かされているように、腕に抱いた自分だけの相手に愛撫を与えたくなる。  恥ずかしがりながら悶え、最後には甘く喘いでしがみついてくる大輔は、普段のキリッといかつい姿からは想像がつかない卑猥さだ。初めから、誰にも見せない、田辺だけの大輔だった。  別れ際に熱っぽい視線を送っていた女子大生たちも考えつかないだろう。初めこそ田辺に声をかけてきた彼女たちだったが、すぐに大輔へなつく素振りを見せた。より心根の正しい男へなびくのは、嗅覚のいい証拠だ。  幼さの残る顔をして、いまどきの学生はそつがない。  岡村への電話を離れの部屋で済ませた田辺は、広縁の柔らかな椅子からゆっくりと立ち上がった。  部屋は本間十五畳に次の間が十畳。そこかしこに宮大工の遊び心が詰まった趣のある古い建物だ。広い離れを歩き回る大輔は、田舎の家を探検する都会の子どもみたいに目を輝かせていた。素直で屈託がなくて、かわいい。  電話をするから先に露天風呂へ行くように勧めたのは、温泉をゆっくり楽しむ時間を持たせるための配慮だ。一緒に入ると、どうしたって近づいてしまう。いたずらしてからかって、いちゃつく真似事をしたい田辺の自己満足だ。  それはあとの楽しみに取っておき、ひとまずは日々の疲れを溶かして欲しい。そのために選んだ宿だった。  浴衣に着替えて丹前を着込み、タオルと鍵を持つ。離れの外に出ると、夕暮れ間近の外気はひんやりと冷えていた。  十二月初旬にしては暖かい一日だったから、余計に寒く感じる。ぶるっと震えた田辺は、露天風呂へと足を向けた。渡り廊下の途中にはゆるやかに回る水車があり、庭の池を越えて進む。紅葉の名残が夕闇に沈みゆき、しんみりとした風情がある。  一度、本館へ入り、露天風呂へ続くドアから出た。  階段を下りていくと、正面に、ベンチが置かれた休憩所が見え、田辺は足を止める。  コロコロと鈴を鳴らすような笑い声がして、風呂上がりの大輔が目に飛び込んできた。  笑っているのは、向かい側に立っている女の子だ。先ほど助けた大学生のふたりがいた。  浴衣に丹前を羽織り、片方は長い髪をまとめあげている。その後れ毛をあざといと思いながら、田辺は隠れるともなく、階段脇につけられた手すりへと身を寄せた。  彼女たちと向かい合う大輔もまんざらではないように見える。薄く浮かべた笑顔は感じがいい。  大輔と田辺は、お互いに同性愛的嗜好はないまま、関係を結んだ。だから、大輔が女を抱きたくなっても不思議ではない。  そう考え始めた田辺は、すぐにうんざりと嫌な気分になる。  まるで冷静に観察できず、若い女の前に置けば、それなりに魅力的な大輔を見つめた。  外見こそ、いかつく不良っぽいが、内面はいつだって正義感溢れる警察官だ。  仕事を遂行するためなら、自分の身が汚れても怯まない強さもある。そして、その正義感に追い詰められて傷つく繊細さも持ち合わせていた。  男に生まれたから、男らしく生きる。口にすれば簡単なことだが、大輔は生真面目すぎて、自分のことを考えているつもりで相手のすべてを背負ってしまう。  それが美しい愛にならないで、結婚生活は破綻した。田辺が願った通りの展開だ。傷ついた大輔は両手の中に転がり込んできて、もう離すつもりはない。  できることなら、仕事を奪って閉じ込めたいぐらいだ。  でも、できない。大輔が必死に背負う生きざまの中に、いまや自分も含まれているのではないかと期待しているから。  大輔を甘やかして守る自分自身が、まるっとそっくり大輔の正義感に抱き込まれて背負われている。そう思うことの甘さに勝てるものはなかった。  どんなに美しい女をモノにするより、男の田辺さえも背負っていこうとする大輔を見つめていたい。それが田辺の、ありのままの本心だ。  そして、できることなら抱き寄せて、キスをして、柔らかなシーツの上で、すべての重荷を取り去ってしまいたい。秘めておくべき恥ずかしい交わりが自分にだけ許されているなら、田辺はたまらないほどの幸福に浸れる。  女の子たちの相手をしていた大輔がなにげなく視線を巡らせ、ようやく田辺を見た。  驚いたように眉を跳ねあげ、屈託なく手を挙げる。ちょいちょいと招き寄せられた。 「さっきの子たち。一緒の宿だったんだってさ」 「へー、そうなんだ」  答えた声にトゲが出てしまい、田辺は取り繕うように微笑んだ。 「たどり着けてよかったね」  優しさを装って声をかけると、ボブカットの女の子が身を乗り出した。 「さっきから名前を聞いてるのに、教えてくれないんですよ。意地悪じゃないですか」  ニコニコと楽しげな笑顔を見せているが、若い欲望は隠し切れていない。ここで再会できたことは運命だと言いたげに目を輝かせた。 「一緒に部屋食しましょ、ってお誘いしてたんですよー。離れなんですよね! うらやましい~。いいですよね? みんなで食べた方が楽しいし! 私、フロントでお願いしてきます」  ロングヘアの女の子が勢いよくまくし立て、田辺は苦笑いを大輔へ向けた。もしかしたら、それもいいと言い出すのではないかと危ぶむ。  しかし、大輔はにこりともしていなかった。 「いや、無理だ」  田辺の視線を無視して、大輔がはっきりと断った。 「若い女の子が、得体の知れない男の部屋に転がり込むものじゃない」  お堅いことを言われ、女の子の頬がヒクッと引きつる。若さが売りどきの女子大生だ。街では断られたことがないのだろう。 「えー、やだぁ。なに、されちゃうんだろぉー」  負けじと返した女の子の強さに、田辺は大輔を見守る。すると、大輔は不敵な笑みを浮かべた。 「俺が、この男にされるようなことかもな」  その言葉の意味を理解できず、女の子たちは揃ってポカンとする。驚いたのは、田辺も同じだ。しかし、大輔はかまわずに続けた。 「子どもを相手に遊べるほど若くないんだよな。正直、こわい。この話はこれで。……風呂、戻ろ。湯冷めする。おまえも」  丹前を引っ張られ、田辺は踵を返す。  その直前に、女の子たちをたしなめるように睨んだ。ヤクザらしい一睨みに、若いふたりはウサギのように素早く逃げ出した。やはり勘がいい。 「大輔さんのこと、ヤクザだと思ってそう」  行き着いた先の小屋で浴衣を脱ぎながら言うと、大輔は笑いながら帯を解く。 「変わらないんじゃねぇの? 大差ない」  そう言って、先客のある露天風呂へ出ていってしまう。まだ一度も身体を温めていない田辺は寒さに震えながら浴衣を脱いだ。大急ぎで湯の中に入り、ドライブで固まっていた身体をぐいっと伸ばす。  大輔は遠くに陣取り、のんきに空を見上げている。その首筋に見惚れ、田辺は引き寄せられるように近づいた。 「彼女たちと遊びたかったんじゃない?」  ふざけながら確かめたのは、女に対する興味の有無だ。  大輔もふざけ半分で乗ってくると思ったが、振り向いた顔はぎょっとしていた。  想定外の反応に田辺も驚き、ふたりはしばらく見つめ合う。 「あんなガキをコマしてどうするんだ……」  大輔のつぶやきに耳を傾けた田辺はかすかに眉をひそめる。湯に浸かる客たちがかわす世間話が遠のいて聞こえた。 「じゃあ、熟女だったら」  口にした先から、締まらない質問だと思ったが、拗ねているように取られるのなら、それもかまわなかった。 「なんで、そうなるんだよ……」  大輔はそっぽを向き、重いため息をつく。言葉を選んでいる気配が続き、田辺は待った。しかし、大輔は、 「あとふたつ、風呂があるんだって。晩メシの前に制覇しようぜ」  まったく違うことを言い出して逃げる。  問い詰めるには人目があり、するりと逃げていく後ろ姿を見送った。引き締まった背中と臀部が、肌から立ちのぼる湯気に包まれている。  色っぽさのかけらもないのに、ずんと下半身に響き、出るに出られない。ため息ひとつで、田辺は空を見上げた。藍色の空に小さな星がまたたいている。 「あーやちゃーん。はやくぅー」  知ってか知らずか、タオルで身体を拭いながら顔を出した大輔が無邪気な声をあげた。露天風呂の入浴客の視線が一気に田辺へ集まり、バツの悪さで股間が萎える。 「……ふざけんな」  とつぶやいたのは周りに対するごまかしに過ぎない。友人をこき下ろす振りで、田辺はザバリと立ち上がった。

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