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第3話
■ Ⅱ ■
人間にバースという分け方が生まれてから百年ほど経つ現代。十数年前からさらなるバースが確認されるようになった。
それがエクストラ・アルファである。初めは世界で十数人しか確認できなかったが、その数は徐々に増し、今では百人ほどいると言われている。だがそれは届け出がされた数だけであって、実際にはその陰に多くのエクストラ・アルファが隠れているかもしれない。
数がはっきりと把握できないのは、彼らが普通のアルファと違うと自覚するのに、少し時間がかかるからだ。
大抵の人間はアルファに覚醒した時点で、アルファだと思い込む。エクストラ・アルファはそれからしばらくして、本人の自覚により、発現する。そのため、一生、アルファだと思い込んで過ごす人間も多いとされていた。
少し人間離れした能力を持つ彼らの誕生は、人類の歴史を変えたと言っても過言ではない。特にアルファにとっては、その存在は脅威となった。アルファでさえ威圧されるオーラを放ち、そして完全にアルファとして覚醒していてもオメガにされてしまう事実。
そのため、ここ十年で、本来なら最高種アルファの集まりであったバース課の面々もできれば関わりたくないと思わせるバースとなってしまった。
そう、関わりたくない――。
倉持は大きく溜息をついた。
今日は朝の十時に、昨夜の摘発の書類をすべて提出し、その後、小さなバース絡みの事件に引っ張り出され、ぎりぎりまで後始末をしていた。そろそろ警察庁の前にアラブの王子様がやってくる時間だ。
彼を警察庁まで来させてはならなかった。ただでさえ目立つのに、倉持を迎えに来たところを誰かに見られたら、明日は噂の的になってしまう。
倉持は更衣室のロッカーに予備で置いてあった新品のシャツとネクタイを身に着け、忌々しい気持ちをロッカーのドアを力強く閉めることで表した。
そのまま更衣室のドアの近くの壁にかかっている姿見で、一応自分の姿をチェックする。全体的に精彩は欠けているが、徹夜明けにしてはましなほうだろう。
チェックを終え、更衣室から出ると、夜勤の女性職員の視線を感じるが、とりあえずは気づかない振りをする。
「倉持特別管理官だわ」
「相変わらず颯爽としていて、かっこいい……」
「バース課では断トツの男前よね」
そんなちょっと照れるような内容が聞こえてくるが、それも聞こえない振りをした。会釈でもしようものなら捕まってしまうからだ。普段なら付き合うが、今は一刻を争っているので、心の中で頭を下げながら、いち早くエントランスから出た。すぐにスマホで男に電話する。
『なんだ?』
余裕ある声で問われ、忌々しさが増す。
「殿下、今、どこにいらっしゃるんですか? っていうか、絶対警察庁の前なんて来ないでくださいよ。俺がそちらに行きます」
『そんなに私に会いたいとは、熱烈だな』
「言ってろ……じゃなくて、そんなことは絶対ありませんから。で、どこにいらっしゃるんですか? とにかくここには来ないでください」
『そう言うと思って、外で待機している。正門から向かって右側の信号二つ目の手前にいる。私は気遣いのできる男だろう?』
「本当に気遣いができるなら、最初から電話なんてかけてきてほしくはありませんね。じゃあ、切りますから」
乱暴に通話を切ると、倉持は言われた通りの場所へと向かった。しばらくすると黒塗りのベンツが停まっているのが目に入る。ナンバーを見て、それがカーディフの車であることを確認した。
近くまで行くと、助手席から側近の男が出てきて、倉持のために後部座席のドアを開けてくれた。
「お待ちしておりました。倉持様」
恭しく頭を下げられ、あんたも大変だなと言いたくなるのを抑えて、車へと乗り込んだ。後部座席にはカーディフが待っていた。
「早かったな」
「誰かさんに脅されましたからね。警察庁まで来るなんて言われたら、急がざるを得ないでしょう」
睨んでみるが、男は満足そうに笑みを浮かべるだけだ。まんまと彼の策に嵌まったということだろう。抗議するのも腹立たしくなり、倉持は腕を組んで前を向き座り直した。すぐに車が滑るように発車する。それと同時にカーディフがこちらを向いて、尋ねてきた。
「何か食べたか?」
「コンビニ弁当を食べましたよ」
一緒に夕食を食べるという状況を回避するために、そこはしっかりと伝える。すると彼の口端が意地悪げに持ち上げられた。
「なら話は早いな」
「え?」
「アディル、ホテルへ」
助手席に乗る側近に声をかけた。
「かしこまりました、殿下」
車が車線変更をし始める。
「すぐホテルですか?」
侮蔑を含んだ目で隣に座るカーディフを見つめると、彼が小さく笑った。
「お前の気持ちを汲んだだけだが? さっさと用事を済ませたいと顔に書いてあるぞ」
痛いところを突かれて言葉が詰まる。まったくこの男は人が悪い。
「じゃあ、俺が迷惑に思っていることもわかるでしょう?」
「そうだな。特別管理官にしては、感情が読みやすいからな」
ちらりと視線を送られ、思わず舌打ちしたくなるのを我慢した。
「……顔にすぐに感情が出る性質で、すみませんね」
「だが、それが私にだけというのが、いい。可愛いじゃないか。私には気を許しているということだろう?」
その言い方が気に食わない。むしろわざと反抗するように仕向けられているようだ。
「……あまりの自信過剰さに言葉を失いますよ」
「ほぉ……、なら言うが、お前は聞くところによると、課内ではポーカーフェイスらしいな」
思わず背凭れから起き上がって隣に座るカーディフを睨んだ。
「……殿下だけではありませんから。俺だって仕事以外は普通ですよ」
「真備とかいう男にもか?」
突然、真備の名前が出てきて驚く。この男は一体どこまで調べているのだろう。呆れながらも答えておく。
「真備は同期で、一応俺の部下です。ちゃんと公私分けて付き合ってますよ。それこそ殿下がとやかく言う筋合いはないと思います」
「なるほど、そうきたか。だが、お前は私との情報のやりとりをするために、その躰を餌にしたのだろう? 他の男とイチャイチャするのはマナー違反だと思うが?」
躰を餌にした――。
その通りだ。この男が倉持に関心があるのは以前から気づいていた。だからこそ、己の躰を餌にし、この男から秘密クラブの情報を得たのだ。
「……そうやって人を容赦なく追い詰めると嫌われますよ、殿下」
「おや? 私は嫌ってくれるほど、お前に好かれていたのか?」
「前言撤回。嫌うも嫌わないもない。殿下とはビジネスパートナー以下でも以上でもないですからね」
「手厳しいな」
低く笑う声が、悔しいが耳に心地いい。なんともいえない複雑な感情を持て余しながら、倉持は車窓に目を遣った。
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