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疑心
(五)
それはある日のことだった。男は偶然立ち寄った食事処でひょんな噂を耳にした。
『米問屋の主は牢獄で極楽のようにのびのびしている』
客同士が話していたのだ。
その内容は、米問屋に情報を漏らした者がいて、奉行所が匿(かくま)っているというのだ。
だが、藤次郎が裏切ったと判断するにはまだ早いのではないか。主の赤い血液が足下に滴り落ちていたし、藤次郎の刀も返り血を浴びた。
あれは見間違いようがない。
しかし。
男が阿片を密売している者と繋がりがあることをどこからともなく聞きつけ、阿片が欲しいと告げてきた彼がどうも腑(ふ)に落ちなかったのはたしかだ。
たしかに、岡っ引きは呼子笛を鳴らして、藤次郎が斬った主を見て人殺しと言った。
裏切ったとは言い難い。
……いやしかし、藤次郎が密偵だとするならば、話は別だ。
あの岡っ引きとも話をすりあわせていたのかもしれない。
米問屋の主から飛び散った血液だって何かしらの小細工である可能性は高い。
男は藤次郎の見てくれだけでなく、どこか陰を持つその性格もたいそう気に入っていた。
裏切られたかもしれないことで動揺を隠せない。
(殺してやりたい)
はらわたが煮えくりかえるような苛立ちが生まれた。
しかし、藤次郎はまだ利用価値がある。
それに自分の正体を悟られれば、姿をくらます恐れだってある。
ならば自分が体裁(ていさい)を与えよう。
何も知らない振りをして、藤次郎を罠に掛けるのだ。
仲間だと偽り、探り出そうとした罪は重い。
きちんと思い知らせてやらねばならない。
「もし俺をハメたんなら、うんと可愛がってやる」
男は分厚い唇を舌なめずりして血走った目を細めた。
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