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迷い子
(六)
斯 くして、藤次郎は少女を連れ、公儀の役人だろう男と共に番所を訪れていた。
「家はどこだ?」
「…………」
「親はどこにいる?」
「…………」
厄介なのは、番所の役人が少女に何を訊ねてもただ首を振るだけで口を開く気配すらないということだ。少女は依然として顔を俯 けたままだ。
「いけやせんぜ、銀之助様。この子、よっぽど恐い目に遭ったんでしょう。もしかすると、心の病で言葉が話せないのかもしれやせん」
どうやら藤次郎の恋の相手は銀之助と言うらしい。役人の言葉や仕草に親しみが込められていることからして顔見知りのようだ。やはり銀之助は公儀の手の者らしい。役人はお手上げだと彼に話した。
藤次郎が少女を見下ろせば、少女は硬く口を閉ざしている。あれだけ苦労して手にした饅頭は未だしっかりと手に持ったままだ。口に入れようともしない。
「うちは番所で幼子を預かる場所ではねぇんでさあ。困りましたねぇ」
椅子に腰掛けさせた少女を見やり、ほとほと困り果てた様子で役人がぽつりと呟いた。
沈黙が重い。誰もがだんまりを続けている少女に釘付けだ。
しかし、その沈黙は意外と長くは続かなかった。
「……しばらく俺が預かろう」
銀之助が薄い唇を開き、そう言った。
「いいんですかい? そうしてくれりゃあありがてぇ」
役人は待ってましたと言わんばかりだ。大きく頷いてみせた。
「何かわかったら知らせてくれ」
「それで、お前はどうする? 家に帰るか?」
銀之助は役人から藤次郎に視線を移し、訊ねる。驚いたのは藤次郎だ。自分は旗本の若侍を傷つけた罪人である。てっきり少女をこの番所に連れてくるのを口実に、身柄を拘束されるのかと思っていた。拍子抜けだ。
「俺をお縄にしないのか?」
藤次郎は逆に銀之助に訊ねるものの、けれど彼は気にすることもなく答える。
「どうせあの若侍が酔って嗾けたんだろう? 酒の匂いがぷんぷんしたからな」
「…………」
わかっていたならなぜ、銀之助は自分を罪人のように扱ったのだろうか。訊ねたくともここは番所で、ましてや子供の前だ。そのようなことを訊けるはずもない。だから藤次郎は話題を変えた。
「この状態でどうやって家に帰れと言えるんだ?」
藤次郎は少女を見下ろし、顎でしゃくって銀之助に訊ねた。
少女は未だに藤次郎の裾を掴んだきり、離そうとはしない。
「確かに」
銀之助は少女を見やり、大きく頷いた。
正直、あの長屋は重苦しい雰囲気が漂い、息が詰まる。
藤次郎の親代わりをしているあの男は自分がどうなろうが気にも留めないだろう。いくら待っても戻らぬ酒に苛立ちを覚えているに違いない。
「……安心しろ。俺に帰る家はないぜ?」
「……それは……」
銀之助の顔色が変わる。十八にもなって今さら同情なんてものはいらない。それが好いた相手なら尚のこと。自分が惨めになるだけだ。
藤次郎は腰を下ろし、少女と向かい合うと口を開いた。
「その饅頭はお前が獲得した獲物だ。誰も取らねぇからゆっくり食べな」
藤次郎のその言葉はぶっきらぼうだが、優しい声音だった。やはり少女からの返事はない。しかし、しっかりと持っていた饅頭を大きな口を開けて頬張りはじめた。
その光景に、その場に居合わせた役人も――そして銀之助もほっと胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
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