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ドナドナ②

ガツッ!という、鈍い音が、ドアの向こうから聞こえた。 「うわっ!」 「ったぁ」 「あ!うわぁ。ごめんなさい!ごめんなさい!大丈夫ですか?」 目の前で、大きな人が、おでこを押さえてうずくまっていた。 オレが、思い切り開けた扉に、おでこをぶつけてしまったみたい。 うわぁ……どうしよう! この人も、展示会に出る人、なのかな? 『大丈夫ですか?』と、軽く肩に手を置くと、その人が顔を上げた。 あ……。 ものすごくカッコイイ、おじさんだ。 いや、さすがに、展示会に出るには、年齢的に上過ぎるんじゃ……。 ……え? いや、待てよ? オレ、若殿の年なんて、知らなかった! え?もしかしたら、ものすごくおじさん、だったりして。 ……ぞっとした。 「あ、あの!展示会に出られる方、ですか?」 「あ。いや」 「はぁ、良かった。もし展示会に出られる方だったら、そのおでこ、どうしようかって……」 その人のおでこは、真っ赤に腫れてる。 「え?」 「あ!ああ、いえ!展示会に出なくても、おでこ!ごめんなさい!痛い、ですか?ですよね!大丈夫ですか?」 「ああ、いやいや大丈夫」 オレが、おでこに伸ばした手を取って、その人がにっこり笑いながら立ち上がった。 「あ、ごめんなさい」 「どこに行くつもりなのかな?展示会は、もうすぐ始まるんじゃない?」 「え、あ……ここのお宅の方、ですか?」 よく見ると、作業服のようなつなぎを着ている。 使用人さん、かな? 『格下の者には、威厳ある態度で振舞わないといけない』と言っていた、父上の言葉を思い出した。 「ああ、まぁ、ええ、使用人みたいな、もんかな?」 その人はそう言いながら、ふふっと笑った。 その割には、何だか堂々としてる使用人さんだ。 「あの。ちょっと、外に……」 格下の者には威厳ある態度で…とか言われても。 そんな急に、そんな態度、取れるわけないじゃないですか、父上。 オレ、そんな風に育てられてないし。 「え?雨が降ってるけど」 「あ、はい。でも、ちょっとだけ」 その時、向こう側に"ハクモクレン"の花が見えた。 このつなぎの人……庭から来たってことは、庭師さんじゃない? 庭木が見たいって言ったら、どうぞどうぞってことにならないかな? 我ながらいい案だ。 「あの、ハクモクレンを、近くで、見てみたくて……」 「お?」 あ。やっぱり、食いついた。この人、やっぱり、庭師さんなんだ。 「わかる?あれ、キレイでしょ?ハクモクレンなんて名前、よく知ってたね?花、好きなの?」 「あ、おばあ、あ、祖母が、花好きで。うちの庭にも、たくさんの花が咲いています。あ、庭師さん、なんですか?すごく綺麗なお庭ですね?」 「え、あ、うん。庭師……です。うん。ありがとう。褒めてくれて」 庭師さんは、楽しそうに笑うと、傘を差し出してくれた。 「かぶって行きなさい」 「いえ。お返し出来るかわからないので」 庭師さんの脇をすり抜けて、外に出た。 サーサーと、ミストのように降る春雨が、オレを濡らしていく。 「あ!ちょっと!」 庭師さんに止められる前に、雨の中、森に向かって走り出した。 ビシャビシャと飛び散る泥水が、オレの白い足袋を、茶色に染めていく。   ここまで汚れてるヤツ、奥方候補になんか、選ばれるわけ、ないよね? ほくそ笑んで、もういい加減戻らないと……と思ったオレの視界に、東屋が映った。 「え?」 東屋の中、だらりと垂れる、大きなしっぽが見える。 え?しっぽ?犬? 大型犬、かなぁ? オレは、東屋に近付いた。 「うわぁ!」 東屋には、ものすごく大きな白い犬が、横たわっていた。 こんな大きい犬、見たことない! くるくるとカールしている白いふかふかの毛に顔をうずめると、あったかくて、何だか、すごく……安心する。 この子、こんな大きいけど、すごくおとなしい犬みたい。 可愛いぃ! 犬を散々撫でていると、後ろから声を掛けられた。 「ここで、何をしておる?」 「ぅえっ?!」 振り返ると、番傘をかぶった、背の高い男の人が、そこに立っていた。 「あ、あの……」 「その犬に触るでない。危険だ」 「あ……」 オレは、何にも言えずに、東屋を飛び出して、元来た道を走った。 「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」 なんの返事も、出来なかった。 だって……。 あんな"人間"、見たことない。 「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ。」 日本人……じゃ、ないんじゃないの? ハーフ……かなぁ? モデルさんみたい。 っていうか、人間じゃないみたいだった。作り物?マネキン?に、近い感じ。 あんな顔の整ってる人、見たことない。 あの人も、展示会に出る人? だって、着物を着てたし。 あんなにカッコイイ人がいるなら、オレが選ばれることはないはずだ。 「ハァ……」 良かったぁ。 安心しながら、控え室に戻ろうと思ったら、お屋敷の近くで、たくさんの人に囲まれてしまった。 「柴牧家殿!いらっしゃいましたぞ!」 「青葉!お前、何を……」 「どうしちゃったの?その格好!」 雨の中、走り回ったオレは、ドロドロで、ずぶ濡れで……。 オレの、狙い通りだったんだけど……。 なんか。 こんな真似をした自分が、恥ずかしくなった。 だって……。 あんなカッコイイ人も出る展示会で、こんなオレが選ばれるはずがない。 いくら着飾っていたって、選ばれるわけないじゃんか。 なのに、こんな真似して。 選ばれるかもしれないって、思ってたってことでしょ? バカみたい……。 「ごめんなさい。迷ってしまって……」 「全く、あなたって子は……ホントに、本番に弱いんだから」 母様が、ドロドロのオレを抱きしめた。 自分が汚れちゃうのも、気にしないで。 心配、してくれたんだ。 「……ごめんなさい」 母様を、ギュッと抱きしめた。 母様って、ホントにおかしな人だけど…オレは、母様の愛情を疑ったことがない。いつでもわかりやすく、大事にしてるって、オレに教えてくれる。 そんなところが、いいんでしょう?父上。 オレも、母様が、大好きです。 「もう、着替えをしている時間がありません。すぐにこれをかぶって、ご参列ください」 真っ白な、長いベール?を頭から掛けられ、オレは、手を引かれて、奥へ奥へと連れて行かれた。 「あっくん、いってらっしゃい」 「え?母様は?」 「女人禁制だって、言ったでしょ?今日は特別入れたけど、それでもママが入れるのは、ここまで」 廊下の色が、そこから変わっていた。 「待ってるから。」 「……うん」 『待ってる』その言葉に、泣きたくなった。 こんな子供っぽいことをして、逃げようとしたオレなのに……。 ごめんなさい、母様。 だけど……。 やっぱり、男に嫁ぐなんて、絶対にイヤだからぁ! それは、それ! これは、これだから!

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