4 / 584
ドナドナ②
ガツッ!という、鈍い音が、ドアの向こうから聞こえた。
「うわっ!」
「ったぁ」
「あ!うわぁ。ごめんなさい!ごめんなさい!大丈夫ですか?」
目の前で、大きな人が、おでこを押さえてうずくまっていた。
オレが、思い切り開けた扉に、おでこをぶつけてしまったみたい。
うわぁ……どうしよう!
この人も、展示会に出る人、なのかな?
『大丈夫ですか?』と、軽く肩に手を置くと、その人が顔を上げた。
あ……。
ものすごくカッコイイ、おじさんだ。
いや、さすがに、展示会に出るには、年齢的に上過ぎるんじゃ……。
……え?
いや、待てよ?
オレ、若殿の年なんて、知らなかった!
え?もしかしたら、ものすごくおじさん、だったりして。
……ぞっとした。
「あ、あの!展示会に出られる方、ですか?」
「あ。いや」
「はぁ、良かった。もし展示会に出られる方だったら、そのおでこ、どうしようかって……」
その人のおでこは、真っ赤に腫れてる。
「え?」
「あ!ああ、いえ!展示会に出なくても、おでこ!ごめんなさい!痛い、ですか?ですよね!大丈夫ですか?」
「ああ、いやいや大丈夫」
オレが、おでこに伸ばした手を取って、その人がにっこり笑いながら立ち上がった。
「あ、ごめんなさい」
「どこに行くつもりなのかな?展示会は、もうすぐ始まるんじゃない?」
「え、あ……ここのお宅の方、ですか?」
よく見ると、作業服のようなつなぎを着ている。
使用人さん、かな?
『格下の者には、威厳ある態度で振舞わないといけない』と言っていた、父上の言葉を思い出した。
「ああ、まぁ、ええ、使用人みたいな、もんかな?」
その人はそう言いながら、ふふっと笑った。
その割には、何だか堂々としてる使用人さんだ。
「あの。ちょっと、外に……」
格下の者には威厳ある態度で…とか言われても。
そんな急に、そんな態度、取れるわけないじゃないですか、父上。
オレ、そんな風に育てられてないし。
「え?雨が降ってるけど」
「あ、はい。でも、ちょっとだけ」
その時、向こう側に"ハクモクレン"の花が見えた。
このつなぎの人……庭から来たってことは、庭師さんじゃない?
庭木が見たいって言ったら、どうぞどうぞってことにならないかな?
我ながらいい案だ。
「あの、ハクモクレンを、近くで、見てみたくて……」
「お?」
あ。やっぱり、食いついた。この人、やっぱり、庭師さんなんだ。
「わかる?あれ、キレイでしょ?ハクモクレンなんて名前、よく知ってたね?花、好きなの?」
「あ、おばあ、あ、祖母が、花好きで。うちの庭にも、たくさんの花が咲いています。あ、庭師さん、なんですか?すごく綺麗なお庭ですね?」
「え、あ、うん。庭師……です。うん。ありがとう。褒めてくれて」
庭師さんは、楽しそうに笑うと、傘を差し出してくれた。
「かぶって行きなさい」
「いえ。お返し出来るかわからないので」
庭師さんの脇をすり抜けて、外に出た。
サーサーと、ミストのように降る春雨が、オレを濡らしていく。
「あ!ちょっと!」
庭師さんに止められる前に、雨の中、森に向かって走り出した。
ビシャビシャと飛び散る泥水が、オレの白い足袋を、茶色に染めていく。
ここまで汚れてるヤツ、奥方候補になんか、選ばれるわけ、ないよね?
ほくそ笑んで、もういい加減戻らないと……と思ったオレの視界に、東屋が映った。
「え?」
東屋の中、だらりと垂れる、大きなしっぽが見える。
え?しっぽ?犬?
大型犬、かなぁ?
オレは、東屋に近付いた。
「うわぁ!」
東屋には、ものすごく大きな白い犬が、横たわっていた。
こんな大きい犬、見たことない!
くるくるとカールしている白いふかふかの毛に顔をうずめると、あったかくて、何だか、すごく……安心する。
この子、こんな大きいけど、すごくおとなしい犬みたい。
可愛いぃ!
犬を散々撫でていると、後ろから声を掛けられた。
「ここで、何をしておる?」
「ぅえっ?!」
振り返ると、番傘をかぶった、背の高い男の人が、そこに立っていた。
「あ、あの……」
「その犬に触るでない。危険だ」
「あ……」
オレは、何にも言えずに、東屋を飛び出して、元来た道を走った。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」
なんの返事も、出来なかった。
だって……。
あんな"人間"、見たことない。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ。」
日本人……じゃ、ないんじゃないの?
ハーフ……かなぁ?
モデルさんみたい。
っていうか、人間じゃないみたいだった。作り物?マネキン?に、近い感じ。
あんな顔の整ってる人、見たことない。
あの人も、展示会に出る人?
だって、着物を着てたし。
あんなにカッコイイ人がいるなら、オレが選ばれることはないはずだ。
「ハァ……」
良かったぁ。
安心しながら、控え室に戻ろうと思ったら、お屋敷の近くで、たくさんの人に囲まれてしまった。
「柴牧家殿!いらっしゃいましたぞ!」
「青葉!お前、何を……」
「どうしちゃったの?その格好!」
雨の中、走り回ったオレは、ドロドロで、ずぶ濡れで……。
オレの、狙い通りだったんだけど……。
なんか。
こんな真似をした自分が、恥ずかしくなった。
だって……。
あんなカッコイイ人も出る展示会で、こんなオレが選ばれるはずがない。
いくら着飾っていたって、選ばれるわけないじゃんか。
なのに、こんな真似して。
選ばれるかもしれないって、思ってたってことでしょ?
バカみたい……。
「ごめんなさい。迷ってしまって……」
「全く、あなたって子は……ホントに、本番に弱いんだから」
母様が、ドロドロのオレを抱きしめた。
自分が汚れちゃうのも、気にしないで。
心配、してくれたんだ。
「……ごめんなさい」
母様を、ギュッと抱きしめた。
母様って、ホントにおかしな人だけど…オレは、母様の愛情を疑ったことがない。いつでもわかりやすく、大事にしてるって、オレに教えてくれる。
そんなところが、いいんでしょう?父上。
オレも、母様が、大好きです。
「もう、着替えをしている時間がありません。すぐにこれをかぶって、ご参列ください」
真っ白な、長いベール?を頭から掛けられ、オレは、手を引かれて、奥へ奥へと連れて行かれた。
「あっくん、いってらっしゃい」
「え?母様は?」
「女人禁制だって、言ったでしょ?今日は特別入れたけど、それでもママが入れるのは、ここまで」
廊下の色が、そこから変わっていた。
「待ってるから。」
「……うん」
『待ってる』その言葉に、泣きたくなった。
こんな子供っぽいことをして、逃げようとしたオレなのに……。
ごめんなさい、母様。
だけど……。
やっぱり、男に嫁ぐなんて、絶対にイヤだからぁ!
それは、それ!
これは、これだから!
ともだちにシェアしよう!