5 / 584

入郭①

お茶室の"にじり口"のように、小さなドアから、中に入るよう、促された。 一緒に来た父上は、オレの背中を一回軽く叩くと、もっと先にある、観音開きの大きなドアから、中に入って行った。 「どうぞ。こちらにお座りください」 中に入ると、すでに何十人という、白いベールをかぶった人たちが、正座をしていた。 オレは、にじり口の近くの、一番端に座らされた。 濡れた着物が、体の体温を奪っていく。 体が、ブルブル震えていた。 寒いからなのか、怖いのか。 こんな格好で、若殿様の前に出ちゃっていいの? そう思うと……。 自分で望んで、汚れて来たって言うのに、今更ながら、心配になってきた。 オレがこんななせいで、父上が、手打ちになったらどうしよう。 座敷の奥のふすまが開いて、白いベールが、一斉に頭を下げた。 オレも一拍遅れて、畳におでこをこすりつけるほど、頭を下げた。 「これより、若殿様が品評なさる」 品評? こっそり目だけで、何をしているのか窺おうと思っても、あまりの遠さに、よく見えない。 目の前の畳が、オレの髪から滴る水滴で、色を変えていった。 うわぁ……これ、いいのかなぁ? 父上がお手打ちされたら……なんて心配してたけど、その前にオレが、お手打ち確定なんじゃ……。 すっ、すっ、と、畳を歩く音が、聞こえてくる。 うわぁ!怖いよぉ! どうしよう……父上!母様! 音だけ聞いていると、何人かで、畳を歩いているみたいだ。 どんどん、こちらに近付いてくる。 とうとう、隣の番になって、目の端に、白い足袋が見えた。 だけど、オレはもう怖くて。チラリと窺うなんてことすら、出来ない。 「いかがですか?若様」 「……」 「次が、最後の方ですよ?」 「わかっておる」 そんな会話が聞こえて来た。 「柴牧家《しばまきや》様の、ご子息様ですね?どうぞ、面をお上げください」 「あ」 白いベールを、めくられた。 その瞬間、吹き出す音が聞こえた。視線を上げると、目の前で、さっき東屋で会った"番傘の人"が、笑っていた。 「え?ぅえっ?!」 「若様、失礼ですよ」 番傘の人の隣で、カッコいい男の人が、顔をしかめながら、小さな声で囁いた。 いや、十分聞こえてますけど。 でも……。 番傘の人もカッコイイけど、この黒い着物を着た人も、すごくカッコイイ。 いや、っていうか。 それどころじゃなくて。 この"番傘の人"が……若殿、様? 「駒。湯浴みさせろ」 「かしこまりました」 番傘の人の隣に立っている"こま"と呼ばれた黒い着物の人が、オレに手を差し出した。 「柴牧、青葉様、ですね?どうぞ、お立ちください」 「え?」 出された手に手を乗せると、軽く引かれた。 だけど。 だけど! 順番が最後で、めちゃくちゃ待たされたオレは、これでもかってくらい、足がしびれているんですぅ! 立ち上がろうとしたその瞬間、バランスを崩して……。 オレは、"番傘の人"の胸に、飛び込んでいた。 「……」 「はっ!」 目の前のこの人が、本当に『若殿様』なら……。 オレはもう、お手打ち決定だ。 飛び込んだ拍子に踏んでしまった"若殿様"の足が、オレのドロドロの足袋のせいで、みるみるうちに、茶色く染まっていくのを見ながら、そう確信した。 父上、母様……。 先立つ不幸を、お許しください。

ともだちにシェアしよう!