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入郭②
「ひっ!」
若殿様の足袋が、茶色くなっていくのを見たからか、オレの隣に座っていたヤツが、小さく悲鳴を上げた。
「あ!あ、ご!ごめんなさい!」
すぐに足をどけると、またジーンと足先がしびれて、ぐらりと体が倒れそうになった。
それを、"若殿様"が、支えてくれて……今度はオレのドロドロベチャベチャの着物が、"若殿様"のキレイな着物を、汚していくぅ!ひぃぃ!
「あ……」
「駒。早う致せ」
「あ、失礼致しました。どうぞこちらに。青葉様」
"こま"と呼ばれたその穏やかそうな人に、腕を引かれた。
にこりと笑った"こま"様が、くるりと振り向くと、ものすごくムキムキしてそうな男の人たちがやってきて、オレの両腕を抱え込んだ。
「う、うわぁぁぁぁ!」
両脇を抱えられ、足が床につかない状態のまま、さっき入って来たのとは違う方の扉から、部屋を出された。
ひぃっ?!これからどこへ?
お手打ち?お手打ちルームですか?!
「ちょちょ、ちょっと!あ、あ、歩けます!歩けます!」
「いえ。青葉様。どうぞ、歩かないでいただけますか?」
「え?」
「その足袋で歩かれては……」
「あっ!ごめんなさい!ごめんなさい!畳も…すごく濡らしてしまって!あの人の足袋、とか。どうしよう、オレ……。お手打ちですか?」
「"オレ"は、あなたに似合いませんね。青葉様、青葉様が足を踏んでいらしたのは、"あの人"ではなく、若様です。」
「え?」
「本来でしたら、お手打ちでしょうね。そうなりたくなければ、暴れずにいらしてください」
こま様は、そう言って、ふふっと笑った。
やっぱり、あの番傘の、マネキンみたいな人が、"若殿様"なんだ……。
風呂場らしきところに通され、ようやく、床に足を付けられた。
目の前には、正座をしている、キレイな男の子たちがいて、オレに向かって一礼した。
だから、オレも急いで正座をして、男の子たちに頭を下げた。
「あ!そのようなこと、この者たちには、必要ありません!」
そう言って、こま様に腕を引かれて、頭を下げるのを止められた。
「え?」
「お前たち、粗相のないよう」
「はい。かしこまりました」
お辞儀をしていたそのキレイな男の子たちが、オレの着物の帯に手をかけ、解いていく。
「うえっ?!」
抵抗しようとすると、こま様が『大丈夫ですよ。ただの湯浴みです』と言ってきたんだけど!
"ただのゆあみ"って何?!
この状況!すでにただごとじゃないから!
人に着物を脱がされるなんて、記憶がある中じゃ、一度だってないんだけど!
いや、もうホント、赤ちゃんの時以来だってぇ!
シュルシュルと、慣れた手つきでオレの帯をほどいていく、キレイな顔をした男の子二人……。
ぎゃあ!ちょっと!
ええっ?!待って!
こま様にとっては、"ただの"でも、オレにとっては"ただの"どころじゃないんですってば!
ひぃ!
でも、さっきこま様が言ってた『手打ちにされたくなければ暴れないで』って言葉が頭に浮かんで、抵抗なんて出来ない!
いや!こんな、脱がされるくらいなら、まだ手打ちのほうが……。
いや!手打ちよりはやっぱり、脱がされるほうが……。
ぎゃあ!もうどうしたらいいの?!
オレが、襦袢を脱がされそうになった時、バタバタと音をたてて、男の人が入ってきた。
「候補様の湯浴みに入るとは、何事だ?!」
オレをサッと着物で包んで、ものすごい声を荒げたこま様は、別人みたいだった。
ん?
……ちょっと待って!
今なんて?
『候補様のゆあみ』?
え?
ちょっと待って!"候補様"って、若殿様の、奥方候補の、こと?
え?
「申し訳ございません!ですが、その湯浴みのことで、若様からのご伝言でございます」
「若様は、なんと?」
「はい」
その人は、こま様に耳打ちした。
「なんと!確かか?」
「はい」
「承知した。この件については、他言無用。よいな?」
「もちろんでございます」
こま様は、キレイな男の子たちに『下がって良し』と言い、二人をそこから出した。
こま様と二人だけのこの空間は、何か、空気が薄く感じた。
「青葉様」
「は、はいっ!」
「お一人で、湯浴みは出来ますでしょうか?」
「え?!」
いや、むしろ一人でしか、湯浴みしたくありません!
っていうか!
あの!"候補様"って……オレの、こと?
「では」
候補様のことをハッキリ聞けないまま、こま様は出て行ってしまった。
「はぁ……」
でも、深く考えている場合じゃない!もうめちゃくちゃ、寒い!
「っくしゅ!」
くしゃみが出たところで、急いで襦袢を脱いで、お風呂への扉を開けようとすると、誰かがいるような気がして、びっくりした。
気配がしたほうを見ると、すぐ隣に、鏡がある。
なんだ、鏡に映ったオレか……と思って、ふと見た鏡の中の自分に、更にびっくりした。
「ぶはっ!」
薄化粧だと思ってたオレの目の周りは、化粧がはげて真っ黒で、ほっぺたなんかも、泥だらけ!
そりゃあ、"若様"だって、吹き出すよ、これ。
こんなオレが、"候補様"のワケ、なくない?
いや!グダクダ悩んでる場合じゃない!とにかく早く、お風呂に入らせてもらおう。
「うわぁ……」
め……っちゃくちゃ、広い!
ちょっとした温泉より、広いじゃん!
オレは、体を洗ってから、すぐに湯船に浸かった。
「ふうぅ。」
あぁ、生き返る。
あったかぁい!
何だかこの温かさ……泣けてくる。
うう。
それにしたって、このお風呂!一人で入るには、広すぎる。
って、誰と入るっていうんだよ!一人でいいんだってば!一人で!
え?っていうか。
さっきのこま様の話っぷりだと、脱がされて誰かと一緒に入るのが、ここの"普通の湯浴み"ってこと?
……あの"若様"も、そうやって、お風呂に入ってるってこと?
「……」
オレが、本当に"候補様"になったんだとしよう!
そうだとして、お風呂に一人で入れないようなヤツと……結婚、するかもしれないってこと?!
ぜ〜〜〜〜ったい、やだっ!
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