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入郭⑤
その後、こま様から、細々とした説明を受けたけど、全く頭に入ってこなかった。
ぼうっとしているオレに、こま様の怒った声が聞こえてきた。
「雨花様!雨花様?!」
「へ?……うか?」
「雨花様……何もおわかりにならないのは、重々承知でございます。先程、柴牧家(しばまきや)殿より、お話を伺いました。雨花様は、今までなんの奥方教育もお受けではないとの事。奥方教育は、しなくてはならないという類のものではございません。が!しなくて良いというものでもないのです。奥方教育を子に受けさせていないということが、すなわち鎧鏡への忠義心の薄さの表れだと、柴牧家殿が叩かれることも、十分考えられるのですよ?柴牧家殿は、家臣の中でも、格の高いお方。その柴牧家殿が、かような振る舞いをなされたとあれば、柴牧家殿だけでなく、鎧鏡家の沽券にも関わる話なのでございます。これからの、雨花様の行動が、柴牧家の、ひいては、鎧鏡家の存続を左右するということにもなりかねません。どうぞ、その旨だけは、十二分にご自覚くださいますよう」
「……」
ごめんなさい。何を言っているのか、全くわからないです。
ものすごぉい、重い話、ってことは、なんとなく……。
えっと。
これからのオレが、うちと鎧鏡の存続を左右するとか……言ってたような、なかったような……。
「雨花様。雨花様には……」
「ちょっ、うかって?」
「はぁ……」
こま様が、盛大に溜息をついた。
ええ?!だって!
だってオレ!何にも、わからないです!うう……。
それから、こま様は、オレがわかりやすいように、『今必要なことだけをとりあえず説明いたします』と言って、説明してくれた。
オレの名前は、どうしてか"雨花(うか)"になったこと。
こま様の名前が、"駒様"だってこと。
オレは今日これから、ここに引越してくるんだってこと。
これからオレが住む場所が、梓の丸って区画の、"梓の間"っていう名前の屋敷だってこと。
オレに奥方教育をしていなかった父上は、みんなに袋叩きにあっても、文句は言えないんだってこと。
「え?!袋叩き?!父上は、大丈夫なんですか?!」
「この件につきましては、その事実を知る者は、少数でございます。雨花様も、どうぞご内密に。その分、雨花様には、頑張っていただかねばなりませんよ?ある程度、候補としての教養と振る舞いが出来るようになるまで、必死で学んでいただきます。そうでなければ、柴牧家殿がご失脚なさる、という事態を招きかねません」
「そんな……」
父上!
オレは、なんとか自分のダメっぷりを、あいつに見せつけてやろうと思ってたのに!
そんなことをしたら、父上が失脚ってこと?!
「それでは雨花様、参りましょうか?」
「え?」
駒様は、ニッコリ微笑んで、脱衣所の扉を開くと、先を歩き始めた。
廊下を歩く駒様とオレを見ると、みんなすぐに廊下に正座して、頭を下げていく。
う、わぁ。
『簡単に姿を見せるな』って、こういうこと?相手も、オレのことを、見てはいけないって言われてるんだ。
オレ、本当に、候補様になっちゃったの?
それにしても……。
長ぁい廊下を進んでいく間、見事に男しかいない。
"女人禁制"って、本当、なんだ。
ホントにオレ……。
もしかしたら、本当に、父上から生まれてきたんじゃ?って、疑いたくなってきた。
いやいや!イメージ的に、やだよ!
母様ぁ!
その後、時間は怒涛のように過ぎていった。
鎧鏡家からリムジンに乗せられて、駒様と一緒に、うちに戻った。
今日の朝、絶対に戻ると決意したその誓いは守られたけど、またすぐに出て行かなきゃならなくなるなんて!
昔から、『願い事は細かいところまで、きちんとしなくちゃダメよ』って、母様が言ってた。
今こそ、その本意がわかりました、母様!
いや、時すでに遅し、ですけど。
実家を出る時、母様が準備してくれていた、引越しとは名ばかりの、ほんの少しの手荷物を持たされた。
「ご両親に、最後のご挨拶をなさってください」
駒様に、そっと背中を押された。
え?!最後の挨拶?!
ええっ?!
「あの……オレ……」
あんまりな展開に、何が何だか。
え?最後って……もう、会えないの?
「青葉」
父上が、小さな刀を手渡してきた。
「え?」
「それは、お前の守刀だ。何かの時は、若様をお守りするため、何かの時は、自害するために使いなさい」
「ぅえっ?!」
え?今、自害って、言った?
え?ホントに最後の挨拶なの?!
いやだ!父上!
心で嘆く息子をよそに、父上は腕を組み、大きく頷きながら、話を続けた。
「お館様は、本当に心の広いお方だ。私が、お前に奥方教育をしていなかったことを責めもせず、逆にお前を濡らしてしまったと、謝ってくださった」
「は?」
何だか、父上が、全身で感動している!
「そんなお館様に接した今、お前に、奥方教育を施していなかったことが、心から悔やまれる。お前を即戦力の奥方候補様として、鎧鏡家に送り出せないとは……。パパは、自責の念に胸が張り裂けそうだ。青葉!どうか、この愚かな父のためにも、誠心誠意、鎧鏡家への忠義を尽くしてはくれまいか?」
「は?」
ツッコミ所が満載過ぎて……。
オレにどうしろって言うんですか!
それよりなにより……。
「あの、父上。即戦力の奥方候補って、なんなんですか?」
「え?そこ?」
え、だって、忠義を尽くすって意味もわかんないけど……。
もう、何もかもがわかりませんよ!
「いや、とにかく、もう、このうちには戻れぬと、そう覚悟しなさい。そうすれば、自ずと鎧鏡家の人間になっていける。いいね?鎧鏡家の皆さんに、可愛がっていただけるよう……お前なら大丈夫だ。誰よりも、お前の父として、お前の幸せを願っているよ」
「父上……」
泣きそうな顔をした父上に、オレも、もらい泣きしそうです。
「青葉。これより先は、我らを父、母と呼んではならぬ。候補様となられたからには、もう我々は、自分の家臣の一人だと心得、接するよう」
「そんな!」
「青葉」
母様が、オレをギュッと抱きしめてくれた。
「母様……」
「パパはあんなこと言ってるけど、私たちは、いつまでもあなたのパパとママに変わりないわ」
母様が、小さくそう耳打ちした。
「……」
オレが候補様に選ばれたら、何万石かもらえる!とか、言って浮かれてた母様が……。
泣けるじゃないですかぁ!
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