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母様といっしょ⑥

「折に触れ、その王羽の話を、千代にもしてきたつもりなんだけど……殿様らしくっていうのと、一人を幸せにすればいいっていうのは、なんていうか……真逆、だと思うんだ。千代には、一人を幸せにすればいいってこと、ピンと来てないように思えて……。王羽は、いずれ千代にも、わかる日がくるよって言うんだけど……」 「だったら、きっとわかる日がくると思います」 「え?」 「うちの父は、お館様の心の広さに、いたく感激していて……オレに、自分の代わりに、鎧鏡家に忠義を尽くして欲しいって、言いました。そんなお館様の言うことに、間違いはないって思います」 「あ……ありがとう、雨花様」 「あ!そうだ。"様"だなんて……青葉でいいです」 「そっか。うん。ありがとう、青葉」 御台様は、『本当は候補様をそんな風に呼び捨てにするなんて、叱られてしまうことなんだけどね』って、にっこり笑った。 オレが、わからないような顔をしていたのか、『この鎧鏡家では、誰より候補様が一番大切にされるべき存在だからだよ。聞いてない?』って教えてくれたんだけど……。 そんなこと、駒様から聞かされたことがなかった。 一番最初にここに来た日……あいつの嫁候補が、何人かいるってことを、駒様がわざわざ教えてくれなかったみたいに、それも嫁候補なら『知ってて当然』の、ことなのかもしれない。 ここにいればいるほど、オレが、鎧鏡家について、何にもわかってないことだけは、よくわかっていく。 「だから……千代が青葉を傷付けてしまったのは、私の、せいなんだ」 「そんな!違います!」 「青葉……」 「傷付いたのは……本当のことを、言われたから……なんです。だってオレ……本当に、なんの役にも立ってない、し」 御台様は、すっと椅子から立ち上がって、オレの横まで歩いてくると、頭をポンポンと、撫でた。 「ふ……ぅえ……」 そんなふうにされて、また泣き出したオレを、御台様は、ギュッと抱きしめてくれた。優しくされて、泣けるなんて。こんな気持ちになったこと、実家にいる時には、なかったのに。 ずっと、優しくされることが、当たり前だと思ってたんだ。 でも、それは違う。 こんな風に傷付いて、初めて、オレは恵まれて育ったんだって……わかった。 「ここにいればいいって言ったって、青葉はちゃんとした意味がないと、つらくなっちゃうんだね」 「うぇっ……ふっ、うっ……」 「ごめんね、青葉。……こんなに青葉を傷付けて……ごめん」 オレは、精一杯、首を横に振って、違いますって伝えようと思ったんだ。泣いているのは、傷付いたからじゃないんですって。 でも……うまく、言葉に出来なかった。 御台様は、泣き止むまでずっと、オレを抱きしめてくれた。 「すいません。もう、大丈夫です。……実家の父上と母様を思い出したら、泣けてきて……」 「……帰りたい?」 もちろん、帰りたい。許されるものなら……。 「私は、候補様をどうこう出来る立場ではないんだけど……青葉一人を逃がすくらいなら、出来ると思う」 「え?!」 「だけど」 「……」 「もう少し、あの子のこと……千代のこと、見てやってもらえないかな?青葉が、千代を嫌いなまま、実家に帰ることになったら……誰より私が、苦しいから」 眉を寄せた御台様が、泣きそうな顔をしていた。 この優しい御台様を、悲しませたくない……と、思った。 だけど、御台様。オレ……あまりにもここに居づらい状況を、オレ自身が作ってしまってるんです。 「あの……御台様」 「ん?」 「オレ……あいつ……若様に『役立たず』って言われて腹が立って……『オレが役立たずなら、お前は無能だ』って、言っちゃったんです。きっとオレ……見つかったら、手打ちに、なってしまうと、思うんです。だから、ここに残ったとしても、生きていられるかどうか……」 「え?」 びっくりした顔をした御台様は、そのあと、お腹を抱えてしばらく笑った。 こっちは、生きるか死ぬかの瀬戸際なんですけど……御台様……。 御台様はひとしきり笑うと、『大丈夫。私に任せておいて。心配いらないよ』って、ウインクして、また、我慢出来ないという感じで、吹き出した。 いや、自分の息子が『無能』呼ばわりされたっていうのに、笑ってていいんですか?御台様……。

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