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若様観察日記①
5月21日 晴れ
鎧鏡家に来てから、7週間が経ちました。
オレは今……昨日あんなことがあって、もう二度と顔も見たくないと思っていた『鎧鏡くん』を観察しなくちゃ!っていう、使命感に燃えていた。
なんてったってオレは、あの母様から、あいつの様子を教えて欲しいって依頼されてるんだから。
昨日、自分があいつに言ってしまったひどい言葉を思い出すと、顔を合わせるのは、気が重いけど……。
母様は、手打ちになんかさせないって、言ってくれたし。
オレは悪くない!気を重くする必要なんか、ないんだから!
下駄箱で靴を履き替えていると、ちょうどそこに、あいつがやって来た。
オレを見もせず、スタスタと歩いて、自分の靴箱の前で止まった。
「……」
やっぱり怖いよぉ!
いや、でもとりあえず……少なくとも、今ここで、手打ちにはならない、感じ?
そもそも手打ちって、何だかよくわかってないけど。
母様は、手打ちにさせないって言ってくれたけど、この場に母様はいないし!
もしこいつが、ものすごーーく怒っているとしたら、母様の制止なんか聞かずに、いくらでも手打ちに出来るんじゃないの?
そう思うと、ものすごくドキドキしてくる。
だってオレ……よくよく考えれば……いや、そんな考えなくたって、こいつに相当ひどいこと、言っちゃってるよね?いや、確実に言っちゃってる。
オレのすぐ隣にいる『鎧鏡くん』は、オレなんか見えてないんじゃないかってくらい、知らんぷりで、上履きに履き替えていて……。
やっぱり……怒ってる……よね?
オレ……謝ろう、かな?
こいつが悪いとは言え、売り言葉に買い言葉で、ひどいことを言ったのは、事実だし。
ひどいことを言われたからって、それに対して、ひどい言葉で返したオレだって、こいつと同罪ってことになるんじゃないの?
あんなにオレは傷付いて、あんなにビービー泣いたくらいだ。
こいつだって……傷付いてないわけ……ない、よね。
「すまぬ」
うだうだ悩んでいるオレの横で、そんな声が聞こえた。
反射的にそちらを向くと、『鎧鏡くん』が、オレに頭を下げていた。
「えっ?!」
え?え?えええ?!なに?なに?!
「そなた、御台殿に言いつけたな」
「は?」
「余は……そなたが役立たずだなどと、言った覚えはない」
下げていた頭をすぐに戻し、『鎧鏡くん』は、ほんの少し口を尖らせながら、そんなことを言ってきた。
はぁ?!
役立たずなんて言ってないだと?
どの口が、そんなこと言ってんだよ!
「言ったよ!役立たずって!それは間違いなく言いました!」
「そなたが思い違いをしておるだけであろう?」
「は?」
何言っちゃってんの?こいつ!
思い違いするも何も、どうやったら、思い違えるのかがわかんないよ!
役立たずって、役に立たないって意味の他に、殿様言葉では違う意味でもあるわけ?
「役立たずだとしても……と、言うたのだ。そなたを、役立たずとは、思うておらぬ」
「……え?」
どういう、こと?
「万が一、そなたが役立たずだったとしても、余の嫁候補だ……と、言うたのだ。余は、そなたが候補として、鎧鏡の役に立っていない奴だ、とは、一言も言うておらぬ」
え……ちょっと待って。
なに?それ?え?どういうこと?
「そなたが、慣れぬ環境の中で、懸命に鎧鏡について勉強しておることは、駒より逐一報告を受けておる。余は、そなたを役立たずだなどと、思ったことは、一度たりともない」
ちょっと待って。
うわ、なんか、え?
こいつが言ってる内容が、よく飲み込めないのに……先に、なんか涙が……。
うわ、どうしよう、泣いちゃいそう、なんだけど。
やだ、やだ!こいつの前で泣くとか、カッコ悪い!
思いっきり、下唇を噛んだ。
「早合点して、御台殿に言いつけおって。おかげで夕べ遅くに、御台殿に、散々泣きつかれたではないか」
「え?!」
母様、あの後すぐに、そんなことをしてくれたんだ。
あ、ちょっとオレ……もう、無理。
「ちょっと……トイレ」
「あ?」
呆気にとられている『鎧鏡くん』が見えたけど、もう、無理。
オレはトイレに駆け込んで、声を殺して、泣いた。
オレは、役立たずじゃなかったんだ!
あいつにとって、役立たずじゃ……。
って……え?!
オレ……何をそんなに、喜んでるの。
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