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若様観察日記④
学校から鎧鏡家に戻ると、奥方教育を受けて、小姓の二人と夕飯を食べて、宿題をしたりしてから寝るのが、昨日までのオレの日課だった。
でも、今日からはその日課に、夕飯のあとのシロの散歩が加わった。
今夜は、さんみさんが付いてきてくれて、三の丸のあたりまで行って、帰って来た。
梓の丸に戻ってくると、みんなが何だか、わたわたしている。
「どうしたんですか?」
部屋の片付けを指示しているいちいさんに、声をかけた。
「あ!雨花様!お帰りなさいませ!今、お迎えに参ろうかと思っておりました。どうぞお早くお支度を!あ。いえいえ。雨花様はそのままでいいとのご指示でございました。すぐに、手を洗っていただいて……」
「え?なにがあるんですか?」
「あ!失礼致しました。急なことで、ご説明がまだでした。おめでとうございます、雨花様。若様のお渡りでございます」
「……うえええ?!」
「おめでとうございます!雨花様!」
「おめでとうございます!」
前回のお渡りの時以上に、盛り上がってくれちゃってる、側仕えさんたち……。
いや、あの……めちゃくちゃ喜んでもらって、すごく、申し訳ないんですけど……今日の学校での、皇の様子を思い浮かべる限り、今日のお渡りは多分、オレにっていうか……シロへのお渡り、だと思います。
「雨花様」
隣に歩いてきたあげはが、オレの袖を引いた。
夕べ……母様のところから戻って、いちいさんに謝った後、急いであげはの部屋に向かって走った。
森であげはを見失ったあと、無事に戻って来たか、心配だった。
あれだけ、迷いなく森の中を歩いていた感じからして、迷子になることはないだろうとは、思っていたけど……。
あげはの部屋に入ると、あげははベッドですうすう寝ていた。あげはの寝顔を見ると、すごく安心して、また泣きそうになった。
後ろから付いてきたいちいさんに、あげはがいつ戻ったのか聞くと、『どこにも出掛けていないと思います』と、言われた。
あげはが外に出ていないなら、夕べ、森でオレの手を引いて、三の丸まで連れて行ってくれたのって……あげはじゃなかったってこと?
いちいさんが、嘘を言うわけないし。
じゃあ、夕べのあの子は、一体誰だったんだろう?
今、オレの袖を引いているこのあげはとは、確かに雰囲気が全然違っていたけど、見た目はあげはに、そっくりだった。
「なに?」
袖を引くあげはにそう聞くと、いつもと同じように、ニッコリ笑いかけてくる。
んん、やっぱり夕べの子、別人、なのかな?
「側仕えのボクたちのためにも、ヨトギ、頑張ってくださいね、雨花様」
「……は?」
え?夜伽を頑張れって……え?!意味わかって言ってんの?!あげは!
「ボクたち、雨花様が奥方様になれないと、みんなカイコ処分なんだそうです」
「え?!」
「こら、あげは!」
すぐ近くにいたさんみさんが、あげはに向かって『めっ!』という顔をした。
え?どういう、こと?かいこ?……解雇処分?!
「だって、この前お梅様の側仕えが、お菓子を持って来てくださった時に、言われたんです。『キミ、雨花様付きなの?可哀想だね』って」
「え?!」
どういう、こと?
「『奥方様になれない候補様の側仕えは、みんなカイコされるらしいよ』って、言われました。『私はお梅様についていて良かった』って、その人が言ったんです。だからボクは、『ボクは雨花様についていて本当に良かったと思っています』って言ってやりましたけどね!」
「あげは……」
オレは、そんなあげはを、ぎゅうっと抱きしめた。
「そんな心配させてたなんて……ごめんね、あげは」
「雨花様?」
まだ、こんな小さいのに。そんなイヤなことを言われて、そんな心配してたなんて……。
でもだからって、オレが奥方様になるなんて、万に一つもないけど……。
オレは、『雨花様についていて良かった』なんて、言ってもらえるような候補じゃない。
でも……。
「大丈夫だよ。そんな心配、しないで。候補様たちは、すごくいい人たちばっかりだから、誰が奥方様になったとしても、みんなが続けてこの鎧鏡家で働けるように、オレからお願いするから。ね?」
「雨花様……」
駒様が奥方になっても、ふっきーがなっても、梅ちゃんがなっても、それはお願いしたら、大丈夫だって思う。
もう一人の『お誓の方様』には、一度もお会いしたことはないけど。
万が一の時は、母様にお願いしてみよう。
「大丈夫だよ」
「ありがとうございます、雨花様」
あげはが、ぎゅうっと抱きついた。
「雨花様、若様のお渡りでございます!」
駒様の声が、廊下から聞こえた。
「あ、はい!」
誰もいなくなった部屋で、オレは床に正座して、頭を下げて皇を待った。
そうしながら、あげはの言葉に、自分の甘さを、思い知らされていた。
昨日……逃げ帰らないで、本当に良かった。
オレがそんなことをしていたら、梓の丸で働いてくれている人たち、今頃、どうなっていたんだろう?
オレは、自分のことばっかりで、側仕えさんたちのことなんて、全然考えていなかった。
無理矢理させられた候補とはいえ、オレがどう思っていようが関係なく、間違いなくオレは、奥方候補……なんだ。
何人も、オレのためだけに、働いてくれる人たちがいる。
候補はいるだけで意味があるって、母様が言っていたこと、昨日はわからなかったけど、今、ちょっとその意味が、わかった気がした。
だけど……。
だからって、側仕えさんたちのために、夜伽を頑張ろう!なんて、思えないよ。ホントにごめんね、あげは!
それはホント、オレには無理!
そうだ!もうこうなったら、ガツンとあいつに言ってやる!夜伽、とか、命じられたら、『お前と夜伽をする気はない!』って。
あいつだって、なんでも言ってこいって、言ってたし。
だって……オレには、考えられないよ。
まさか、そんな、その……夜伽、の、最初の相手が、同性、とか。
だから!オレは、ごくごく普通に育てられてきてるんだってば!
もう一回生まれ変わりでもしない限り、そんなの、受け入れられないし!
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