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若様観察日記⑤
「去 ね」
「はい」
皇を連れて来た駒様が、外に出て行ってしまった。
今回は、駒様がいなくなっても、この前みたいに、緊張はしなかった。だって今夜は、シロへのお渡りだろうし。
……そう、だよね?
「シロ」
皇が、嬉しそうにシロを呼んだ。
ほら、やっぱりね。
そんな嬉しそうな顔、しちゃってさ。
役立たずって言われた誤解が解けて、こいつとたくさん話をしたからか、オレの中で、ずっとマネキンみたいだって思っていたこいつが、どんどんマネキンじゃなくなってる。
シロが、ソファに座っている皇の足に、ゆっくりと歩いて行って擦り寄った。
「よくシロを手懐けたものだな。どのような手を使ったのだ?」
「は?人聞き悪いんだけど。手懐けてなんかいないよ。シロがオレを好きになってくれただけ!」
「シロは今まで、余と御台殿にしか懐いておらぬ。お館様にすら、うなるのだ」
「え?そうなの?うちの側仕えさんたちには、うならなくなったよ?」
「なに?!」
夕べ、連れて帰ってきたシロと、あの無駄に大きなベッドで一緒に寝た。
いちいさんに怒られるかと思ったけど、何も言われなかったから。
でも今朝、側仕えさんたちが、オレの部屋に入ってきてから、シロがみんなを威嚇し始めちゃって、ちょっと大変だったんだ。
何とかシロをなだめようと、体を撫でながら、側仕えさんたちを紹介していったら、うならなくはなった。オレ以外には、触らせようとはしないけど。
その話を、皇に聞かせてやった。
「なんと……そのような手段で、このシロが納得するとは」
「シロ、知らない人が怖かっただけなんじゃないの?大丈夫だよって言ってあげれば、うならなくなったんだから。頭いいよね、シロって。ね?シロ」
床に正座したまま、シロに手を伸ばすと、シロはオレのもとにやって来て、すぐ隣に伏せをした。
「不思議なヤツ」
「ホントだね。シロって、こんな大きいけど、何て種類の犬?」
「不思議なのは、そなたのことだ。シロの話も、聞いてはおらぬか?シロは狛犬 だ」
「こまいぬ?ふぅん……そんな種類いるんだ?初めて聞いた」
「いずれ、シロの対である、シシに会うこともあろう」
「つい?しし?」
「いや、それはもう良い。後に説明もあろう。……雨花」
皇が、ソファから立ち上がって、オレの前に正座した。
オレは、皇を迎えたまま、その場に正座しっぱなしでいて……そのオレの前に、皇が正座で座り込んだ。
なんていうか……。
あれ?なんか、やばい雰囲気?
え?だって今日は、シロへのお渡り……でしょ?
いや!
いやいや!万が一、こいつがそんな気だったとしたら、今夜ここでハッキリ言ってやる!
夜伽は出来ない!って。
だって、候補はここにいるだけでいいなら、夜伽をするしないは、どうでもいいはずでしょ?だよね!
「雨花」
「なに?」
「一つ……言っておきたいことがある」
「ん」
「余は……候補は、ここにおることに、意味があると思うておる。候補がいるということが、家臣の安心に繋がっておるゆえ。しかし、雨花」
「何?」
「渡りの少ないそなたに付いておる者たちに、不安が広がっておると聞いた。不安は、鎧鏡への忠義心を鈍らせる」
さっきの、あげはの話がすぐに浮かんだ。
オレはすでに、側仕えさんたちを、不安にしてる。
「だって!そんなの……渡らなくなったのは、お前の勝手だろ」
「お前ではない。皇と呼べ」
なんだよ!
オレは、返事をしなかった。
だって……威張ってる皇って、むかつくんだもん。
「そなたは、勝手に渡らなくなったなどと申すが……あの程度のことで泣かれては、余とて……渡りをためらう」
「だ!だって!お前の中の常識では、男と、キ……キスするとか!普通かもしれないけど!オレの常識では、ありえないんだよ!そんなの!」
「お前ではない。皇だ。そなたが、奥方教育を受けずに育ってきたことは、聞いておる。それゆえ、余を簡単に受け入れられないであろうことも、駒より、散々聞かされた」
「……」
「それでも……雨花」
にじり寄った皇の膝が、オレの膝に、こつんと、ぶつかった。
「ちょっ……」
怖い……この雰囲気が、怖い。
「雨花。恐れずとも、取って食うたりはせぬ。少しずつで良いゆえ……余を、受け入れられぬか」
そう言いながら……皇は、そっとオレの顔を、両手で覆った。
……逃げられなかった。
柔らかい唇の感触が……生々しい。
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