37 / 584
若様観察日記⑥
「……や」
「急がぬ。余も、急がぬゆえ……」
そう言いながら、皇は、またオレにキスをした。
オレは、我慢出来ずに、ボロボロ泣いていた。
「そなた……そこまで余を……嫌悪するか」
「ちが!違うよ。……違う」
皇の手に、包まれたままの頬が、熱い。
皇の目が、悲しそうに、オレを見下ろしていた。
嫌だから、泣いたんじゃない。
オレは……こいつに、役立たずって思われてるって、今朝まで思ってて。それでもいい!なんて思ってたつもりだったけど、実はすごく……落ち込んでいて。
オレは……人に嫌われるってことに、とにかく慣れていなくて……だから、すごく……怖かったんだ。
こいつに、嫌われてるって思うのが、すごく……怖かった。
最初は、奥方にならないように、こいつに嫌われようと思ってたくせに。
いざ、本当に嫌われてるって思ったら、怖くて……胸がずっとざわざわしてた。
でも、それはオレの、勝手な勘違いで、こいつは全然、オレのこと、怒ってないって、わかって。
それだけでも、すごく、安心してたんだ。
なのに、それに加えて、今の話……。
一番最初のお渡りの時なんか、全然オレの話を聞いてくれなかったこいつが、鎧鏡を知らずに育ってきたオレのこと、わかろうとしてくれてるって、こと、でしょう?
怒ってないどころか、こいつは、オレのこと、わかろうとしてくれてる……。
それが、嬉しかったんだ。
自分でも、泣くほどかよって、思うけど。
「怖いのか?」
「怖くなんか、ない」
さっきまでは……怖かった、けど。今は、違う。
「では、なぜ泣く?」
「お前にはわかんないよ」
「なに?」
きっと、オレがどうして泣いているのか、こいつには、絶対わかんない。
オレだって、泣いてる理由は、うまく説明出来ないし。
「全部分かり合えるヤツなんか、いないよ。だから、別に……」
そう言いかけたところで、皇が、オレをギュウっと抱きしめた。
「っ?!」
「余は……」
「……な、に?」
皇の腕の中で、これでもかってくらい……ドキドキしていた。
皇が、オレの顎を掴んで、オレの顔を上げさせた。
皇は、そっとオレの頬を撫でると、また、唇を……重ねた。
さっきよりも、しっかり、と。
オレの体は、反射的に、ブルリと震えた。
「やはり、怖いのであろう?」
「べっ!別に!怖くなんか……」
「それならよいが……この程度で震えておっては、夜伽の実践教育を受けさせられる」
「は?!」
よとぎのじっせんきょういく?
って……なにっ?!
「え?ちょっ!なに、それ?!」
「そんなことには、したくない」
「オレだって、したくないよ!お前、若様なんだから、そんなのいくらでも止められるだろ!」
「夜伽の実践教育が嫌なのであれば、少しずつで良い、余のすることに、慣れていけ」
皇の顔が、オレの前で、ほんの少し傾いた。
ロウソクの灯りだけになっているオレの部屋は、薄暗くて……。
また、唇を重ねてきた皇の背中で、一つに重なる影が、ゆらゆら揺れていた。
その後……ふわりと抱きしめてきた腕の中で、オレ、あんなに嫌がってたくせに……なんか、じっとしちゃってて。
夜伽なんかしないって、言ってやるつもりだったのに……。
これは!こいつのすることに慣れていかなきゃ、夜伽の実践教育なるものを受けさせられるって言うから、大人しくしてやってるだけ……だし。
そんな風に思うのに、ものすごく、顔が熱い。鏡を見なくたって、真っ赤なのがわかる。
なに、照れてんだよ。
男同士だってば!男同士!
だって……なに普通に、抱きしめられちゃってんの、オレ。
男にこんな風に、優しく扱われたことなんか、ない。いや、女子にもないけど。
どうしたらいいのか……"正解"が、わからない。
「明日も早い。もう休むか」
「あ、うん」
皇の腕から解放されても、まだドキドキしていた。
すでに、でんとシロが寝そべっているベッドに、シロを真ん中にして、皇と二人、布団に潜り込んだ。
シロが、オレに擦り寄ってくる。
「シロは、そなたの犬になりおったか」
皇がそう言って、ふっと笑った。
「たまには貸してあげてもいいよ」
「真、そなたは、生意気だ」
母様が言っていた通り、皇は、こんな風に笑っているのが、本来の姿なのかもしれない。
夜伽なんかしない!って、言おうと思っていたのに……結局、言えなかった。
今夜はとりあえずしないみたいだから、いい、けど。
そのうち、隣から、すうすう寝息が聞こえてきた。
皇、学校が終わると、鎧鏡の仕事をしてるって言ってたっけ。……疲れてるのかな。
手を伸ばして、皇の布団をかけ直した。
こいつは……この肩に、何万っていう家臣の重みを、感じてるの?
さっき、あげはに言われた言葉で、オレにも、その家臣の重みっていうのが、ほんの少しだけど、わかった気がした。
母様の言ってた、『一人の人を幸せにすればいい』ってこと、こいつ、わかってるのかな?
「……」
皇は、誰を幸せにしたいって、思うんだろう?
ともだちにシェアしよう!