46 / 584

お誘い⑤

「参りましょう、雨花様!」 オレを守るように立っていたいちいさんが、樺の一位さんに返事もしないで、オレのほうを振り返った。 オレが小さく頷くと、いちいさんも頷いて、歩き始めた。 「帰りは、松の丸を通られよ!松の一位殿なら、あなたがたを喜んで通してくださるでしょう?あの方は、あなたを溺愛していらっしゃるようですからね?辺境の一位殿」 いちいさんは、そんな樺の一位さんの声なんか聞こえなかったみたいに、何の返事もせず、急ぐことなく樺の丸を過ぎた。 「申し訳ございません、雨花様。あのような戯言をお聞かせして」 樺の丸の区画を抜けると、急にいちいさんは、廊下でオレに土下座した。 「そんな!いちいさんが謝ることじゃ……オレのせいで……」 オレのせいで、いちいさんが、バカにされたんじゃないか!謝るのは、オレのほうだ! 「違います!雨花様のせいではございません。私の、せいなのです。昔から、樺の一位とは、色々と確執があり……本当に、雨花様のせいではないのです。本当に、大変失礼なことを……申し訳ございませんでした。雨花様」 『御台様のお気に入り』『落ちぶれた』そんな、あの人の言葉が、耳の奥にずっと残ってる。 いちいさんは、オレの側仕えにならなければ、あんなことを言われなくて済んだのに。 オレの側仕えさんたちは、オレの側仕えってだけで、みんな、あんな風にバカにされてるの? 胸が、ざわざわし始めた。 そうだ。 前に、あげはも同じようなことを言われたって、言ってたじゃないか。 『雨花様付きなんて可愛そうだね』って……。 悔しい……すごい……悔しいよ。 「本当に、申し訳ございません、雨花様。本当に……」 「それ以上、謝らないでください!」 「雨花様……」 「謝らないで……っく……」 悔しくて、悔しくて……涙が出た。 オレの側仕えになったせいで、うちのみんなが、バカにされてるなんて! 「雨花様……どうなされましたか?」 「だって!オレのせいで……側仕えさんたちが、バカにされてるなんて!」 「雨花様……今から私がする非礼を、どうかお許し下さい」 いちいさんはそう言うと、立ち上がって、オレを抱きしめた。 「っ?!」 「本当に、雨花様は……本当に、先程のことは、雨花様のせいではございません」 「だって!あげはだって、オレの側仕えなんて可愛そうって言われたって、言ってたじゃないですか!」 「雨花様。その後の、あげはの言葉をお忘れですか?」 「え?」 「あげはは、確かこう申しておりました。『私は雨花様についていて本当に良かったと思っています』。そうじゃありませんでしたか?」 「でも!」 本当にそう思ってくれているとしても、みんなが、オレのせいでバカにされてるのは、事実なんでしょう? オレに、何が出来る? ……そうだ! 「みんなが、別のところに行きたいなら、頼んでみます!松の丸でも、樺の丸でも、本丸でも!あ。いちいさんも、三の丸に帰りたいなら……」 『御台様に頼んでみます』と言おうと思ったオレの言葉を遮って、いちいさんは、怒った声で『雨花様!』と、オレを呼んだ。 「それは……雨花様の側仕えは、私たちでは勤まらない、と、言うことですか?」 「そんな!違います!」 そんなわけない! 「だったら……どうかそんなことはおっしゃらず、雨花様のお側に、置いていただけませんか」 「いちいさん……」 「どうか、許される限り……」 「いちいさん……」 「雨花様の側仕えはみな、雨花様のことが好きなのです」 「……」 「雨花様のお優しいところ。雨花様のまっすぐなところ。雨花様の一生懸命なところ。雨花様の純真なところ。雨花様の大らかなところ。確かに、最初は驚くこともありました。候補様らしからぬ態度で、私たち側仕えに接するところも、上に立つお方として、どうかと思ったこともございます。けれど、雨花様にはそれ以上に、人を惹きつける魅力がおありです。私たち側仕えは、みな、雨花様が好きなのですよ」 「いち、い、さん……」 いちいさんにしがみついて、わんわん泣いた。 「ご自分を責めたりなさらないで下さい。責めることなどないんです」 「ふっ、っぇ……ありがとう、ございます」 本当に、ありがとうございます。 「ああ、ほら。泣いていては、いつまでも本丸に着きませんよ?」 そう言ったいちいさんも、目にいっぱい涙をためていた。 本当に、ありがとうございます、いちいさん。 オレ……候補らしくない候補なのに、こんなに良くしてもらって……。 それなのに……オレが、皇の奥方様になって、みんなを喜ばせるなんてことは、出来そうにない。 胸が、痛い。 それ以外で、みんなに喜んでもらえるようなことが、オレに、出来たらいいのに。

ともだちにシェアしよう!