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ふうふう⑧

✳✳✳✳✳✳✳ 学校から鎧鏡家に戻ると、駒様が、梓の丸の玄関で、オレを待ち構えていた。 「お帰りなさいませ、雨花様」 「あ。ただいま戻りました」 「今朝の件につきまして、明日の試験勉強の前に、ご説明させていただきます」 「あ……はい」 今朝の件……。 『皇に聞いたらいけないこと』、だよね? 駒様のあとをついて、勉強部屋に入った。 駒様は、オレの目の前に座って、軽く咳払いした。 「本日の先生が、雨花様をお待ちですので、手短かに話します」 「あ、はい」 「まず、若様は、奥方様をご指名なさる、若様の二十歳の誕生日まで、誰を選ぶのか、候補の誰かお一人を、特定出来るような言動をしてはいけないことになっております。随分前に、ご説明したはずだと思っておりました」 「……は?」 え?どういうこと? そんなの、オレ、聞いた? ここに来たばかりの頃なんて、本当に色々ありすぎて、駒様の話が、飛んでることも、あった、かも。 「それに伴って、奥方様候補は、若様のお気持ちを確かめるような発言をしてはなりません」 「え?」 確かにオレ……朝、皇に、そんなにオレが好きなのかよって、言ったところで、言葉を止めた。 いや、冗談だし!皇の気持ちを聞こうと思って言ったわけじゃないし! って……なんで、皇の気持ちを聞いたらダメなの? 「以上です。では、失礼致します」 「え?!ちょっ……なんでダメなんですか?」 すでに椅子から立ち上がっていた駒様が、不思議そうな顔をした。 「若様のお気持ちを、聞かないでくださいと言っているだけなのですが、雨花様には、ご納得いただけませんか?」 「え?」 「それは、若様のお気持ちを、どうしても確かめたいということですか?」 「え?!……ち、違います!」 「では、よろしいですね?」 本当は、皇の気持ちを聞いたらいけない理由が知りたかった。候補の誰を選ぶのか、皇の二十歳の誕生日まで、知られないようにしなきゃいけないとか……その理由も、わからない。 でも、そんな風に言われたら、それ以上、聞けないじゃん。 「あの」 「はい?」 「駒様は……苦しくないんですか?」 「え?」 それは、どうしても、聞きたい。ずっと、わからなかったから。 「オレには、わからないんです。皇が、他の人と……そういう、なんていうか、夜伽、とか、してたり……イヤだとか、思わないんですか?今朝だって駒様は、平気な顔をしてて……」 同じベッドに入っていたオレと皇を見て……苦しくなかったの? 「私が苦しかったら、どうだと言うのですか?」 「え……」 「それは、雨花様の悩むことではありません。雨花様は、若様のことだけ考えていらしてください」 「でも!」 「失礼いたします」 「駒様は!……皇が、好きじゃないんですか?」 好きなら、あんなところを見せられたら、苦しくなるもんじゃないの? 駒様は、他の候補様のところに渡る皇を、送ったり、迎えに来たり、仕事とはいえ、そんなことを普通にやってて……今朝だって、オレと皇のこと、普通の顔で、見てた。 駒様は、皇のこと、好きなわけじゃないの? 「……」 扉の前で、お辞儀をしていた駒様の動きが、ほんの少し、止まった。 「もちろん……お慕いしております」 オレににっこり笑いかけて、駒様は、再び『失礼いたします』と言うと、扉を閉めて出て行った。 そのあと、入れ違いに、今日の家庭教師の先生が入って来て、すぐに明日の試験のための勉強になった。 だけど……。 何だかオレは……何だか、ショック?を受けているみたいで……。 勉強の内容は、ちっとも頭に入ってこなかった。 なんのショックだよ。 駒様が言った通り、駒様が苦しんでたら、オレはどうだって言うんだろう? あんなことを聞いて、どうするつもりだったんだよ。 苦しいなんて言われても、オレには、今の状態をどうにかするなんてこと、何にも、出来ないのに……。 オレは、自分の存在が駒様を苦しめているんじゃないって、ただそう言ってもらって、許された実感が、欲しかっただけなのかもしれない。   「シロ、ごめんね。今朝、散歩に行けなくて」 夕飯を食べたあと、いつものようにシロを連れて、散歩に出た。 散歩の必要があるのは、オレのほうなんだけど。 シロの頭を撫でると、ブンブン尻尾を振った。 「……」 皇の気持ちを、聞いたらいけないとか……どうして? また、泣きそうな顔をしてた皇を思い出して、胸が苦しくなった。 どうしてあんな顔……。 舌が痛いだけで、あんな顔、しないよね? 皇、何を考えてるんだろう? 出会った頃みたいな、マネキンじゃなくなったけど……それでも、皇はほとんど感情を表に出さない。 「はぁ……」 気持ちを聞いたら、いけない……か。 でも、自分の気持ちを言うのは、いいのかな? 『お慕いしております』って、駒様は、はっきりそう言った。 駒様は、皇のことが、好きなんだ。 改めて、駒様の気持ちをはっきり聞いてしまったら、何か……モヤモヤして……。 「シロ」 シロの頭を撫でた。シロを撫でると、何だかいつも安心する。 シロは、ブンブン尻尾を振った。 ……皇にも、尻尾が付いてたらいいのに。 皇が何を考えているのか、尻尾が付いていたら、『嬉しい』くらいは、わかるのに。 オレ……こんな風に思うなんて。 駒様には、『違う』とか、言ったくせに……。 本当は、すごく、知りたいんだ。 皇の……気持ち。 知りたいんだ。

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