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トクベツ⑥
「はっ……っ……」
舌を絡め合ったまま、皇の腕に体を預けた途端、床に押し倒された。
床板の固さで、背中が痛い。
だけど……。
止められない。
自分が、止められない。
皇……。
唇が離れるたび、ぼんやりと目を開くと、泣きそうな顔でオレを見下ろしている皇と目が合って、また唇が重なった。
どうして、そんな顔するんだよ。
「そなた……何故、泣きそうな顔をする?」
何度目かに唇が離れた時、皇がそう言って、髪を撫でながらまた、唇を重ねた。
オレが、泣きそうな顔?
泣きそうな顔をしてるのは、いつもお前のほうじゃないか。
そんなお前の顔を見るたび、胸が苦しくて……オレが泣きたくなるのは、お前のせいなのに。
なんでお前がそんなこと聞くんだよ……。
皇の指が、オレのシャツの裾から入って、素肌の脇腹をつっと撫でた。
「んっ!?」
ピクリと体が大きく震えた。
と、同時に、ドアを小刻みに『コンコンコンコン』と、ノックされた。
素肌を触られたことよりもビックリして、皇の腕を思い切り掴んだ。
「……何事だ?」
皇はオレを胸に抱いたまま、ドアに向かって声を掛けた。
「申し訳ございません。お詠の方様が三の丸に運ばれたと、連絡がございました」
ドアの外から聞こえてきたのは、駒様の声だ。
ふっきーが三の丸に運ばれた?
あ!三の丸って、病院施設になってるんだった。
え?ふっきー、どうしたの?!
どこか具合が悪いってこと?
わざわざ、皇を呼びに来るくらい?
「すぐ参る」
皇は、オレを抱きしめたまま立ち上がった。
相変わらず無表情だけど、皇が焦っているのが、わかる。
「シロを連れて行ったら?皇も知ってるんだろ?シロのこと。シロに乗って、早く行ってあげて」
シロに乗って行けば、すぐに三の丸に着く。
皇はほんの少し考えたようだったけど『すまぬ』と言うと、シロを連れてドアに向かった。
ドアノブを握ったまま、オレのほうを振り返ると『詠の様子を見て、何事もなければ戻って参る』と、言った。
「うん」
皇が出てから、一時間。
皇は戻って来ない。
ってことは、ふっきー、何かひどいことになってる、とか?!
大丈夫なのかな?
「ふう……」
ふっきーのことを考えようと思うのに……脇腹に残る、微かなくすぐったさばかりが、気になっていた。
「……」
最初から、皇が戻って来ないと思っていれば、ガッカリしないで済むのに。
だって『戻って来る』なんて、言うから……。
「……」
っていうか、ガッカリってなんだよ。
「……」
ガッカリなんて……してない。
「……」
してない!
部屋の隅に置いてある冷蔵庫から、母様にもらった銀色の箱を取り出した。
開けると、皇がくれた誕生日ケーキのプレートが、変わらずそこに入っている。
『あなたの存在に感謝する』って……本当に?
皇が出てから二時間近くたとうとする頃、ドアをノックされた。
「はい!」
もしかして、皇が戻って来た?!
「雨花様、入ってよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
いちいさんが、お辞儀をして部屋に入ってきた。
「お詠の方様は夏風邪だそうです。今、点滴を終えたと、駒様より連絡が入りました」
「もう大丈夫なんですか?」
「ええ、心配いらないそうですよ」
「そうですか。……良かった」
そう聞いて、涙が出てきた。
「え……雨花様?」
「っ……」
「雨花様、もうお詠様は、大丈夫なんですよ?」
ふっきーが心配で、泣いていると思われてる、よね。
だけど……そうじゃないんです、いちいさん。
じゃあ、なんでって言われたら、オレ自身にも、涙のわけを、うまく説明出来そうにない。
「ごめ……っ……」
「雨花様……」
「……もう、寝ます」
布団をかぶってしばらくすると、部屋からいちいさんが出て行ったのがわかった。
「……」
カチカチいってる部屋の時計の音が、やけに大きく聞こえる。
もう、ふっきーは大丈夫なんでしょう?
それなのに……。
それなのに、なんだよ?
オレが、皇のこと、待ってるみたいじゃん!
「ちがう」
待ってなんかない!
「……」
ふっきーは、皇を人間らしくした特別な存在なんだし……ついていてあげたいと思って当然じゃん。
だから『戻って来る』なんて言ってたからって、皇が戻ってくるわけ、ないじゃん。
「……」
待ってるわけじゃない。
「……」
待ってなんか……。
その晩。皇は、オレのところに、戻ってくることはなかった。
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