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デビュー①
10月13日 曇り
今日は、『新嘗祭 』です。
朝早く、今まで梓の丸で唯一入ったことのなかった部屋に入れられ、禊 を受けた。
朝食は抜く決まりらしく、そのまま化粧をされ衣装を着せられた。
新嘗祭のオレの出番は、10時半からだと言われている。
「本日、若様はいらっしゃれないと、ご連絡が……」
衣装を着たところで、さっきから何やらバタバタしていたいちいさんがオレのところに来て、小さい声でそう言うと、深々と頭を下げた。
「えっ」
……嘘。
明らかに動揺して、とおみさんが渡してくれようとした扇を、落としてしまった。
「お仕事で、朝からお館様とご一緒に出ていらっしゃるとのことで……どうにも間に合いそうにないと……」
「行事は皇がいなくても、大丈夫なんですか?」
「行事を仕切っていらっしゃるのは御台様ですから、御台様がいらっしゃれば、行事は行われます」
すぐ隣にいたあげはが『雨花様のデビューなのに』と、呟いた。
「仕事じゃ、仕方ないよ」
自分にも言い聞かせるように、あげはにそう言って笑いかけたけど……泣きたい気分で、胸がいっぱいだった。
ちょっとでも、皇が来なかったらどうしようなんて、疑ったりしたから?オレがあんなこと、考えたから……。
母様は、オレの練り歩きがあるから、皇が出ないことはないって、言ってたのに。
皇がいなくても、大丈夫ってこと?
オレが……初めて舞う、行事なのに。
「……」
オレは……皇にとって、それっぽっちの存在、なんだ。
舞台裏から、本丸の舞台を覗いていた。
オレ以外の候補様たちは、母様に先導されて席についていた。
皇は、本当にいない。
納涼祭で皇が座っていた席に、今日は母様が座っていた。
オレが舞ったあと、オレを出迎えてくれるのは、母様なんだろう。
「はぁ……」
舞台の下には、本当にたくさんの家臣さんたちがいる。
こんなたくさんの人がいる前で舞うなんて……緊張が頂点だ。
今日……うまく舞えたら、もしかしたら皇が、オレのこと、奥方にしてもいいかなとか、思ってくれるかもしれない、とか……ちょっと、思ったり、してた。
バカみたい。
見てもらうことすら、出来ないのに……。
またオレ……家臣さんたちに、笑われちゃうかも。
……オレだって、笑っちゃうよ。
「はぁ……」
皇からもらった帯飾りに手を伸ばした。
これに合わせて選んでもらった衣装だけど……皇がいないなら、つけている意味がない。
帯飾りを取って、胸元にしまった。
皇に見てもらえないなら、つけていたくない。
「もうすぐですよ」
後ろからいちいさんに声を掛けられた。
「はい」
「雨花様。若様はいらっしゃいませんが、舞は……」
「舞は、サクヤヒメ様に奉納するもの。皇がいなくても、なんの問題もないです」
「……」
そう。オレの舞は、皇に褒めてもらうためのものじゃなくて、サクヤヒメ様に、日頃の感謝の気持ちを届けるために奉納するものだ。
でも……。
誰より、皇に見てもらいたかった。
「さぁ、雨花様」
「いちいさん、手を、貸してください」
「え?」
いちいさんの手を、強く握った。
オレは今日……サクヤヒメ様への感謝と、オレの側仕えさんたちのために舞う!
「雨花様……」
いちいさんが、強くオレの手を握り返してくれた。
「いちいさん……いってきます!」
「いってらっしゃいませ、雨花様」
お神楽の音が始まった。
オレは、舞台に向かって、歩き始めた。
舞台中央で、かぶっていたベールをはずした。
一瞬の静寂が、大きなどよめきになって、オレの耳に届く。
オレは、神楽の音を聞き漏らすまいと必死で、どよめきを気にしている余裕もなかったけど。
心の中で何度も『サクヤヒメ様ありがとうございます』と、繰り返してはみたけれど、これで、サクヤヒメ様への日頃の感謝を伝えられたかは、わからなかい。
ただただ必死に、舞った。
長いと思っていた5分程度の舞は、終わってみればあっという間だった。
最後、片膝をついて舞い終えたオレの体は、大きな歓声が起こす振動に、小刻みに揺れた。
そのまま座礼をして後ろを振り返ると、満面の笑みで拍手をしていた母様が、椅子から立ち上がって、舞台までオレを迎えに来てくれた。
その様子に、また会場が沸いた。
「すごく良かった!」
母様がぎゅっと抱きしめてくれた。
「ありがとうございます。指導してくださった先生が良かったんです」
「ははっ、ありがとう。さぁおいで」
母様はオレの手をひいて、母様の隣の席に座らせてくれた。
そのあと舞台上には、米やら野菜やらが積まれ、一年の豊作に感謝する儀式が行われた。
昼前には新嘗祭はすっかり終わり、このあとオレの練り歩きがあると、母様が舞台の上から家臣さんたちに発表した。
母様もいちいさんも、練り歩きについて詳しく教えてくれなかったけど、練り歩きというのは、奥方候補が、初めて舞を奉納した年中行事のあとに、皇が候補の手を引いて、本丸から候補の住んでいる屋敷まで歩いて送ることだと、駒様が教えてくれた。
皇自ら家臣さんたちへ、奥方候補をお披露目するために練り歩きをするんだ、って。
「雨花様は、私が送ります」
母様がそう言ってニッコリ笑うと、舞台下の家臣さんたちから大きな歓声が湧いた。
家臣さんたちに、オレをお披露目してくれるはずの、皇は……いない。
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