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デビュー③
「はい、交代」
母様はオレの手を皇に握らせて、後ろに下がった。
「遅くなった。……許せ」
「……」
「どうした?」
皇の心配そうな声を聞いて、我慢出来ず、泣いてしまった。
皇の顔をふと見上げると、皇も泣きそうな顔をしていて……。
オレは、その胸に飛び込んでいた。
「雨花……」
皇は、片腕でオレを強く抱きしめると、番傘を深くかぶって、キスをした。
傘の中、皇はオレの頬の涙をきゅっと拭うと『泣くな』と囁いて、目尻にキスをした。
「舞は無事奉納したか?」
「うん」
「……見たかった」
皇がオレの頬を、そっと撫でた。
「皇……」
本当?本当に見たかったって、思ってくれてるの?
「仕事、もういいの?」
「ああ。どうしても行かねばならなかった。これでも急いで戻ったのだ……許せ」
皇はもう一度オレの頬を撫でると、またふっとキスをした。
「……こんなんで許すのなんか、今回だけだからな」
そう言うと、皇はふっ、と笑った。
「この前の仕返しか?生意気な。お?そなた、帯飾りはどう致した?落としたか?」
視線を帯に落とした皇が、オレの帯に手を置いた。
「あ……ううん。だって、皇がいないから……」
つけていなくても、誰も気付かなかった帯飾りを、皇が一番に気付いてくれたことが、嬉しかった。
胸元から帯飾りを出して見せると、皇はそれを掴んで、『持っておれ』と、オレに傘を持たせて、帯飾りをつけてくれた。
「世話の焼ける……」
皇は笑いながら受け取った傘を、また深くかぶって、もう一度オレに、キスをした。
「若様、雨花様、そろそろ進んでいただきませんと……」
後ろから掛けられたいちいさんの声で、はっと我に返った。
はっ?!
あ!
え?
うおおおおお!
オレ!練り歩きの途中だったあああ!
なに、二人の世界に入っちゃってんの?!
って、うわあああああ……こんな、いっぱい人がいる前で、オレ、どんだけ皇とキス、とかしちゃってんだよ?!
心臓がバクバクして、倒れそう。
いやいや、落ち着け!オレ!
傘で隠れてた!隠れてた、はず!みんなからは見えていない!……多分。いや絶対!
オレがワタワタする横で、皇が小さく鼻で笑ったのがわかった。
なんなの!こいつのこの余裕はっ!なんか腹立つ!
「今日、どうしてもしておかねばならぬことがあった」
「え?」
皇はオレの手をぎゅっと握ると、傘をおろして『皆、聞け!』と、大きな声でそう言った。
周りがシンと静まり返った。
雨の音だけ、聞こえてくる。
何を、言う気?
皇はオレの手を離すと、その手でオレの肩を強く引いた。
「今宣言する!余はこの柴牧青葉を嫁候補とし、その証として『雨花』の称を与えた!一門、皆もれなく見知りおけ!」
そのあと、後ろから聞こえる側仕えさんたちの『雨花様、おめでとうございます!』と言う声やら、周りからの大きな歓声の中、皇が『行くぞ』と、オレの手を軽く引いて、歩き始めた。
本降りだった雨は、いつの間にか緩やかになっていた。
皇がさしてくれている番傘の中、オレの手を引いたまま、じっと前を見て歩いている皇を、オレは何度も、気づかれないよう見上げた。
皇……来てくれた。
舞は見てもらえなかったけど、さっきのあの宣言……あれでオレ、ホントのホントに、皇の奥方候補になったって、こと?なのかな。
でもオレのこと……ホントは、どう思ってるんだろう。
皇の手をぎゅっと握ると、ふいっと視線を落とした皇と目が合った。
「具合が悪いのか?」
すぐに視線を前に戻した皇が、小さい声でそう聞いてきた。
心配してくれる皇の言葉に、また泣きそうになって返事をしないでいると、皇がオレの指先を強く握った。
「ううん、大丈夫」
「では、笑っておれ」
「……ん」
皇に、どう思われているかはわからない。聞いてもいけない。だけど、今だけは、考えるのはやめようと思った。
さっき皇が来てくれた時の、嬉しくて、幸せな気持ちだけで、皇の隣を歩いていたかったから。
どれくらいの時間をかけて、梓の丸まで歩いただろう?
途中の道を、あまり覚えていない。
どこらへんからだったか、頭が、ひどくぼんやりしていた。
歩くたびに、オレの腕にふっと触れる、皇の腕にドキドキしていたことは、すごく、よく覚えてるのに。
目の前に広がる梓の丸の庭を見た時、急にふっと、力が抜けた。
「雨花、着いたぞ」
「あ……」
オレの手を包む、皇の大きな手が、あったかい。
「雨花?」
「……す……」
眉を寄せた皇の顔が、うっすら、見える。
「雨花!?」
驚いている皇の顔を見るのは、これで何度目だろう?
この前、オレからキスした時の皇の顔のほうが、ビックリ、してたかも。
あの時はわからなかったけど、自分から皇にキスした意味が、今なら、よくわかる。
だって今も……したい、よ。
皇に手を伸ばしたいのに、体が思うように動かない。
頭も、何だかぼんやりして、もう……目が、開けて……いられな、い。
「す……」
皇……。
「雨花!」
「……す……」
皇。
大声で呼んで……抱きつきたい、のに。
「雨花っ!!」
もう……ダメ、だ……。
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