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デビュー④

✳✳✳✳✳✳✳ 「ん……」 「雨花!」 いきなり大きな声が耳に響いた。 「……うるさ……」 「あ?!」 ぼんやり開いた目の前に、思い切り怒った顔の、皇がいた。 「うるさいとは何事だ!」 「……皇?」 本物? 本物、だよね? 確かめようと手を伸ばすと、皇は怒った顔のままなのに、体ごとぎゅっと抱きしめてくれた。 本物だ……皇のにおいが、してるもん。 オレ……何、してたんだっけ? あ、新嘗祭……だったよね? そうだ、練り歩きしてて……皇が、途中で来てくれて……。   で? そのあとを、よく覚えていない。 「痛いところはないか?」 「……頭、痛い」 そこまで痛くはなかったけど、そう言って、皇の着物の袖を握った。 皇が『どれほど痛む?頭だけか?』と耳元で囁いて、オレをまたぎゅっと抱きしめた。 皇の胸で、大きくゆっくり呼吸をした。 すごく……安心する。 でも同じくらい……それ以上?ドキドキ、してる。 「す……」 皇の名前を呼ぼうとしたら、すぐ脇から『やっぱり気に当たったかな』と、いう声が聞こえた。 「うえっ!?」 瞬間的に皇から離れて声のほうを向くと、母様が『ああ、そのままでいいのに』と、ニッコリ笑っていた。 「ふぁっ?!」 かあ、さま?え?いつ、から、そこに?いつからって、そりゃもう、最初からいたに決まってて……。 見られたああああ! 「雨花は大丈夫でしょうか?」 オレがこのうえなくバクバクしてるっていうのに、表情の変わらない皇は、オレの手を取りながら、母様に普通に質問した。 「医者の領分じゃないからなぁ。シロがいれば大丈夫だと思うけど……占者様に祓ってもらう?」 「占者殿をここに呼ぶんですか?」 「ああ、無理か。……まぁ、それは出来なくても、勝手に何かこう、うまいことやってくださりそうだけどね」 「ああ、はい」 「雨花様……気分は?大丈夫?」 「え?」 母様に『雨花様』と呼ばれて『え?』と思ったけど、ふとオレの視界に、いちいさんとふたみさんが入ってきて納得した。 ここ、オレの部屋だ。 人前でオレを『青葉』って呼んじゃいけないって、言ってたっけ。オレもつい『母様』とか呼んじゃわないように気をつけなくちゃ。 っていうか!さっきの、いちいさんとふたみさんにも見られたってこと?! う……だって、さっきは皇しか、見えてなかったんだもん。 「あ……はい。大丈夫、だと思います。……あの、オレ……練り歩きの途中から、あんまり、覚えてなくて……」 「ああ、そつか。梓の丸についてすぐ倒れたんだよ。やっぱり、練り歩きで人の気に当たったんだと思う。私も初めて行事に参加したあと、三日間熱を出したからね」 「え?!」 「ああ、でも普通は、一日寝れば良くなると思うから」 「あ、はい」 母様はオレをじっと見て頭を撫でると、にっこり笑った。 「千代もあんなに慌てられるんだなって……ちょっと面白かったよ」 「え?」 皇を見ると、あからさまに不機嫌な顔をしている。 母様は皇を見て、ぷっと吹き出した。 「ってことで、千代。今夜は雨花様のこと、ゆっくり寝かせてあげること」 「……はい」 にっこり笑った母様に、ため息をついた皇が、小さくそう返事をした。 母様が三の丸に戻るというので、側仕えさんたちは見送りに行ってしまい、部屋には皇と二人きりになった。 「余も本丸に戻る。今夜はゆっくり眠れ」 「あ……」 皇はシロを撫でると、部屋を出て行こうと歩き出した。 「皇!」 「ん?」 「……仕事、するの?」 「ん?いや」 「戻って、何するの?」 「……別段、何ということはない」 「だったら……」 『ここにいて』って言葉は、どうしても、出てこない。 黙りこくっていると、皇がオレのところにゆっくり戻って来て、ぎゅうっとオレを抱きしめた。 「っ?!」 「御台殿に、そなたをゆっくり寝かせろと、言われた。ここにいては……」 そう言ったあと皇は、オレの耳元で『そう出来ぬ』って、囁いた。 「なっ?!」 そのあと、オレの頭を撫でてキスをした皇は、『ゆっくり眠れ』と言って、足早に部屋を出て行ってしまった。 「……」 『そう出来ぬ』って……どういう、こと? ドキドキ……ドキドキ……して……。 頭が痛いのは、すっかり良くなっていたけど、今は息が苦しくて、倒れそう。 皇……。 オレ……どんどん、期待しちゃってる。 練り歩きの途中から、記憶がぼんやりしてるけど、皇が、オレを嫁候補だって宣言してくれたのは、ちゃんと、覚えてる。 オレ……お前の"嫁"、に選ばれる可能性……あるって、思っていいの? だって、オレが倒れて、慌ててくれたって……。 「あ……」 そうだ。この前ふっきーが倒れた時、皇……オレの部屋に、戻って来なかった。それって、ふっきーに一晩中ずっとついてたって、こと、だよね。 でもオレには、少しも、ついていては、くれないんだ……。 「……」 嫁候補だって宣言してもらった、なんて、すごく喜んだけど、納涼祭で聞いてしまったあの家臣さんたちが話してたように……オレは、奥方教育も受けずに育った、奥方様としての素養がなんなのかすらわからないポンコツで……曲輪に来て半年も経つのに、今日ようやく家臣さんたちに、嫁候補って認識してもらえたような、出来損ないの、候補で……。 オレより一年も前に候補として認めてもらってる他の候補様たちに比べたら、皇に嫁に選んでもらえる可能性なんか、ホントもう、ミジンコ並みだ。 なのに、期待なんかしたら……傷付く。 これ以上好きになったら……すごく、傷付く。 でも……どうしたら、止まるの? どんどん、膨らんでいく。 皇が……好きって……気持ち。

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