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起………④
先輩の指が、オレの胸に届きそうになった時、バリンっと大きな音がした。
音がしたドアの方を見ても、保健室のベッドを囲んでいるカーテンで、何があったのか全く見えない。
だけど、何かがこちらに向かって動いたのが、気配でわかった。
次の瞬間、オレに覆いかぶさっていた先輩が、小さく呻いて、ドサリと床に崩れていった。
「っ?!」
何、が……あったの?
「遅くなりました」
この声……。
崩れ落ちた先輩の後ろに、片膝をついて、こちらに頭を下げている"人"がいた。
頭を下げているから、顔は見えないけど、わからないわけない。
ぼたんだ。
どうして?
どうしてここにぼたんが?
疑問はたくさんあったけど、助かった安心感で、どわーっと涙が出て来た。
「遅くなり、申し訳ございません。お体、大丈夫ですか?」
「ぼたん……」
ぼたんに近付くと、震えるオレの手を取って、力強く握ってくれた。
そのあとぼたんは、血まみれになったオレの包帯を交換してくれて、床に転がる本多先輩をヒョイっと担いだ。
ええっ?!
オレより小さいぼたんが、軽々と先輩を肩に担いでいる。
何者なの?ぼたん?!
「この方は……どういたしましょうか?」
「あ、とりあえず、そこに、置いておく?」
ぼたんは本多先輩を、オレが指差した保健室のベッドに寝かせた。
「ぼたん……何者なの?」
聞きたいことだらけだ。
小姓にしては無口だし、愛想もないとは思っていたけど……こんな、なんていうか、忍者みたいな子だとは思ってなかった。
一緒にご飯を食べている時だとか、どっちかって言うと、のんびりしてるイメージだったのに。
その時、すーっと風が吹き抜けていくのを感じて、ふとドアの方を見ると、保健室のドアの横にある磨りガラスの窓が一枚、見事に割れていることに気が付いた。
さっき聞こえたバリンという大きい音は、ガラスが割れた音だったんだ。
え?ぼたん……ガラスを割って入って来たって、こと?
「ぼたん!ガラスを割って入って来たの?怪我は?!」
「怪我は大丈夫です。あ、でも、申し訳ございません。何も壊さず、侵入出来る経路を探す時間がありませんでした。こちらの弁償は、私が……」
「いや、いいよ!オレが間違えて……えっと、ボールを当てちゃった……とか、言っておくから」
ちょっと、無理があるかもしれないけど……。
「っていうか、ぼたん?」
「はい」
「あの……何者なの?」
自分でさっき聞き逃した質問を、もう一度ぼたんにした。
「私は……主 より、密かに雨花様をお守りするよう、命じられた者です」
「あるじ?皇に?」
「……主の名を、私から明かすことは禁じられております」
「え?」
それって、皇じゃないってこと?
皇じゃなかったら、一体、誰?
あ!そうだ!ぼたんは、もともと三の丸の小姓だったって、母様が言ってた!
ぼたんが言ってる主って、母様?
ぼたんの主が誰だとしても、オレの小姓として梓の丸にいるんだから、ぼたんの主は鎧鏡家の誰かってことだと思うけど。
「ぼたん……忍者みたいだね」
「あ、はい。私は、忍びの一族の末裔です」
「えっ?!」
自分で言っておいて、めちゃくちゃ驚いた。
忍びの一族の末裔?忍びって……忍者ってこと、だよね?
嘘っ?!いるの?現代社会にいるの?忍者。
あ!そう言えば、体育祭の時に助けてくれた人も、忍者みたいだった!え?あの人も、鎧鏡家の忍者、なのかな?
「以前……お助け出来ず……大変、悔いておりました」
ぼたんが言っているのは、本多先輩に二度目にキスされたあの時のことだろう。
あの時ぼたんが、どうしてあんなに自分を責めていたのか、オレにも今、ようやくわかった。
ぼたんはあの時も、密かにオレのことを守ってくれていたんだ。
あの時ぼたんは『次は身を挺してでもお守りします』と、言っていた。
ガラスを割って入ってくるなんて……大怪我してたかもしれないのに……そこまでして、オレのことを守ってくれるなんて……。
「ごめん、ぼたん。知らなくてオレ……本当にごめん、ぼたん」
また、涙が止まらなかった。
ぼたんは、オレが本多先輩にキスされたのは、自分が止められなかったからだって思って、苦しんでいたんだ。
そんな風に、オレのために自分を責めないで欲しい。
「雨花様、そんな……謝らないで下さい」
「オレのためにこんな危険なこと、もう絶対しないで。ぼたんがオレのせいで怪我したら、オレもう、立ち直れないよ」
「雨花様……」
ぼたんは、その場でまた片膝をついて、オレに向けて頭を下げた。
「雨花様をお守りするのが、私の使命です。雨花様をお守り出来なければ、私の存在は無いも同じ。どうか私に、何があろうと、雨花様をお守りすることを、お許しください」
オレを守れなければ、存在は無いも同じだなんて……。
鎧鏡家に来る前もオレは、皆に散々甘えて守られてきてたんだろうけど……守られることがつらいなんて……思ったこと、なかった。
だってぼたんは、怪我をするのも厭わずに、ガラスを割ってオレを助けに来てくれたくらいで……。オレを助けるためなら、自分の命も顧みないかもしれない。
そんなの、ツライよ。
だけど、それを受け止めるのが、オレの役目、なの?
「ぼたん、ありがとう」
そう言うと、ぼたんはすごく嬉しそうな顔で『ありがとうございます』と、またオレに頭を下げた。
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