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起………⑤

保健室から田頭に電話を入れて、怪我をしたのでこれで帰ると、告げた。 田頭たちはあのあと、先生たちに動いてはいけないと言われ、理科実験室がある本棟から、一番離れた別棟一階のサロンで足止めをくっているという。 『怪我、大丈夫なのか?本多先輩からもらった連絡じゃ、ばっつんの怪我の処置したら、二人でこっちに来るって話だったけど……そんなひどいの?』 田頭にそう言われて、先輩と保健室に来るまでの間に、先輩が何回か電話をしていたのを思い出した。 田頭に電話してたんだ。 「ううん。大したことはないんだけどさ」 田頭の話だと、火事は化学部の実験が原因だったらしい。 三学期早々行われる『高校生のための国際化学大会』に向けて、化学部も今日、学校に来ていたという。 その実験中に薬剤が発火して、化学部員たちが先生を呼びに行っている間に、火が燃え広がったようだ。 そこにちょうど、先輩とオレが到着したんだろう。 『ホントの火事とは思わなかったな』 「うん。あ、火事はもう大丈夫なの?」 『ああ。スプリンクラーで消火されたみたいだな。ホントはもっと早く作動するはずが、システムが全体的におかしくて反応鈍かったらしいよ』 「え?危ないじゃん」 『ああ。問題だよな』 とにかく消火されたなら良かった。火事が広がっているようなら、いくら別棟のここでも、意識のない先輩を置いていくのは……あんなことをされたとしても、やっぱり気が引けるし。 っていうか。 そう言えば火事だったっけ……みたいな感じだ。火事なんて普通ならびっくりすることなのに、そんな記憶すら、霞んでる。 そのあとのあれこれが、あんまりにも衝撃的過ぎて……。 田頭に、保健室の窓を割ってしまったけど、始業式までにはどうにかすると先生に伝えて欲しいと、お願いした。 どうして割ったのかは聞かれなかったから、言わなかった。 聞かれたところで、うまい言い訳は思いつかなかっただろうけど。 『ばっつん、本多先輩と一緒だよな?』 田頭にそう聞かれて、ドキッとした。 この状況を、田頭にどう説明したらいいんだよ……。 オレは、すぐそこのベッドで寝ている先輩を見ながら『一緒じゃないけどさっき電話したら無事だって言ってたから平気なはず』と、嘘をついた。 ごめん、田頭。 こんな時の田頭は、余計なことは聞かないでいてくれる。 『そうか。先輩もどこかで足止めを食ってるのかもしれないな。とにかくばっつんは気を付けて帰れよ』と言うと、田頭から電話を切った。 「……帰ろっか」 ただ静かに待ってくれていたぼたんに、声を掛けた。 「はい」 ぼたんが呼んでくれた運転手さんが、もう門で待っているらしい。 オレは先輩を振り返ることなく、ぼたんと一緒に車に乗って、曲輪へ戻った。     「えっ?!どうなされたのですか?!」 車から降りた途端、いちいさんが駆け寄って来た。 ぼたんは詳しい話を何もせず、運転手さんを呼んだらしい。オレの包帯を見て、いちいさんはものすごくびっくりしたようだ。 そりゃそうだよね。 新年会に行ったはずなのに、手首に包帯巻いて帰ってきたらさ。 でも……こんな傷、火事や、先輩のことに比べたら、全然びっくりすることじゃない。 いちいさんに、新年会が始まってすぐ火事があって、割れた窓ガラスで手首を切ってしまったのだと説明した。 その時、保健室の窓ガラスを割ってしまったので、すぐに修理して欲しいと、詳しい説明は全て端折ってそう言うと、いちいさんは何か言いたそうにしたあと、オレの顔を見て『わかりました』と、頷いた。 『お疲れのご様子ですから、少しお休みになったほうがよろしいですね』と、そう言っただけで、何があったのか、詳しく聞かずにいてくれた。 「キズはもう大丈夫です。血は止まったようなので。あ……今日は、夕飯はいりません。もうこのまま、寝ます。あの……疲れているので、朝まで起こさないでもらっても、いいですか」 「……はい、かしこまりました」 いちいさんは軽く頷いて、部屋の前で、持ってくれていたオレの荷物を渡してくれた。 部屋の入口まで一緒に来たぼたんに『ぼたんもゆっくり寝るんだよ?』と声を掛けて、部屋に入った。 「はぁ……」 ベッドにどさりと体を投げ出すと、先輩の顔が頭に浮かんだ。 さっきの……先輩の顔。 「……」 怖かった。 すごく……。 「皇……」 無性に、皇に会いたい。 先輩に撫でられた記憶が蘇って、ざわりと鳥肌が立った。 ……イヤだ。 思い出したくもないのに。 自分を落ち着かせるように腕を撫でると、『誰にも触れさせてはならぬ』という皇の言葉が頭に浮かんで、涙が出てきた。 「皇……」 またオレは、皇に隠し事が出来てしまった。 「……ごめん」 涙が、止まらない。 皇に……会いたい。 皇に抱きしめられたら、全部忘れられそうなのに……。 「皇……」 会いたいよ。

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