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オーディエンス⑥

梓の丸の庭の奥に、シロのお気に入りの場所がある。 普通に歩いているだけじゃ見えない場所にある、東屋だ。 柱に蔦が絡まっていて、中の様子が全く見えない。その蔦をくぐると、木で出来た大きなベンチが置かれていて、シロの姿が見えない時は、大概そのベンチの前で寝ていることが多かった。 「シロいる?」 蔦をかき分けシロを呼ぶと、やっぱりシロはベンチ前で寝ていた。 オレと、オレの後ろの皇を見るなり、タンっ!と跳んで、オレの前に立つと、皇に向かって小さく唸った。 「シロ?」 「はぁ……」 皇が大きくため息を吐いた。 「え?どうしたの?シロ」 「そなたを傷付けた余を、未だに怒っておるのであろう」 そういえば、母様が言ってた! あんなことがあったあと、シロは皇をオレに近付けさせなかったって。 『あんなに余に懐いておったに、すっかり雨花の犬になりおった』と、皇は見るからにガックリしている。 その姿を見て思わず吹き出した。 「笑い事ではない」 「あははっ……シロ、オレ、もう傷付いてないよ」 シロの背中をゆっくり撫でた。 あの時は確かにオレ、傷付いてたけど。 でもそれは、オレが皇の大事なものじゃなくなったって、思ったからなんだ。 それまで少しでもオレが怖がると手を止めてくれた皇が、あんな風に無理矢理するってことは、オレのことなんてもう、どうでもいい存在になっちゃったんだって……すごくショックだったから。 「真か?」 シロに話したのに、皇がそう聞いた。 「……うん」 昨夜の皇を思い出して、体が熱くなる。 オレ、ものすごく……皇に、大事にされてる、よね? 無理矢理されたのは……大事に扱われてるとは、絶対言えないけど。 でも、皇が無理矢理あんなことをしたのは、オレが皇に嘘をついて、先輩といかがわしいことをしたと勘違いしたからで……オレのこと、傷付けるために、したわけじゃないのは、わかったし。そんな勘違いをしたことについては、散々、謝られた。 あんなことをして、皇がすごく悔やんでるのはもうわかったし、すごく動揺してたのも、わかった。 何より、皇はオレのこと、大事にしてくれてるって……オレ、昨夜すごく……感じたんだ、多分。 だって起きた時にはもう、皇のことも何もかも、全然怖くなくなってた。 昨夜はいっぱいいっぱいで、皇の言葉を噛み締めてる余裕もなかったけど……思い返すと、相当嬉しくて、めちゃくちゃ恥ずかしいことを、たくさん、言ってもらってた。 オレのこと、余さず欲しい……とか。 夢でいっぱい……抱いた……とか。 目の前の、こんな涼しい顔をしてる皇が……ホントに? ダメだ。昨夜のことを思い出すと、まともに顔が見られない。 今更ながら、ものすごい恥ずかしくなってきた。 あんなふうにされたら……ショックだって、吹き飛ぶよ。 だってオレ……あんなに傷付いたのも、怖かったのも……結局皇が、好きだから、だったんだろうし。 すっごく、好きだから……。 母様の前でだって、三歳から泣いてないっていう、言い訳なんてしないはずの皇が、多分泣いてたし……言い訳してくれた。 本当だったら、殿様気質の皇が、絶対人に見せたくない姿だと思う。 駒様にも側仕えさんたちにも、オレのために頭を下げてくれて……。 そういうのも全部、オレのこと……大事にしてくれてるからって、思って、いいよね? 『オレもう大丈夫だよ』と言って、シロを抱きしめると、シロがブンブンしっぽを振った。 「シロ、わかってくれたかな?」 「そなたが余を許せば、シロも許すであろう」 「じゃあまだダメかも」 「あ?」 「だってオレ、まだお前のこと怒ってるもん」 「さっきは、もう傷付いてはおらぬと……」 「傷付いてないと、怒ってないは別だろ?オレの話を聞いてくれなかったこととかさ!」 そこは本当にムカついたからね!そもそも、あの時皇がオレの話をちゃんと聞いてくれれば、あんなことにならなかったんだから! まぁ……それだけ皇、余裕がなかったのかな?とか、思えちゃってるけど。 でも!そこはちゃんと言っておかないとね! オレに何の返事もしないで、皇がシロに手を伸ばすと、その手をシロが、がぶりと噛んだ。 「うわぁ!」 嘘っ?!オレ、本当はもう怒ってないのに! 「……甘噛みだ」 「え?」 シロの口から手を抜いて、皇がシロを抱きしめた。皇の手は無事だ。 もー!ビックリしたじゃんっ! 「怒ってなど、おらぬのであろう?」 シロを抱きしめていた皇が、オレの目の前に立った。 「……知らない」 わかってるくせに!こいつ、オレが怒ってるかどうか確認するために、シロに手を噛ませたんだ、多分。 シロが本気で噛まなかったってことは、オレはもう怒ってないってことじゃん。 ぶつかった視線を、ぷいっと外した。 「誠……怒っておるのか?」 心配そうな声で、オレの顔を覗き込んできたりしてさ! もう!何だよ?!……怒れないじゃん。 「もうちょっと怒ってたかったんだよっ!」 そう言うと、オレの後ろにまわったシロが、オレの背中を顔で押した。 必然的に、オレは皇の腕の中に飛び込んじゃって……。 「うわっ!」 「シロも許せと申しておる」 オレの腰を抱いた皇が、口端を上げた。 「……」 「ん?」 「シロに免じて……許してやっても、いいよ?」 ものすごく嬉しそうに笑った皇の顔が近付いてきて……目を閉じた。 シロがオレたちの脇腹を鼻でこするまで、オレたちは、長い長い、キスをした。

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