152 / 584
独禁法④
皇に強く手を引かれて、よろめきながら廊下の人だかりをすり抜けた。
『うおおおお!』という、一際大きな雄叫びが、サクラの声に聞こえたのは多分……朝からのサクラの発言を思い出すと、間違いじゃないと思う。
エレベーターのボタンを皇が押した。
すぐに扉が開いて、手を引かれるままエレベーターに乗り込んだ。
扉が閉まると、さっきまでの騒ぎが嘘みたいに、静かになった。
もう手を繋いでいる必要もないのに、皇はオレの手を離そうとしない。
急に恥ずかしくなって、何か話さなくちゃと思ったら、先に皇が声を掛けてきた。
「そなた、昼飯はどうするつもりだ?」
「え?あ……教室に戻ってから食べようと思ってる」
「すぐに終わるのか?その引き継ぎは」
「え?うーん。どうだろう」
皇はオレの手を握っていないほうの手に、お弁当を持っていた。
「昼休み、間に合わなそうなら、皇は生徒会室でお弁当食べちゃっていいから」
「ああ」
皇の手に、ほんの少し力が入った。
「あのさ」
「ん?」
「……先輩のこと、怒ってないの?」
先輩がオレの代わりに会計の仕事をしていると聞いた時から、ずっと疑問に思ってた。
誰にも触らせるなとか言ったのに、先輩のこと、怒ってないの?って。
触らせるなってことは、触らせたオレには怒るけど、触った相手に対しては怒らないってこと?
先輩に襲われかけた"あの日"、皇、あんなに怒ってたけど、先輩のことを消してやる!とか、そんなことは言ってなかったし。
「あ?」
皇はオレを上から睨みおろした。
「余が冷静だとでも思うておるのか?」
「え?」
「そなたの肌に触れたのだぞ?!そなたが許すなら今すぐ消す!」
「えっ?!」
皇はお弁当を置いて、オレをぎゅうっと抱きしめた。
「そなた……実際どうされたのだ」
「え?」
「先輩に、どうされたのだ」
「どうって……」
「詳しく知りたくなかったゆえ、そなたがどうされたのか、詳細までは聞いておらぬ。だが知らぬままでは、あることないこと……そなたの身に起こったのではないかと、疑う」
皇の言っていること、何となく、わかった。
皇がオレのことを本当はどう思っているのかわからないから、オレもあることないこと勝手に想像して、勝手に、不安になる。
それと、似てる。
「……キス、された」
ずっと皇に言えずにいた、先輩にされた二度のキスと、あの日先輩にされたことを、覚えている限り、皇に話した。
話していて気付いたけど、あんまり詳しく覚えていない。
それだけショックだったのかもしれないけど……。
先輩に襲われかけたことより、そのあと皇にされたことのほうが、よっぽど鮮明に思い出せる。
あの時、すごく怖いと思っていたあの日の皇を思い出しても、今はもう、怖いとは思わなかった。
オレの話を聞いて顔をしかめた皇は、オレを責めずに、ただキスをした。
「なんか、あんまり覚えてなかった」
「それで良い」
皇が人差し指で、オレの顎を上げた。
「全て忘れろ」
皇の唇が、閉じたまぶたにそっと触れた。
「そなたの記憶の中のあの日には、余だけおれば良い」
唇に触れた、柔らかい、暖かさ。
キスと同じくらい優しく、皇にすっぽり包まれた時、エレベーターの行き先ボタンを押していなかったことに気が付いた。
どうりでいつもより長くかかると思ってた。
皇の脇から手を伸ばしてボタンを押すと『そなたは誠、手が焼ける』と、鼻で笑われた。
「今、皇の手は借りてないじゃん」
「そうか。そなた一人で生徒会室まで行くのか」
ええ?!何で今の流れで、生徒会に行くか行かないかって話になるんだよ!
エレベーターのボタンの話をしてたのに……。
「……すいませんでした」
納得いかないという風に、口を尖らせながら謝ったオレに、皇はまた鼻で笑ってキスをした。
「あ!そういえば……先輩、オレが休んでるのを知ってて、田頭に会計の仕事を代わりにやろうかって、言ってきたみたいなんだ」
先輩が未だにオレのことを気にしてるようで、怖いんだけど。
「ああ。知っておる」
「え?」
何を知ってるの?
その時、到着を知らせる音と共に、エレベーターの扉が開いた。
目の前の生徒会室のドアは、全開だった。
本多先輩がこちらを見て立っているのが、すぐわかった。
本多先輩を見た途端、あの日の先輩の顔が浮かんで、なにもかもがフリーズした。
「どうした?」
オレより一歩前にいた皇が、オレに手を伸ばした。
先輩に襲われそうになった時……オレはずっと、皇を呼んでた。
あの時掴めなかった、皇の手……。
あの時の記憶が甦って、皇の手を思い切り掴んだ。
「……戻るか?」
オレを胸に抱き込んだ皇が、小さな声でそう聞いた。
少し迷ったけど、オレは首を横に振った。
「……頑張る」
きっと、今しかない。
このまま先輩に会わずに戻ったら、オレ……ずっと先輩から逃げ続けると思う。
「そうか」
オレの頭に、皇の手のあったかさが残ってる。
「あの、さ、そばで……」
『見てて』と言う前に、皇が『ああ』と、頷いて笑った。
ともだちにシェアしよう!