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はじめてのおつかい⑬
「そなたの水には……なれそうにない」
「え?」
誰かが見ていたら、きっとオレが抱きしめられていると思うだろう。でもオレは、オレのほうが皇を抱きしめているつもりでいた。腕の中の皇が、オレの頭に頬を預けた。
「そなたが魚なら……全てを包む水でありたいと思うた。だが余が水なら……そなたの周りに何も寄せつけず、そなたを孤独にするだろう」
『水でありたい』って……そういう、意味だったんだ。
「余は、このように……心の狭い度量の小さい人間ではないつもりでおった」
「それじゃ駄目なの?」
「どういう意味だ?」
「……何でもない。とにかく早く、髪を乾かせ」
椅子から立ち上がって、風呂場に戻るよう、皇の背中を押した。
「風邪なんかひいていられないだろ?お前、鎧鏡の若様なんだから。」
「……」
「ドライヤーの使い方わかる?」
「あ?そなたは余を何だと思うておるのだ?」
「日常生活、何にも出来ないヤツだと思ってる」
「あ?」
顔をしかめる皇を脱衣所に押し込めたあと、泣きたくなった。
お前が駄目なら、オレなんかてんでダメダメじゃん。
余は心の狭い人間ではない……なんて、そんな言い訳されたら……。
オレのことを言われてるみたいで、聞いていられなかった。
独占したいと思うのは心の狭いことで、それはいけないことなんだって、言われてる気がした。
お前がダメなら、オレなんか全然、ダメじゃん。
「はぁ……」
風呂場のドアにもたれて、しばらくガックリしてしまった。
落ち込んでる暇があったら、課題を終わらせないと……。
机に戻ろうと脱衣所のドアから背中を離して、中からドライヤーの音が聞こえてこないことに気がついた。
「皇?」
脱衣所のドアを開けると、鏡の前で皇が、ドライヤーのスイッチを、しきりに押しているところだった。
「何してんの?」
「何ということはない。そなたは課題を終わらせろ」
チラリとこちらに視線を向けて、皇はドライヤーを洗面台に置いた。
「……そのスイッチ、押すんじゃなくて、スライドさせるんだよ?」
皇はオレに背中を向けて、小さくため息をついた。
「余は……何故そなたにこのような姿ばかりを見せねばならぬのだ」
「え?」
「そなたはまた、余が何も出来ない、うつけだと思うたのであろう?」
皇が心なしか、頭を下げた。
「そなたには、情けない姿ばかりを見せておる」
何だよ?それ!
オレは皇を、後ろから抱きしめた。
「いいじゃん、別に!オレにも役に立たせてよ」
皇の役に立ちたいんだ。ずっとそう思ってる。でもオレは、仕事のこととか、全然わかんないし。こんなことくらいでしか、役に立てたと思えない。
「お前、日常生活以外は何でも出来ちゃうじゃん。こんな時くらい、役に立てたって、思わせてよ。お前がこれくらいでカッコ悪いなら、オレなんか全然、いいとこなしじゃんか」
こちらを向いた皇が、オレをぎゅうっと抱きしめた。
「今わかった」
「え?」
「そなたはうつけだ。ゆえに余は、そなたを求めるのだろう」
オレの頬を包んだ皇が、キスしそうなくらい、顔を近づけた。
鼻と鼻がぶつかって、また皇の髪から、雫が落ちた。
でももう、それを気にする余裕が、ない。
思わず、こくりと喉を鳴らした。
「そなたは、余で……良いか?」
微かに皇の唇が……口先に、触れた。
もう一度、こくりとオレの喉が鳴った。
お前も、うつけじゃん。
だけどオレも、そんなお前だから……好き、なんだよ。
目を閉じた瞬間、熱い唇が優しくオレの唇に重なった。
皇は、日常生活てんでダメくらいで、ちょうどいい。
そうじゃなきゃオレ……お前といるのが、きっと辛くなる。
ちょっとでもいいから、オレもお前に、何かを返してるって思いたい。
もらってばっかじゃ……辛いんだ。
何度もキスをしたまま、皇に抱き上げられて、ベッドまで運ばれた。
「抱いても、良いか?」
ベッドに横にしたオレを見下ろしておいて、なんで今更、そんなこと聞くんだよ。
だけど、そう聞かれて急激に、体の中から熱くなる。
皇の問いに、どう返事をしたらいいのか、わからない。
「青葉……」
こんな時、皇はオレを本当の名前で呼ぶ。
「金曜……余を待っておったのではないのか?」
どうしてわざわざ……聞くんだよ。もうそんなの、わかってるくせに。
「待っておったのであろう?」
オレの髪を撫でていた皇の手が、止まった。
「答えよ」
「何で?」
今更……何で?
「……」
皇は小さな声で『怖いのだ』と言って、オレの胸に顔を埋めた。
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