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賽は投げられた④
「スミ、いたずらっ子だね」
ふふっと笑ったふっきーは、すっと立ち上がって、黒い塊が中でグルグル動いているオレのベールをぺろっとめくった。
中から小さな黒い顔が覗いて『フーッ!』とふっきーを威嚇してる。
ふっきーのところの黒猫?!
毛並みの艷やかな、小さな黒猫だ。
ベールを取られないように威嚇してるみたい。可愛い!
「猫ごときに驚きおって」
皇はオレのおでこをペチンと叩いて、また高座に戻って行った。
「……失礼しました」
「そう言う若様も血相を変えていらっしゃいましたよ」
ふっきーがおかしそうに笑った。
オレも驚いていたから、皇の顔はよく見てなかったけど、急いで来てくれたのは、わかった。
「黙れ。雨花には護身術と共に精神力も鍛えてやる」
また悪代官ポーズに戻った皇が、ギロリとオレを睨んだ。
「あ、もしかして梓の丸の増築は、護身術の道場ですか?」
「え?」
ふっきーの言葉に驚いた。あの増築って、道場なの?
「先日、畳が運ばれるのが見えました」
「詠、雨花には何も言うておらぬ。それ以上詮索するでない」
「ああ、そうでしたか。失礼致しました」
皇と一緒に買い物に行った時、護身術を習いたいって、オレ、言ったけど……でもまさか道場から作る?!
いやいや、ふっきーにはパソコンルーム、梅ちゃんにはゲレンデをあげたくらいだ。オレに道場をくれるっていうのも、考えられなくはない。
っていうか、さっきからふっきーが、オレの横でベールにくるまって遊ぶ猫を、何とか出そうとしてくれているんだけど……ふっきーが手を出すと、猫はベールを取られまいとして威嚇してくる、というのを繰り返している。
「申し訳ございません、雨花様。しつけがなっておりませんで……」
「いいえ」
困っているふっきーなんて、普段そうそう見ることがない。
困ってるふっきーって、何かちょっと可愛いよ?
オレのベールは、スミにすごく気に入られたようだ。いくらふっきーが頑張っても、スミは全然出ようとしない。
「雨花様、そろそろお戻りになりませんと」
後ろからいちいさんにこっそり声を掛けられた。
「あ、はい」
時間がわからないけど、部屋にはいい香りが漂ってきていた。
そろそろ松の丸では、誕生日祝いのディナーが始まるんだろう。早くお暇しないと失礼だ。
「ベールはスミにあげます。私はハンカチでも被って帰りますので」
袂を探って大判のハンカチを取り出した。
「それでは前が見えないのでは?私のベールをお持ちください」
確かにこんな濃い茶色のハンカチじゃ、陽が落ちた今、前が見えづらいかもしれない。
でも何となく、ふっきーのベールを借りるのは気が引けた。
「いえ。見えないようなら、供に手を引いて貰いますので」
いちいさんがにっこり頷いてくれたと思ったら『ならぬ』と、高座から皇に反対された。
「候補がむやみに体を触らせるでない。何度言うたらわかるのだ」
じゃあどうしろって言うんだよ!お前がスミと格闘して、オレのベールを奪い取ってくれるんですか?!
「でも……」
「そなたに触れて良いのは、余だけだ」
皇は高座から立ち上がって、こちらに歩いて来た。
オレの手からハンカチを取って頭に被せると、オレの手を取った。
「え?」
「参るぞ」
「でも……」
お前、これからふっきーと誕生日ディナーなんじゃないの?
「でも何だ?」
「あの……これから、あの、若様は、お詠様と一緒にお祝いするんじゃ……」
いくらなんでも、オレが皇を連れて行くなんて出来ない。
「雨花様、お気遣いなく。もともと若様は、夕餉の前にこのケーキを持って来てくださっただけで、すぐに本丸にお戻りになる予定でしたから」
そう言ってふっきーが、笑いながらケーキを指差した。
「え?」
嘘……ふっきー、オレのために嘘をついてくれてるんじゃないの?
オレが戸惑っていると、隣で皇が『余がこの格好で祝いの席に着くわけなかろう』と、不機嫌そうに呟いた。
「あ」
そっか。皇、制服だ。そういえばオレが小さい頃、誰かのお祝いに出掛ける時、堅苦しい正装をするのを嫌がったら『きちんとした身なりをするのもお祝いのうちです』って、おばあ様に一喝されたっけ。
そうだよね。皇が制服のまま、祝いの席に着くことはないだろう。
オレが納得したと取ったのか、皇は『見送りはいらぬ』と、ふっきーに声を掛けて、オレの手を取り直した。
部屋を出ると後ろから、松の一位さんの『いってらっしゃいませ』という声が聞こえてきた。
そっか。『いってらっしゃいませ』、なんだ。
皇はオレと一緒に出て行っても、すぐここに戻って来るんだ。着物に着替えてから、改めてふっきーに渡るんだろう。
誕生日に、夕飯を一緒に食べるだけでおしまいなわけない。
小さくため息をついてから、ハッとした。
やっぱりいちいさんに、代理を頼めば良かった。
『いってらっしゃいませ』なんて、何気ない一言で、ふっきーを祝っていた気持ちが、しぼんでしまうくらいなら……。
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