178 / 584
賽は投げられた⑤
✳✳✳✳✳✳✳
渡り廊下はこのすぐ先で、梓の丸方面と樺の丸方面に分かれる。
本丸に戻るなら、樺の丸方面に進まないといけない。
頭にかぶったハンカチで、足元しかよく見えなくても、今どこらへんを歩いているかくらいはわかる。
ここで皇の手を離さないと……。
そう思うのに、オレの手はずっと、皇の手を強く握っていた。
樺の丸に向かうと思っていた皇は、そのままオレの手を少し強めに引いて、二つに分かれた渡り廊下を、梓の丸に向けて左に進んだ。
「本丸に戻るなら、あっちじゃないの?」
皇の手を離せなかったくせに、口からは逆の言葉が出た。
どうしてオレは、皇に素直になれないんだろう。素直にって思っても……オレ自身、どうしたいのか、自分でわからない。
鎧鏡家の奥方候補として、今どうすべきなのか考えたら……きっとここで"若様"の手を離すのが正解なんだろうけど。
わかってるなら離せばいいのに。
立場的にどうしたらいいのかってことは、わかってるつもりなんだ。でも、気持ちがついていかない。だから体も動かないんだ。口だけなら、何とでも言えるのに。
「ああ、戻る」
当たり前の答えなのに、ショックを受けた。
だけどようやくそこで、皇の手を離そうと思えた時、皇がまた強くオレの手を引いた。
「そなた、先日のように余を送って参れ」
「え?」
「梓の丸から余を本丸まで車で送れ」
手を離そうって決心したのに、引き戻された。
また泣きそうだよ。
嬉しいのか悲しいのか、悔しいのか……どうして泣きたいのか、わからないけど。
「……うん」
そのまま、梓の丸の屋敷まで、皇に手を引かれて帰った。
着いてすぐに車を出してもらって、皇を本丸まで送って行った。
「雨花」
「ん?」
「一位であろうが、容易く触らせるようなことをするでない」
「……ん」
素直に頷くと、皇は『そなたが何の口答えもせぬと拍子抜けする』と、オレの頭に頭を軽くぶつけた。
「痛っ」
ぶつかった頭を手で押さえると、皇にその手を掴まれた。
皇の顔が近付いてきて、キスされる寸前、顔を背けた。
「……何故拒む」
「やだ」
だってどうして……。
皇はオレの顎を掴んで、顔を戻させた。
視線が合った皇を、キッと睨みつけた。
だってどうして今日、こんなことするんだよ。
「拍子抜けすると言うた仕返しか?」
「そんな訳ないだろ」
「では何故、余を拒む」
だって今日は、ふっきーの誕生日なんだよ?
お前、これからふっきーのところに渡るんだろ?
それなのに……。
「お前、やっぱり人の気持ちなんかどうでもいいんだ」
「あ?どういう意味だ?!」
皇と睨み合ったまま、本丸の車寄せに到着した。
「早く降りてよ」
「何っ?!話は終わっておらぬ!」
皇はオレの顎を掴んだまま、またキスしようとしてきた。
「嫌だ!」
皇の顔を押しのけると、皇は乱暴にオレの顎を突き放した。
その動きに抵抗出来なかったオレの体は、車のシートに勢いよく投げ出された。
「っ……」
「何故だ?!余が何をした?!そなたの気に障るようなことをしたか?!言え!何故余を拒む?!」
どうしてわかんないんだよ。
「今日、ふっきーの誕生日なのに、どうしてオレにキスしようなんて思えるんだよ」
「あ?」
「オレの誕生日の時も……オレのところに来る前に、誰かとキス、してたの?」
「そんな訳が……」
「そういうことだろっ!これからふっきーのところに渡るくせに!オレがお前だったら……こんなこと、絶対しない!」
「……そなたは、何も知らぬ」
皇は自分でドアを開けて、車を降りた。
「出して下さい」
「……かしこまりました」
『そなたは何も知らぬ』って、何だよ?!何にもわかってないのは、お前のほうだ!
走り出した車の窓から横目で外を窺うと、本丸に入っていく皇の背中が歪んで見えた。
オレ……いつから泣いてたんだろう?頬が冷たいと気付いた途端、一気に涙が溢れた。
ふっきーのために、あんなことを言ったんじゃない。
オレも同じことをされていたかもしれないって思うのが、嫌だっただけだ。
オレの誕生日に、皇がわざわざモナコからケーキを持って来てくれて、あんなに嬉しかったのに……。
オレのところに来る前にも、皇はさっきみたいに、オレじゃない誰かとキスしてたかもしれないと思ったら、あんなに喜んだ自分が……かわいそうだと思った。
「っ……」
ずっと皇のそばにいるって決めたのに。
また自分から遠ざけた。
だって嫌なんだ。
何でわかんないんだよ!
何で……。
また、怒らせちゃった。
皇……。
ともだちにシェアしよう!