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賽は投げられた⑩
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雪見会の会場に入ってすぐ、何となくおかしいとは思ってた。
空気が澱んでるみたいな、息苦しい感じがして……。
着物の帯がきついのかなって、最初は思ってたけど、これはどうもそうじゃない。
そんな中、雪見会は10時から始まった。
駒様の舞いに続いて雅楽の演奏が流れると、やぐらに登ったお館様と皇が、集まった家臣さんたちに向けて豆を撒き始めた。
雪見会は節分の日に、サクヤヒメ様にお供えした膨大な量の豆を、家臣さんたちにおすそ分けするのが一番の目的なんだそうだ。この豆を食べると、寿命が伸びると言われているらしい。
豆が撒かれ始めた頃から、頭が痛くなってきた。
視界が白く霞んでる気がする。
白いベールを被ってるからじゃ、ないよね?これ。
どうしよう……気持ち悪い。
ダメだ!候補として行事くらいちゃんとしていたい。座ってるだけでいいんだから。
それすら出来ないなんて嫌だ。
そう思うのに、どんどん息が荒くなっていく。心臓がものすごくドキドキして、気持ち、悪い。
頭がクラクラしてきて、体が小さく震えてきて、足の先がすごく冷たく感じた。
「はっ……」
ふわっと体が浮いた感覚がしたと思ったら、遠くで『雨花ちゃん!』という、梅ちゃんの声が聞こえてきた。
梅ちゃん……すぐ隣に座ってたはずなのに。声が、遠いよ。
目が開けていられない。
自分の体が倒れてしまったのだとわかった。
ベールが顔にかかって息が苦しい。
ざわざわ耳に入ってくる音が、気持ち悪くて仕方ない。
何を言ってるのかわからないたくさんの声の中、遠くで『雨花!』と呼ぶ声だけがはっきり聞こえた。
皇、の、声だ。
「っ……」
体を揺らされる感覚に、吐き気が襲ってきた。
ベールが顔からはずされたと思った瞬間『雨花!』という皇の声が、すぐ近くで聞こえた。
「余が連れて参る!」
皇の香りがふわりとして、体を抱きかかえられたのがわかった。
「千代!」
抱きかかえられてすぐ、皇と母様が何か言い争ってるのはわかった。でも何を言っているのか聞き取れない。
皇……オレのせいで母様と言い争ってるの?そんなの駄目だよ。
「す……」
「雨花!しっかり致せ!」
皇がオレのこと、心配してる。
昨日のこと、もう怒ってないの?
オレももう……怒ってないよ?拗ねてただけなんだ……ごめんね、皇。
皇が心配してくれたと思うと、何だかひどく安心して……力が抜けた。
あたたかい手が、おでこに乗ってる。
皇の手?
違う。皇は、もっと大きな手だ。
じゃあ、母様?
母様ももっと大きくて、消毒薬でちょっと荒れた手をしてる。
でもこの手は……やわらかくてもちもちしていそう。
まだ手荒れをしらない子供の手、みたいだ。
だけど……何だかすごく、癒される。
その手のあたたかさを感じながら、夢を見ていた。
夢の中には皇がいて、母様もいて、オレはベッドで寝てて……何か病気にでもなったのかな?だけどすごく、幸せな気持ちだった。
夢の中で皇はオレの髪を撫でていて、しばらくするとオレのお腹が、盛大に『ぐー』っと鳴った。
「ああ、お腹がすいた?私を食べたらいいよ」
夢の中の母様が、皇をやんわりと押しのけると、自分の手を少しちぎって、オレに差し出してくれた。
えっ?!手をちぎった?!
ぎょっとしながら受け取った母様の手は、焼きたてパンの香りがしていた。
何、このどっかで見たことあるハチャメチャ設定!
なのに夢の中のオレは普通にお礼を言って、母様の手を頬張った。
それがまた、すっごく美味しいパンだった。
「ありがとうございます」
オレが至福の笑みをこぼすと、それを見た皇が、面白くなさそうな顔をして小さくため息をついた。
「私も、パンになります」
えっ?皇がパンに?!
『こんな時、自分の無力さを痛感します』と、皇がオレの手を握って母様に言った。
「千代は鎧鏡の跡取りだ。パンになるなんて許されないよ」
「……パンでも跡取りにはなれます」
「パンになる道を選んだなんて知られたら、家臣団が黙ってはいない」
皇が顔をしかめた。
すごく、悔しそうだ。
ねぇオレに、何か出来ないかな?
オレ、ずっと皇の役に立ちたくて仕方ないんだ。
あ、そっか。
オレが皇の役に立ちたくて仕方ないのって、オレが皇の役に立ってないって、思ってるからだ。
夢の中で急にそんなことがひらめいた。
候補らしくなれないとか、皇に選ばれるはずないとか、ずっと落ち込んでたけど……オレが嫁候補であるのを否定してきたのは、誰よりオレ自身じゃん。
あ、そうだ!
皇がパンになっちゃ駄目なら、オレが代わりになれないかな?
そしたらオレ、皇の役に立てるかも。そしたら……オレが皇の隣にいることを、自分に許してあげられる気がする。
「皇」
「ん?」
「だったらオレが、パンになる。お前が助けたい人を、オレが助けてあげる」
そこで、夢から覚めたんだ。
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