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微触③
「目を瞑れ」
命令されて素直に目を瞑ると、皇はオレの手を取ってゆっくり歩くように促した。
歩き進むうちに、新しい木の香りが鼻を抜けていく。
でも床を踏むたび、キュッキュッと床が鳴るのが、気になった。
え?落ちたりしないよね?
『この床大丈夫なの?』と、心配して聞くと『鴬張 りを知らぬのか』と、皇が呆れたような声を出した。
え?!これが鶯張り?!
オレが『ああ!』と言うと、『この廊下を誰かが通ればすぐわかるようそうさせた』と、皇が鼻で笑った。
少し進むと『しばし待て』と、皇がオレの手を離した。
ちょっと不安になりながら目を閉じたままでいると、ガチャッという重い音がして、引き戸を引く音が聞こえた。
ふわぁっと畳のいい香りがする。
そうだ!ふっきーがここに畳を運んでるのを見たって言ってたっけ。やっぱり道場なの?なんて思っていると、皇がまたオレの手を取って『目を開けていいぞ』と、優しく囁いた。
……今までずっと、ツンケンしてたくせに。
そっと目を開けると、想像してた護身術の道場のイメージとは、あまりにかけ離れた部屋が視界に入った。
「え?」
「ん?どうした?」
こたつが一つ置かれている、綺麗な和室だ。
え?
「道場じゃ、ないの?」
「あ?道場が欲しかったのか?道場としても使えなくはないがな」
「え……だって……」
お前、オレが望んだ物を増築してるって言ってなかった?オレ、和室が欲しいなんて言ったっけ?
……。
……。
……。
……あっ!!
「こたつ?!」
「そうだ」
皇がにやりと笑って頷いた。
こたつー!
オレ、欲しいって言った!
皇と行った料亭のこたつを見て、実家みたいにこたつを置きたいって……。
「そのために、この和室作ったの?」
わざわざこたつを置くために?
「梓の丸は洋風な内装だ。そなたの部屋の近くに和室はなかろう。……要らぬ物だったか?」
何だよ、もう!何なんだよ!
だって、こたつだって、欲しい欲しいって騒いだわけじゃないのに。あんなちょっと欲しいって呟いたこたつのために、和室を作ってくれるとか……。
何か言ったら泣きそうで、皇の手を握るのが、精一杯だった。
「……凄い!」
鎧鏡家って何なの?ホント。
だってここの工事が始まってから、まだ二週間くらいじゃん!二週間でこんな本格的な和室が出来るとか……。しかもこのこたつを一つ置くために。
部屋に入ってキョロキョロと中を見回していると、皇がオレの背中に手を置いた。
「あちらを開けてみよ」
障子を指して皇が口端を上げた。
太陽の光で柔らかく光って見える障子に手をかけ、ゆっくりと引いた。
「うわぁ!」
広めの縁側の向こうに、大きな松の木が見えた。小さな滝と池。鬱蒼と茂る木々に囲まれた、別世界みたいな庭がそこにあった。
「この庭……」
皇と一緒に行ったあの料亭の庭と似てる!
「お館様からの落成祝いだ」
「え?」
「そなたがあの店の庭をいたく気に入っておったと話すと、喜んで造ってくださった。会ったら礼を言うがいい」
「うん!すぐ手紙を書く!」
「ああ」
「下りてきてもいい?」
「ああ」
縁側から庭に下りて、敷石を辿って滝まで行った。池には鯉まで泳いでいる。
「うわぁ!皇!鯉までいるよ!」
「ああ」
「すごい!」
オレが庭を堪能していると、そのうち皇は不機嫌になってきた。
「……何?」
「お館様の造った庭のほうが嬉しいのか?」
「……ぷはっ!」
「笑い事ではない!」
「だって、和室があるから庭もあるんじゃん。全部まとめて、すごい嬉し……」
そこまで言って、こらえきれずにくしゃみをすると、皇は顔をしかめた。
「このような寒空に長く外ではしゃいでおるからだ。早う中に入れ」
「うん」
急いで部屋に戻ると、皇が嬉しそうにこたつ布団をめくった。
「どうだ?こたつがあって良かったであろう?」
「うん!すごい良かった!」
オレのこと、はしゃいでるとか言ったけど、皇だっていつもよりテンション高いじゃん。
そんな皇が、可愛く見える。
皇がめくったところからこたつに潜り込むと、皇も一緒にこたつに入った。
あったかーい!
「はぁ……幸せー」
あったかいってだけで、どうしてこんなに幸せなんだろう。
ちょっと前なら、こういうちっちゃいことで、幸せとか感じられなかったかも。
「そうか」
「……皇?」
「ん?」
「もうお礼言ってもいい?」
「ん?」
「さっき礼を言うのはまだ早いって言ったじゃん」
「ああ……良いぞ」
皇はふっと笑って、ちょっとふんぞり返った。
何それ?
オレも笑いながら『ありがとう』と、お礼を言った。
「ああ」
手を伸ばしてきた皇に、されるがまま、唇を重ねた。
落成祝いは、お昼に皇と二人でこたつに入りながら、ふたみさんが作ってくれた『祝い膳』を食べて終わった。
これのためにこいつ、学校まで休んでオレを早退させたとか……。
こういう時に感じるんだよ、こいつの殿様気質。
まぁ別に、今日のこれは嫌じゃないけど。
むしろ嬉しい……ってか、嬉しくてもう、小躍りしちゃいそうだけど!
あれ?でもどうしてこたつをオレにプレゼントしてくれたんだろう?
今日って、何かの記念日?
……何にも浮かんでこない。
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