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パリは萌えているか③

「供が余では不満か?」 アパルトマンを出てすぐ、皇がオレの頭をポンっとして、顔を覗き込んだ。 「浮かぬ顔をしおって」 「……」 「ん?」 「……オレ、ズルいんだ」 はっきり何がズルイとは話さない自分が、さらにズルイ気がして、皇の顔が見られない。 「狡いと浮かぬ顔になるのか?」 「え?」 「スネ夫は幸せそうだぞ」 「は?」 スネ夫?え?お前、ジャイアン知らなかったじゃん! 「あれだけ友人から狡いと言われても、奴は己を恥じてはおらぬ。そなたも恥じることはない」 「スネ夫知ってるの?」 オレが驚いていると、皇は『ジャイアンも知らぬとそなたに言われ勉強した。今ではそなたより詳しいはずだ』と、ドヤ顔をした。 「バカじゃないの?」 「あ?」 そんなことより、お前にはもっと他に勉強しなきゃならないことがたくさんあるんじゃないの? 漫画を勉強したとか……皇って、そういうとこホントおかしいんだから。 オレの話を理解するために、漫画を勉強してくれたとか……すっごい嬉しくて、泣きそうになるじゃん! 我慢しようと口をへの字に結ぶと、オレの顔を見た皇が『悔しいか?』と、楽しそうに笑った。 「んなわけあるか!」 「狡いことをする理由があったのであろう?」 「え?」 「そなたが余に申したことだ。そなたは嘘をついたと言うた余に、理由があったのだろうと申したではないか。同じことだ」 「そんなの、覚えてるんだ」 「忘れぬ。……嬉しく思うたゆえ」 あのとき、嬉しいって思ってくれてたんだ? もー!何でさっきから喜んじゃうようなことばっかり言ってくるんだよ! なんか余計……ふっきーに対して罪悪感がわくじゃん。 「お前のせいだよ」 「あ?」 オレが、三人で買い物に行こうって言えなかった理由は、お前を独り占めしようとしたからだ。 それは、こんなふうにどんどんどんどん、オレにお前を好きにさせる、お前のせいだよ。 「……」 でも……結局今、オレがお前を独占したら、あとでお前が帳尻を合わせるんだろう?この前、雪見会の日に、ふっきーと朝ご飯を食べたみたいに……。 オレはズルくもなれないんだ。 オレがお前を独占出来た時間分、あとで他の候補様たちにも同じだけ、お前を独占する時間を与えるんだろ? 「行こ?」 皇の背中を、軽く押した。 「ああ」 いずれ、今日オレが皇を独占した分、オレ以外の誰かが皇を独占する日が来る。 どうせそんな日が来るんなら、今日思いっきり独占したっていいじゃん! ……そう思って、皇と二人で出てきた自分を許すことにした。 「どこまで行くつもりだ?」 「そこらへんの食料品店。出来たら明日は朝市に行きたいけど」 「マルシェか」 「うん。皇、フランス詳しいの?」 「いや。モナコに行く際、寄ったことがある程度だ」 いつもはミラノ経由でモナコに入るとか、パリには一度しか来たことがないとか、そんな皇の話を聞きながら、二人で並んで街を歩いた。 こんな街中を、皇と普通に並んで歩いていることに、さっきから気持ちがふわふわしてる。 「まだ遠いのか?自転車に乗っても良かったな」 街のところどころにある貸し自転車を見て、皇がそんなことを言った。 「えっ?!皇、自転車乗れるの?」 ビックリしてそう聞くと、皇は顔をしかめて『そなたが思うより余は優秀だ』と、おでこを指で小突いた。 「五つの年だったか、駒に習うた」 「へぇ。駒様ってそんな前からいるんだ?」 駒様って、いつから皇の上臈なんだろ?聞いたことなかったな。 「駒は余が三つの時、初めて持たされた余だけの家臣だ」 「え?」 鎧鏡家では三歳になると、自分だけの家臣を持たされるのだと、皇が空を見ながら、そんな話を始めた。 三歳で自分だけの家臣を持って初めて、自分が鎧鏡の次期当主になるのだと自覚したって。 「それまで余は泣き虫で、次期当主だなどと言われてもようわからずにおった。だが駒が家臣になってすぐの頃、余が蹴躓いて大泣きしたことがあってな。余の傍におった駒が、大老に咎められたのだ。その時、初めて己の立場を知った」 皇は、泣き虫で弱いままの自分では、家臣が責められるのだと知って、それから二度と泣かないと自分に誓ったのだと、話してくれた。 母様が前に話してた、皇が三歳から泣いてないって話、きっとこの時のことだ。 皇が泣かなくなったのって、駒様を守るためだったんだ。 「……頑張ったね」 なんだか、泣きたくなった。 三歳なんて、赤ちゃんに毛が生えた程度じゃん。 そんな小さい時から皇は、鎧鏡の次期当主として生きてきたんだ。泣きたい時だって、いっぱいあったはずだよ。三歳だもん。それなのに……。 時間が戻せるなら、三歳の皇を思いっ切り抱きしめたいと思った。 三歳の皇を抱きしめるように、大きい皇の手を、強く握った。

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