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雨の朝パリにキュン死す④

朝、目が覚めると、すでに皇は起きていて、肘をついてオレを見下ろしていた。 皇と一緒に寝た朝は、こんな風にオレを見下ろしている皇と、起きた瞬間に目が合うことが多い。 ……何見てんだよ。恥ずかしいじゃん。 皇に背中を向けた時、昨日から聞きたくて聞けないでいたことを思い出して、また皇と向き合った。 「皇!」 「ん?」 「昨日、さ。……オレが鎧鏡を知らなかったから、オレのこと、選んだって、言ったじゃん?」 聞いて、いいのかな?いいんだよね?ちょっと……ドキドキしてきた。 「そうだったか?」 「はあ?言ったよ!」 「……それが何だ?」 オレのおでこにキスをして、皇は口端を上げた。 ……皇の機嫌はいいらしい。 「どうして……オレのこと、選んだんだよ?」 皇の答えが、ちょっと……怖い。 小さく息を吐いた皇は、少し考えるような顔をして口を開いた。 「詫びさせたいと思うた」 「は?」 「そなたに初めて会うた時、そなたは余の問いに答えず走り去った。余を無視するとは何様かと思うてな」 「……え?」 全く予想していなかった皇の答えに、オレは間抜けな顔をしていたと思う。 前、皇はオレのこと、渋々選んだんじゃないって、言ってくれた。 だけど、オレを選んだ理由が詫びさせたかったからって……何だよ?! 「なっ……何でっ!そんな理由で候補に選ぶんだよっ!……そんなの!何だよ、それ!……何だよっ!」 何か……泣きたくなるじゃんか。 「だってオレ……お前のこと、知らなかったし。だってお前……人間離れしてて、何か、怖かったし!そんな、怒ってたんなら、何で候補にしたんだよ!候補に選ばなくたって、あとで呼び出して、謝らせれば良かっただろっ!」 謝らせるために、オレのことを選んだなら、謝ったらもう、用無しってこと?そんなの……。 口を尖らせて皇を睨むと、皇はふっと笑って、オレにキスした。 「なっ……んだよっ!オレのこと怒るために選んだくせに!」 皇はオレの手を引くと、優しい顔をしてオレを胸に抱きしめた。 「そなたの思考回路は、ようわからぬ」 「はぁ?お前の思考回路のほうがよっぽどわかんないよっ!」 オレは、そんな言葉とは裏腹に、皇の胸にしがみついた。 「詫びさせたいがためだけに、余がそなたを選んだような口ぶりだ」 「お前、今そう言ったじゃん!」 オレは、さらにしがみつくように、皇の服を握った。 皇は『それだけで嫁候補を選ぶわけなかろう』と、オレのおでこを指で弾いた。 「っ痛!」 本当はオレだって、皇がそんな理由だけで候補を選ぶわけないって、思ってる。占者様の話も聞いていたし、皇がそんな理由だけで選ぶわけないって……。 だけど、どこかで不安になるんだ。オレはまだ……自分に自信がない。 「きっかけなど、何でも良い。実際、そなたをあの日候補に選んだ理由は、余にも説明のしようがない。ただ……」 「ただ……何?」 「あの日……一番遠くに座っておった、ずぶ濡れのそなたしか……目に入らなかった」 あの皇の誕生日……桃紙で招集された人って、何人くらいいたんだろう?相当の人数、いたと思う。 その端に座らされたオレからは、皇がものすごく遠くから入って来たように感じていた。 参加者全員が同じ白いベールを被って頭を下げていたんだから、誰か一人を認識するなんて、絶対不可能だよ。 なのに、皇にはオレがわかってたの? 普通に考えたら絶対無理だと思うことも、皇なら出来るかもしれないと思うくらいには、皇のこと、信じてる。 「そなたは今も、余に詫びる気はなさそうだ」 皇はふんっと笑って、顔を上げたオレの鼻をつまんだ。 「謝んないよ。お前に謝らなきゃいけないことなんてしてないもん」 「そなたは、いつでもそなただな」 「は?」 「故に余も……余でいられる」 何それ? 皇はオレに軽くキスをすると、体を伸ばした。 『皆が起きる前に部屋に戻る。余がここにおっては、そなたはまた、狡いだなんだと気に病むであろう』と、ポンっとオレの頭を撫でて、ベッドを出ると窓辺に立った。 カーテンを開けたままだった窓のガラスに、雨粒が垂れて落ちていく。 いつの間に降り出したんだろう。すごく寒いと思ってたけど、雪じゃ、ないのかな。 「……雨?」 「ああ」 そういえば……。 「皇?」 「ん?」 「何で、雨が好きなの?」 その理由も、聞いたことがなかった。初めて知った、皇の”好きなもの”。 今もオレは、皇が好きなものなんて、雨しか知らないけど。 「忘れろと言うたはずだ」 「理由を聞いたら忘れる」 嘘だけど。 好き嫌いを言ったらいけない皇の、唯一オレが知ってる好きなものを忘れるなんて……出来るわけない。 「余と取り引きとは、良い度胸だ」 ふっと笑った皇は、まだ暗い窓の外に視線を戻して『雨の日はお館様と御台殿が屋敷にいらした』と、ぽそりと話した。 「え?」 「余がまだ小さき頃、お館様は造園会社に力を入れていらしてな。天候に左右される仕事ゆえ、雨の日に休みを取ることが多かったのだ。ゆえに雨の日には、屋敷にお館様と御台殿、お二人が揃っていらっしゃることが多かった」 皇は窓の外を見ながら、ほんの少し口端を上げた。 「小さき頃は、ただお二人が、屋敷にずっといらっしゃるということが……嬉しかった」 「……そっか」 皇とオレは、育ち方が全然違う。だから、考え方も感じ方も、全然違うと思ってた。 だけど、家族が揃っているだけで嬉しいって気持ち……オレにも、わかるよ。 「そなたに会ったあの日、雨が降っておらねば、品評前に外に出ることなどなかったであろう」 「あ、それオレも!雨が降ってなかったら、外には出なかった」 「そなた、あの日余に選ばれぬために、外に出たのであろう?」 こちらに歩いて来た皇が、ついっとオレの頬を撫でた。 「やはり余は……雨が……好きだ」 皇が、ふわりとオレにキスをした。 「……好き嫌い、言ったらいけないくせに」 「そなたの胸に秘め置け」 皇はもう一度オレにキスをして、また窓の外に視線を移した。 『雨が好きだ』という皇の言葉が……ぎゅうぎゅう胸を締め付けていた。

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