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わたぬき①
4月1日 くもり
今日は……皇の誕生日イヴ……です。
3月13日からカレンダーにバツ印とか付けちゃったりして、マンガかよ、なんて、自分にツッコミを入れながら、ようやく今日まで来た。
本当に丸々二週間、皇とは全く会っていない。何なら気配さえ感じられない。
同じ曲輪の中にいるのかさえ、疑わしく思うくらいだ。
候補と会わないように、別のところにいるのかもしれない。
皇の上臈でもある駒様も、奥方候補ってことで、ずっとお休みを取らされて、今は実家に戻っていると聞いた。
「雨花様、本日も学校でございましたね」
「はい」
三月……皇は一度も学校に来なかった。候補と会わないためには当然なんだろうけど。
生徒会が主催した『三年生を送る会』とか、すごく楽しかったのに……。
お前が寄付金を多く入れてくれたおかげで豪華にできたし、オレ、頑張ったんだよ?
卒業式も凄かったんだ。
卒業式の服装は何でも有りらしくって、鏑木先輩は真っ白い学ランを着てるし、阜路先輩は羽織袴。原先輩なんて、アイドルアニメの女の子の服を着てきててさ。神猛学院の一番基本の制服で出席してた本多先輩が、何だかコスプレっぽく見えたくらいだ。
本多先輩、学校を出て行く時に『大事にされろよ』って、笑ってくれて……オレも『はい』って、普通に笑えたんだ。
先輩のこと、オレ、本当に許せたんだと思う。
皇……オレ、お前に大事にされてるって、思ってる。ただお前には、大事にしないといけないものが、たくさんたくさんあって……オレはその中の一つって、ことなんだろ?
そんなにいくつも大事な物があったら、疲れちゃわないの?
オレ、大事にされるのは本当に嬉しいけど……今はオレが、お前のこと……大事にしたくてたまらないよ。
支度をして学校に向かった。
今日はどんよりした曇り空だ。
明日、雨が降ったりして……。
去年のお前の誕生日、雨が降ってたから、オレの呼び名に"雨花"って、付けたのかな?
明日雨が降ったら、新しく選んだ候補様にも、お前は雨って字を与えるんだろうか?
「……」
それだけは……しないで欲しい。
夕方過ぎ、学校から梓の丸に戻ったあとすぐ、雨がポツポツ降り出した。
夕飯のあとすぐ始まった高遠先生の授業は、一時間きっかりで終了して、高遠先生を見送りに出ると、先生は思い出したように『ああそうだ』と、オレのほうを振り返った。
「すっかり言い忘れていた。明日の授業はお休みだ」
「え?」
「鎧鏡一門にとって、明日は祝日だからなぁ」
祝日……”鎧鏡の若様”の、誕生日だもんね。
「わかりました。明後日またよろしくお願いします」
「ああ。明日休みの分、これも課題にしておこう。がんばんなさい」
「はい。ありがとうございます」
渡されたプリントの束を受け取って、車に乗り込んだ高遠先生を見送った。
課題は増えたけど、母様みたいに勉強に集中すれば、ウダウダ悩まないで済むかもしれない。
「もうお休みになられますか?」
高遠先生を見送ったあと、いちいさんにそう声を掛けられた。
時計を見ると10時を過ぎたところだった。
「あの……今夜は和室で寝てもいいですか?」
皇にもらった和室で……。
「もちろんです。かしこまりました」
一人で和室で寝るのは初めてだ。今まで和室で寝る時は、いつも隣に、皇がいた。
和室に入って縁側の引き違い窓から外を見ると、雨が弱くなっている。
このまま、雨があがればいいのに……。
庭の池の照明が、ハラハラと散っていく桜の花びらを照らしていた。
「花散らしの雨ですね」
お茶を持ってきてくれたいちいさんが、書院の脇に置かれた小さな座卓にお茶を置きながら、ぽそりと呟いた。
鎧鏡家で桜を見るのは、二度目になるんだなぁ。
今年桜が咲いていたことも、今まで気付かないでいた。
引き違い窓をほんの少し開けると、ふわりと雨の匂いに包まれた。
「綺麗、ですね」
雨の中、池に落ちていく桜の花びらはすごく綺麗で……何故かじわりと滲んだ涙を、いちいさんに気付かれないよう、こっそり寝間着の袖で拭った。
「明日、みなでお花見をするというのはいかがでしょうか」
明日……皇が、新しい候補を選ぶための展示会が開かれる。現候補は、新候補が選ばれるまで、屋敷の外に出てはいけない決まりだ。
それを知ってて、いちいさんはそう言ってくれてるんだよね。オレが、一人で落ち込まないように……。
「部屋の中から……ですか?」
「この和室からでしたら、曲輪の中でも一番大きな桜の木が、綺麗に見えるかと存じます」
「そうなんですね。はい、ぜひ」
いちいさんは頷いて『どうぞもうお部屋にお入りくださいませ。夜風は体を冷やします。雨戸を閉めておきましょう』と言って、縁側に出てきた。
「あ!あの、雨戸は閉めないでもらってもいいですか?」
「どうなさいましたか?」
「起きた時、すぐに庭を見たいので」
雨が降り続かなきゃいい。明日には止んでいて欲しい。雨が降っていなければ、皇が新しい候補様の呼び名に、雨の字を付けることはない、よね?
目が覚めてすぐ、雨が降っているかどうか確認したかった。
「かしこまりました。では、壁代 だけは垂らしておきましょうか」
「はい」
いちいさんが出て行ってしまうと、室内は静寂に包まれた。
静かなはずなのに、オレの耳の奥では、うるさいくらいボーっという、耳鳴りのような音が響いていた。
それを振り払うように頭をブンブン振っていると、外からカリカリという音が聞こえてきた。
この音……まさかシロ?
急いで壁代をめくると、夕方雨が降る前に散歩に行ったあと、どこかに行っていたシロが、すぐそこでおすわりをしていた。
急いで窓を開けると、シロはスッと中に入ってきた。
まだ小雨が降っているはずなのに、シロはふかふかの毛並みで、少しも濡れてはいない。
「え?どうやって来たの?」
不思議に思ったけど、シロは未確認飛行物体みたいなものだっけ。
雨の中、濡れてないくらいで、今更驚くこともないかと、納得した。
「一緒に寝てくれるの?」
シロは本当に不思議な犬だから、眠れないオレのことがわかって、来てくれたのかもしれない。
シロは布団の脇に寝そべると、すぐにいびきをかき始めた。
シロのいびきが聞こえるだけで、さっきの耳鳴りが聞こえなくなった。
「ありがとね、シロ」
今夜は眠れないかもしれないと思っていたけど……シロがいる空間は、いつだって心地が良くて良く眠れる。
……皇が隣にいる時の次に、だけどね。
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