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わたぬき②
「ねぇシロ。皇さ、どんな人を選ぶと思う?」
寝ているシロをふわりと撫でると、シロは少しだけ目を開けて、またすぐに閉じた。
「もうすぐ、皇の誕生日になるんだよ?シロ」
もう11時を過ぎていた。
候補は若様の誕生日に贈物をしてはいけないという決まりがある。何を贈ったかで、周りから要らない判断をされるのを防ぐためらしい。
”おめでとう”も言ったらいけないのかな?
会えなきゃ、それすら伝えられないけど……。
ふと思い立って、書院の机に向かった。柴牧の両親から贈られた書道セットは、この和室に置いてある。
「皇……誕……生、日、お、め、で、と、う……っと」
便箋に筆でそれだけ書いた。
今度皇に会える時、渡せたら渡そう。手紙だけなら……いいよね?
だけど……その”今度”は、いつ来るんだろう。
「……」
筆を置いて頬杖をつくと、目の端にシロがスッと立ち上がったのが見えた。
シロは障子を鼻で器用に開けて、縁側に出て行った。
「シロ?」
庭に面した引き違い窓に掛けられた壁代をめくって、シロが窓枠をカリカリと引っ掻き始めた。
「っ!」
う、そ……まさか……ありえないよ。
浮かんだ名前を振り払うように頭を振った。
もしかしたらスミがまた迷って入ってきちゃった、とか?
「……」
スミだと思うなら、外を覗いてみたらいいのに、動けない。
ありえないと思うけど、シロがあんな風にする時はいつも……そこに皇がいた。
でも、皇のわけない。候補とは接触したらいけない期間なんだから。皇が鎧鏡の決まりごとを破るわけない。
スミが鳴いていないか耳を澄ませても、シロが窓枠を引っ掻く音以外、何も聞こえてこない。
その時、パキッという音が、外から聞こえた。
「っ!」
枝を踏むような音。猫じゃない。きっと、人間、だ。
「雨花」
「っ?!」
聞き取れないくらい、小さな声だった。
でも”雨花”って、オレを呼び捨てにする人なんか、一人しかいない。
「雨花」
……どうして?
「……」
嘘だよ。だって……何で?会ったら駄目なのに!
「そこにおるのであろう?」
「……」
若様と直接的な接触をしたらいけないって、櫂様が言ってた。皇だって知ってるはずだろ?
……話は、してもいいの?今オレが返事をしてしまったら、接触したってことになるんじゃないの?
接触したら、お前が苦しむって……。
「返事を致せ、雨花」
今返事をしちゃったら、お前が苦しむんじゃないの?
オレが……お前を苦しめるんじゃないの?
「雨花……」
オレを呼ぶ皇の声に、耳を塞ぎたくなる。
窓を開けて、その姿を見たい。
でも……会ったら駄目だ。
どうしたらいい?
彷徨わせた視線の先に、時計が見えた。
もうすぐ、皇の誕生日になる。
「そなたに触れることはせぬ。触れねばよかろう?……返事を致せ」
「……」
「雨花……」
いいの?オレが返事をしても、お前は苦しまないの?
「……何?」
出来る限り、短い言葉を探した。
「やはりおるのではないか。早う返事を致せ」
久しぶりなのに……怒ってる。相変わらずの、皇だ。
「……」
「雨花」
「……」
「余は明日……展示会を開く」
「もう今日だよ」
部屋の時計の針が12のところで重なった。
オレは急いで書院の机から、おめでとうと書いた便箋を持って来た。
手紙を渡すのは、駄目、かな?
触らなきゃいいって、皇、言ったよね?
壁代の隙間から、縁側の引き違い窓の鍵を解いて、ほんの少し開けた窓に便箋を挟んだ。
スッと引かれた便箋を、すぐ近くでカサカサと開いている音が聞こえてきた。
「このような文……初めて、贈られた。大事に致す」
それからしばらく、雨の音しか聞こえなくなった。
え?皇……帰った?
「皇?」
「ん?」
いた。
自分で声を掛けておいて、何も言わないのも何か……えっと、何か言わなくちゃ。
そうだ。
「何しに、来たの?」
展示会開くって、それを言いに来たわけじゃないだろ?
「胸騒ぎが、収まらぬ」
「え?」
「余は……新たな候補を迎えて、良いのか」
雨足が強くなったのを教えるように、急に雨音が大きくなった。
「何……言ってんだよ」
迎えないでいいなら、迎えて欲しくない。何でそんなこと、オレに聞くんだよ。
でも……。
「家臣さんたち、お前に嫁候補がいればいるほど、安心するんだろ?」
ふっきーが言ってた。候補がいればいるほど、家臣さんたちは安心するって。
「……」
「お前が新しい候補を選ばなきゃ、家臣さんたち、不安になるんだろ?家臣さんたちを守るのがお前の……鎧鏡の若様の勤めなんだろ?」
鎧鏡家は……家臣さんたちは……鎧鏡の当主たれって育てられてきたお前が、一番守りたいもの、だろ?
「……」
「だったら……迎えなきゃ駄目じゃん」
何でオレがこんなこと言わなきゃいけないんだよ!
だけど……鎧鏡家がお前の守りたいものなら……オレだって守ってあげたいって……思うじゃん。
候補が増えるのは、嫌だ。だけど、そうすることが、お前の大事なものを守ることになるのなら……。
「新しい候補、迎えなよ」
オレは、お前の背中を押す。
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