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わたぬき③

「雨花……」 「……」 返事をしたら、泣いてるの、バレる。 「顏を見せよ」 「えっ?!」 何言ってんだよ! びっくりして涙が引っ込んだ。 「そっ……そんなの駄目に決まってんだろ!お前に会ったら駄目って、櫂様が……」 「余は物陰に潜み姿を見せぬ。顏を合わせねば会ったとは言わぬ」 「そんなの……」 屁理屈だよ。もう本当は今だって”会ってる”んじゃないかって……すごく、怖いのに……。 「何で、そんな……顔見せろとか……」 何でそこまでして、顏見せろなんて……言うんだよ!変な期待、させんな、バカ! 「雨花がそのような、鎧鏡一門らしいことを申すとは信じがたい。そなた、雨花の偽物ではないのか」 「は?んなわけあるか!」 何だよ、それ! 「本物だと申すなら顔を見せよ。余は身を隠すゆえ」 ガサガサという音が聞こえて、皇の『ここならそなたからは見えぬはず』という声が、さっきよりも遠くから聞こえた。 「……」 オレには鎧鏡一門らしいことが言えないと思ってんのか、こいつ!めちゃくちゃムカつく!オレがどんな気持ちでああ言ったか、お前には絶対わかんないんだ! お前が苦しまないようにって、我慢してたのに!何が『偽物じゃないのか?』だよ! オレのこと見て、お前が苦しんだとしても、オレのせいじゃないんだから! オレは、腹立ち紛れに壁代をめくって、思い切り窓を開けた。 「本物だろ!」 真っ暗な空間に、池周りだけが浮かんで見えた。 皇の姿は、見えない。 「痩せたのではないか?食事はきちんととれ」 なん、だよ、それ! ものすごいムカついてたのに……オレを気遣う言葉に……涙が……溢れた。 ……会いたい。 ……会いたい! 左の方から、声が聞こえた。 その木の奥にいるの?今すぐ飛び込んで……お前が痛いって言うまで、ぎゅうぎゅうしながら文句を言ってやりたいよ! オレだって鎧鏡一門らしいことくらい言えるよ! お前のことが大事だから! ものすごく大事だから! お前のこと、いつもは鎧鏡の若様だなんて思ってないし、鎧鏡の若様だから好きになったんじゃない。 でもオレだって……お前が鎧鏡の若様ってこと、ちゃんとわかってるよ。 お前が家臣さんたちを大事にしてるのも、今お前の背中を押すのが、奥方候補としてすべきことだっていうのも……オレにだってわかってるよ!見くびるな!バカ! 「なぜ泣く」 ガサッという音がして、近くの木が揺れた。 「出て来るな!」 これ以上近付いたら……本当にお前のこと、苦しめる。 好きだから。すごい……好きだから。 きっとオレの気持ちが、新しい候補を選ぼうとするお前の判断を鈍らせて、苦しめる。 「そなたの涙も拭えぬ」 「泣いてない!」 「……シロ!」 皇に呼ばれたシロが、タタっと木の影に飛び込んだ。 戻ってきたシロは、ハンカチを口に咥えていた。 「これ……」 それは見覚えのあるハンカチで……。 「そなたの物であろう?」 「どうして?」 何で皇が、オレのハンカチ持ってるの? 「松の丸で朝餉をとった朝、御台殿がそれに包まれたスミを連れて松の丸にいらした」 「あ!」 そうだ。このハンカチ、スミがうちの庭の木から降りられなくなった時、スミを包んだハンカチだ! 何で……そのハンカチを、お前が持ってるの? 「そなたの物だと……香りですぐにわかった」 だからって、何でお前が今、このハンカチを持ってるの? あ!皇が何をしに来たのかと思ってたけど、このハンカチ返しに来た、とか?それなら皇が、このハンカチを今持ってたのもわかる! でもこんな時間にわざわざ?会ったらいけない期間なのに……。だけど、それ以外に理由がわからない。 「お前、わざわざこのハンカチ返しに来たの?」 「あ?どう巡ればそのような答えにたどり着くのだ。他に持ち合わせがないゆえ渡したまでだ。頬を拭ったあと、必ず返せ」 「は?」 返せって、もともとオレのハンカチじゃん! シロから受け取ったオレのハンカチから……皇の香りがする。 すうっと香りを吸い込んだ時、雨が……強くなった。 「雨花、濡れる。部屋へ戻れ。余も……参る」 「ちょっ……ハンカチ返しに来たんじゃないなら、結局お前、何しに来たんだよ!大丈夫なの?」 ハンカチを返しに来たんじゃないなら、胸騒ぎがするって、新しい候補を迎えていいのかって、そんな話をしただけじゃん。 「次会う時まで、案じておれ」 ガサガサという音がして、皇が遠ざかるのがわかった。 「……」 胸騒ぎがするって、新しい候補を迎えていいのかって……そんな話をしにきただけ、なの? 「……」 皇の物みたいになったハンカチを抱えて部屋に戻った。 どれだけこうしていたら、皇の香りが消えてしまうだろう?皇はどれだけこのハンカチを、抱えていたんだろう? 「皇……」 新しい候補を迎えていいのかって聞いたお前に『迎えないで』って言ってたら、お前は新しい候補を迎えないでくれたの? 「……それはないよね、シロ」 オレはハンカチを抱えて、シロと一緒に、いつの間にか眠りについた。

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