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求愛⑨
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夕飯のあと、ボーッとしながらシロの散歩に出掛けた。
皇のことばっかり、考えてた。
皇は、五時間目も六時間目も出ないで、ホームルームが終わる頃ふいっと戻って来たと思ったら、鞄を持ってすぐに帰ってしまった。
昨日の昼休みの、あの幸せなランチ当番の記憶が、自分の首を絞めていた。
皇が午後の授業に出なかった理由が、昨日と今日で違うと考えるほうが難しい。
昨日あんなことをしなければ、今日、皇が教室に戻らなかった理由が、わかってしまうこともなかったのに。
皇を好きになって、幸せな気持ちのほうがずっと多いと思っていたけど……今は苦しくて……何度深呼吸しても、酸素が体に廻って行く気がしない。
「はぁ……」
最近は、シロの気分で散歩コースを決めていた。シロは散歩好きではないらしい。いつも好き勝手動いているシロには、もともと散歩は必要ないんだろうけど……好きなように歩かせると、梓の丸の庭を少し歩いただけで屋敷に戻っていく。ずっと朝晩寒かったから、それでもいいやと思っていたけど……今夜は三の丸に行きたくて、シロのリードを引っ張った。
きっともう、三の丸の庭は花盛りのはずだ。
「綺麗……だなぁ」
柔らかい照明が所々に点いている三の丸の庭は、思った通り花盛りだった。
夜でも花弁を閉じない花たちが、自然な香りを放っている。
「お前は自己主張が強いよね」
ジンチョウゲの花をツンっと突くと、強い香りが身を包んだ。
「まだ頑張ってるんだ?」
フリージアはもうすぐ開花時期が終わりそう。
「お前は、もう寝てるよね?」
花弁を閉じているチューリップを軽く撫でた。
そんなことをしていると、庭の中央から急に人がヌッと出てきた。
「おわっ!」
「あれ?雨花様、こんばんは」
そこにいたのは、にっこり笑ったお館様だ。
「あ、驚いちゃった!失礼しました!こんばんは!」
「あははっ。久しぶりだね。散歩の時間がずれてたの?」
「あ……いえ。ここのところ、シロの好きなように歩かせてたんです。でもそれだと梓の丸の庭だけで帰っちゃってて」
「シロは梓の丸が大好きか」
「散歩が好きじゃないみたいです」
お館様と皇は、やっぱり似てる。実際血も繋がってるんだから、当然なんだろうけど。
「はぁ……」
「ん?」
あ!お館様を見ていたら、皇を思い出してため息吐いちゃった。
「あ……ごめんなさい。何か……疲れてるみたいで」
「だから花と話してたんだ?」
「はい。シロもですけど、花も癒されますよね」
「ああ、まぁ、私はシロには癒してもらえないけどね?」
お館様がシロを見ると、シロがグルルっと、怒るように喉を鳴らした。
「本当のことじゃないか。はいはい、ごめんよ、悪口言って」
お館様はシロに向けて頭を下げた。
ホントお館様って、気さくで話しやすいんだよね。とてもあの皇のお父さんとは思えない。
『少し一緒に歩こうか』と言ってくれたお館様と、遊歩道を歩き始めた。
「あ、そうだ!皇、学業優先するって聞きました」
「そうそう。私はもともと、学生のうちしか出来ないことを経験するほうが大事だって言ったんだけどね。それでも、すーがグループの仕事を知っておきたいって言うから、一年間だけの約束で手伝わせていたんだよ」
わ!お館様って皇のこと『すー』って呼んでたの?……可愛い!
「子供が大きくなるのはあっという間だね。とと様ーって、すぐ泣きついて来たあの子と、一緒に仕事をする日が来るとはさ」
皇、とと様って呼んでたんだ?うわぁ……可愛い!
「皇、もしかして御台様のこと、かか様って呼んでたんですか?」
「そうだよ。今でもね」
「えっ?!」
「まぁ、人前ではカッコつけて御台殿とか呼んでるけどね」
「ぷはっ!」
「すーはマザコンだよ?あれ」
「御台様がお母さんなら、そうなるのも納得です」
かっこいいし、綺麗だし、優しくて強くて、にこやかで……男の人だけど、母様はものすごく『お母さん』だ。
「男はみんな、マザコンって言うしね」
お館様は笑って『さてそろそろ帰らないと』と言うと、少し歩いたところに咲いていたカモミールを切って、渡してくれた。
「カモミールティーは安眠を誘うらしい。二位に淹れてもらうといいよ。ゆっくり寝て、疲れを癒すんだよ」
「はい!ありがとうございます」
屋敷に戻って、二位さんにカモミールティーを淹れてもらった。湯気と一緒に香るカモミールが、心をホッとさせた。
「今でもかか様だって」
お館様の話を思い出して吹き出した。
皇が『かか様』なんて呼んでるところ、聞いてみたい。
「……」
オレ……笑えてる。
さっきまであんなに苦しがってたのに。知らなかった皇を、ほんのちょっと知れただけで、こんなに、嬉しい。
皇のこと『好き』だからだよね。
『好き』って……すごい。
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