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愛しい気持ち⑥
なんだよ……怒ってたくせに。
「余が候補に連絡先を教えてはならぬのを知っておって、尚、そう申すか」
皇は、ぎゅうっと抱きしめる腕に力を入れた。
「だって……門限七時とか、お前が無理なこと言うからじゃん」
きつく抱きしめられて、身動き出来ない。かろうじて動かせる頭で、皇の胸をグリグリ攻撃すると、皇はふっと笑って『怒る気も失せる』と、腕の力を緩めた。
「渡ると言うておったに、そなたがおらぬゆえ……腹が立った」
皇は『門限は取り消してやる』と言いながら、オレの前髪を掻き分けた。
「……偉そう」
「そなたが思うより、権力は持たされておる。その余をないがしろにしおって……ああ、だいぶ良くなったな」
皇がそっと撫でたオレの額の腫れは、もう完全に引いていた。傷も薄くなったし。
「ん。あ……あのさ。顔に残る傷を付けたら、候補失格って、ホント?」
塩紅くん、オレに傷付けちゃったって、すごく気にしてたけど……。
「候補に失格などない」
皇はオレの前髪を整えるように何度か撫でると、口端を上げた。
……何、喜んでるの?
「あ、じゃあ、大丈夫なんだよね?この傷。塩紅くん、この傷が残ったらどうしようって、すごく気にしてくれてたから。大丈夫って言っておかないと」
オレが『良かった』と安心すると、目の前の皇は、小さくため息を吐いて『愛らしいことを聞いてきたかと思えば、また他人の心配か』と呆れた顔をした。
「なっ!」
愛らしい?!どっ!どこが?!ちょっ……恥ずかしいこと言うなよ!
「失格なぞないが、傷など付けるでない」
「……何で?」
「痛々しい」
皇は、またオレの前髪を上げると、額の傷を見て顔をしかめた。
もう全然痛くないんだけど。
そんな顔するくらいイヤなら、見なきゃいいのに。
「早う、治せ」
治せって言ったって……。
皇は『早う治れ』と、オレの額の傷をまた撫でた。
何かそれ……痛いの痛いの飛んでけー的なつもりなのかな?殿様バージョン?とか思って、吹き出しそうになった。
「医者になろうという者が、怪我ばかりでは笑われよう」
「……」
そう言われて、口を尖らせたオレを鼻で笑った皇は『二度と傷など付けさせぬ』と、ふわりと抱きしめた。
「……」
痛、い。ぎゅっと掴まれたみたいに、心臓が痛い。『そなたは余が守る』って言ってくれた、皇を思い出した。
何か……オレ自身より皇のほうが、オレの額の傷を気にしてるみたいじゃん。
そういうの、嬉しいような、申し訳ないような……そんな気持ちになるよ。
「ん?」
「あの……さ。オレ、自分でもちゃんと、気を付けるから」
”自分でも”なんて言ってしまってから、ハッとした。
だってそれって、自分でも気を付けるけど、皇にも、オレのこと気を付けててって言ってるみたいじゃん。
「あ、違う!えっと、自分でちゃんと気を付けるから」
そう言い直すと皇は『そなたは”自分でも気を付ける”くらいに思うておれば良い』と、笑った。
「お前、オレに自分のこと守れって言ったじゃん」
「そなた一人で守れと言うたか?」
「……言ってない、けど」
「けど、なんだ?そなた自身が、己を守るという気概は必要だ。だが、一人で気張る必要はない。余にも……守られておれ」
なっ……何だよ、バカ。もー!
そういうこと、言う?そういうこと言うから、オレが変に期待しちゃうんじゃん!そんなこと……。
そういうの、オレだけに、言ってればいいのに……。
「雨花……」
耳もとで囁くように呼ばれて、こめかみに落とされたキスに、急に体が熱くなる。
熱、出そう。
「雨花」
「っ……」
も……声が……イヤラシイんだよ、バカ!
他の人にも言ってるくせにとか……グチャグチャ考え続けることさえ出来ない。
もう……どうしたらいいのか、わかんない。
皇……もう……どうしよう。何かもう……色んなところが、ムズムズする。
どうにかして欲しくて、皇の袖をギュッと握ると、皇は鼻で笑って、またオレを抱きしめた。
「これ以上は、屋敷に着いてからだ」
皇の視線を追って窓の外を見ると、本丸の天守閣が見えていた。
『これ以上』を待ちわびているように、体の奥が……熱を持っていく。
車がいつもよりゆっくり走っているように感じる。
ジリジリとした気持ちを落ち着かせるように、皇の腕の中で、静かに深呼吸を繰り返した。
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