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愛しい気持ち⑫

翌朝、ようやくうつらうつら寝ようかという時、いつもより早い時間に、いちいさんがオレを起こしに来た。 「どうしたんですか?」 「いつもより早く学校に向かうよう、夕べ遅くに若様よりご連絡がございました」 「えっ?」 皇から?え?夕べ遅く? 「若様の”早め”は、大体三十分前のようですので、雨花様にはいつもより三、四十分はお早めにご出発していただきます」 「え、あ……はい。あの……いちいさん」 「はい」 「あの……夕べ遅くに、その連絡が来たんですか?」 だって、昨日は塩紅くんのところに渡ってたんじゃないの? 「はい。夕べ、日付か変わる前あたりでしたでしょうか。それが、どうなさいましたか?」 「あ……いえ。夕べ、渡りの鈴の音が、聞こえたんですけど……」 渡ってなかったの? 「ああ、はい。お渡りがあったようですね。お戻りになられてから、こちらにご連絡してくだされたのだと存じます」 「え?」 戻ってから?え?渡りから戻ってからってこと?え?だって、夕べ渡ったのに、夕べ戻ってから連絡って、どういうこと? 「はい。何か?」 「あの……夕べ渡って、夕べ戻ったって、ことですか?」 「はい」 「え……何か、あったんですか?」 そんなに早く戻るなんて……。 「いえ。普段通りかと存じます」 「え……だって、戻るの、早くないですか?」 「ああ、そういうことですか。普段若様は、お渡りをなさっても、その日のうちに本丸に戻られることが多いようですよ?自室以外で寝入らないようにと、ご教育されていらっしゃいますので」 そう言っていちいさんは、ふふっと笑った。 あ……確かに、修学旅行の時、人前で寝ないとか、そんなこと皇が言ってた! え?じゃあ、ここでグーグー寝てるのって、本当はいけないことなんじゃないの? 「あ、あの!皇……ここで、寝てたりするんですけど、それ、また怒られたりしないでしょうか?」 「家臣団のご心配ですか?大丈夫です。雨花様は何の心配も要りません。家臣団はしらつきグループを守るのが役目。先日おっしゃっていた朝餉の件といい、若様のプライベートに口出しするなど、出過ぎた真似でございます。お気になさらず」 家臣団さんをそんな風に言い切れるとか、いちいさんってやっぱりすごい人なんだな、多分。 母様のお気に入りだったっていうし、どことなく駒様より強いのかな?って思うことも多々あるし。 って言われても、実際に皇、怒られたらしいし、気になっちゃうよ。 「あの、でも……いちいさんは?側仕えさんたちは、そのせいで困ったりしませんか?」 もしかして皇みたいに、うちの側仕えさんたちも、家臣団さんたちに怒られたりしてないよね? 「雨花様……」 いちいさんは『ありがとうございます。ご心配には及びません』と、深々頭を下げた。 「さあ、お早くお仕度なさいませんと」 「はい!」 「遅い!」 デジャヴ? 何回、この『遅い!』を聞いたかな?オレ。 「遅いって言うなら、何時に来いとか、ちゃんと言っておいてよ」 いつもより四十分は早く学校に着いたのに、すでに皇は昇降口で仁王立ちで待っていた。 「まずは他に言うべきことがあるだろう?」 「え?……おはよ」 「はぁ……ああ」 「え?何?違った?」 「もう良い!参るぞ」 「え?どこに?」 皇に手を取られて、急いで上履きに履き替えた。 生徒会室直通エレベーターに乗り込んで、皇は屋上ボタンを押した。 「え?屋上?っていうか、何でこんな早く来いとか……」 「そなたが共に参ると申したのであろう」 「え?」 「衣織に謝罪致す」 「え?!」 こんな早朝から? 「そなたは、余以外には細やかに気を配る。衣織に謝罪するまで、そなたは衣織を気にし続けるであろう?そのようなこと、我慢ならぬ。早う謝罪し、その胸から衣織を追い出せ」 皇はオレを睨んで、強く抱きしめた。 いつもの皇の匂いがして、すごく、安心する。 「衣織も早う来いと、呼びつけてある」 「こんな早く来る?」 「あれは藍田の当主候補だ。年長者への最低の礼儀はわきまえておる」 「そっか」 こういうちょっとした返事でもわかる。皇が藍田のことを信じてるんだなってこと。 あ!そういえば、皇にお礼言ってなかった。こんな風にオレの心配をしてくれたのに。 「皇?」 「ん?」 「さっき、待たせて……ごめんね?ありがと、藍田のこと」 皇のブレザーをギュッと握ると『遅い!』と頭にキスされた。 「は?」 「それは、学校に着いた時点で言うべきことであろうが」 「ああ!さっきの言うべきことって、このこと?」 「全く……」 ふっと笑った皇が、オレの鼻にキスをした。

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