296 / 584

うつるんデス⑤

こうやって、学校の周りを歩くの、初めてかも。いつも車で学校の中まで入っちゃうから。 「ここ歩くの初めてだ、オレ」 昼間、雲が多かった空は、すでに暗くなり始めていた。 「前を見ておらぬと転ぶぞ」 オレの手を取ろうとした皇の手を『大丈夫だよ』と言って、振り払った。 暗くなり始めてるとはいえ、学校がすぐそこに見えているこんなところで手を繋ぐのは……人目とか、気になるし。 皇は特に文句も言わず『気をつけよ』と、歩き出した。 「パリみたい」 皇と並んで歩いていると、修学旅行を思い出す。 「ああ。そなた、自転車を買ってはおらぬであろうな?」 「買ってないよ。誕生日にプレゼントしてくれるんだろ」 「誰にも贈らせるでないぞ。ようやく見つけた、そなたが誠に喜ぶ物ゆえ、誰にも横取りさせるでない」 「どんだけわがままキャラだよ、オレ」 「真のことであろうが。去年もそなたに何を贈るか考えあぐね、当日まで決められなかったほどだ」 去年の誕生日、皇にもらった冷蔵庫は、オレだけじゃなく、うちの使用人さんたちにも大事にされている。 「あ!」 「ん?」 「自転車すっごく欲しいけど、また冷蔵庫の時みたいに、オレだけ冷遇されてる、とか言われない?」 「ああ……」 考えたような仕草をした皇が『サイクリングコースを共に贈るか。それで補填すれば良かろう』と、笑った。 自転車の補填にサイクリングコースっておかしいだろ! いや、こいつ、こたつのために和室建てるようなヤツだった。 「他の候補様たちにすごいもん贈るから、そんなことになるんじゃん」 「余とてこのようになるとは思わずにおった。あれは珠姫の陰謀だ」 「は?」 皇の話によると、候補様たちにケーキ以外の物を贈るようになったのは、梅ちゃんが始まりだったという。 梅ちゃんが奥方様に選ばれるだろうと思わせておくには、梅ちゃんに高価なプレゼントをしたほうがいいなんていう、珠姫ちゃんの入れ知恵があったらしい。 『そのような理由であったが、ただ単に珠姫の欲しい物を梅経由でねだられただけだと、つい先日わかった』と、皇が笑った。 そんな裏があったなんて……。 でも皇、そんなこと言ってるけど、嬉しそう。皇ってシスコンっぽいから、逆に喜んでるのかも。 「二人と一緒に行った買い物、楽しかった」 「ああ。また奴らのだしに使われる時はそなたも共に参れ」 「うん」 ふっと笑った皇が空を見上げて『だいぶ暗くなって参ったな』と、呟いた。 確かに、歩き始めた時より、あたりはだいぶ暗くなった気がする。 「……」 さっき、人目が気になるからと払ってしまった皇の手を掴んだ。 「ん?」 皇とこんなふうに、隣に並んで歩けるのなんて、もしかしたらもう……ないかもしれない。 急に、そんな風に思ったから……。 「暗くなってきたから……お前が、転ばないように」 そう言うと皇は『そなたに守られるのも良いものだ』と、鼻で笑って、オレの手をぎゅっと握った。 自転車と一緒にサイクリングコースをくれるなんて言ったのは、他の候補様たちとの兼ね合いがあるから……なんだよね。 そう思ったら、オレは皇の何人もいる嫁候補のうちの一人なんだなぁなんて、改めて思っちゃって……。 そしたら、せっかく二人で歩いてるのに、人目とか気にしてないで手ぐらい繋いでおかないと!とか、思ったんだ。 自分から手を繋いだことに恥ずかしくなって下を向くと、小さくパチンっというような音がして、ふと顔を上げた。 その瞬間、並木道の街灯が、いっぺんに点灯した。 「うわあ!見た?!」 「……ああ」 「何、笑ってんだよ?」 「いや。ささいなことで、はしゃいでおるゆえ」 「……ささいなことじゃないし」 「ん?」 今、ここに皇と一緒にいること自体、オレにはささいなことじゃない。 もしかしたらお前……オレの手の届かない人に、なっちゃうかも、しれないのに……。 「どう致した?」 「……ううん」 お前がオレを選ばない日が来るかもしれないと思うと……無性に、怖い。 皇が急に立ち止まって、オレをぎゅっと胸に抱きしめた。 「皇?」 「そなたが……消え入りそうな気がした」 「……」 オレが消えたら、イヤだと思ってくれたの?でも、それって、嫁候補がいなくなると、困るから? 大事にされてるのはわかってる。 でも、大事にされる理由がわからない。 あっという間に暗くなった並木道で、皇にしがみついた。 オレを抱きしめる皇の腕の力は、逃げられないくらい強くて……それだけ皇はオレのこと、好きなんじゃないかって、思いたくなる。 だけど……。 皇が他の人を抱きしめる腕の強さを、オレは、知らないから……。 「若様」 「うわ!」 急に現れた誓様が、目の前で膝をついた。 「……雨花、ここまでだ」 「あ……うん」 誓様が急に出てきたってことは、これ以上は、歩いていたら危険って、ことなのかもしれない。 まだ学校脇の並木道を抜けきらないうちに、オレたちは車に乗り込んだ。 二人で歩いて帰るっていう、そんな普通のことほど、ままならない。 それでもオレ……お前の隣を、歩いていたいよ。

ともだちにシェアしよう!